〜第5章〜


[17]朝11時2分


「そ、そんなことないもん! 絶対に……!」
「まあまあ、さくらも落ち着きなさいよ。こっちだって嬉しくなるじゃない。本気で戦える相手が出来たんだからさ!」

瀬戸さんは、腕を後ろに伸ばして、足首をくるくる回して体をほぐす。

「長峰さん、そろそろ始まるみたいだわ。行きましょ!」

またニコッと笑う。
瀬戸さんは、純粋に清奈と戦えることを喜んでいる。清奈は、僕の背後を歩く。

「見てなさい、悠。そして、空川さくら」

あの黒髪がまた流れる。
後悔も恐れもない。
清奈は……
僕の為に、
あそこまで本気になっている。






「これで最後だな。瀬戸と長峰、準備しろ」

萩原先生が両手にストップウォッチを手にして、第3レーンのスタート台の上に座る。
そして先生を挟むように2レーンに瀬戸さん、4レーンに清奈がスタート台に立った。

瀬戸さんは腕や首を回したり、手首足首をほぐしている。
一方の清奈は特に何の準備はしておらず、ただ真っ直ぐ目の前を見据えている。一瞬、チラ、と
僕の方を見た。
僕がその視線に気づいたらすぐに清奈は視線を戻した。

「二人とも準備はいいか?」

萩原先生が左を向いた。
「いつでもOKですよ!」

瀬戸さんが元気に答える。続いて右を見た先生。

「……」

口を開くことは無く、ただ先生の問いには首を僅かに縦に振って答えた。


「それじゃ……行くぞ」

萩原先生が言った途端、周囲で沸き起こる話し声がだんだん小さくなる。
皆が2人の勝負を見届けるようだ。


「福原、俺は瀬戸に100円や」
「ほう? 俺は長峰さんに200円だ」

そこの男ども、賭けんな。


開いた窓から流れ込んだ風。
2人の髪が右へと流れた。今は誰もいない水面が小刻みに震える。
まさにガチンコ勝負だ。
清奈と瀬戸さんの戦いであり、さくらちゃんとの戦い。
隣にいたさくらちゃんは両手に拳を作り、ギュッと握りしめている。

「位置について」

もう話し声は全く聞こえない。この空間全体が止まったかのよう。
唯一、今も時が刻んでいることを知らせてくれているのは、皆と反対側にある巨大な時計だけ。

「用意」

2人が、つま先を手で掴むように前屈姿勢になった。もういつでも飛び込める。水が上から滴る。
ゆっくり、ゆっくりと落ちていく。
遂にそれがプールの中に入り、


美しい同心円が水面に広がった。
そして……








「スタッ!!」

同時にスタート台から足が離れた。
肢体が飛びあがる。
それは滑らかな曲線を描き、水面へと指先から入水した。
決戦を告げる、2人が飛び込んだ水しぶきの音。

「行けーーーっ!」

全員が一体になったかのように、2人へかけられた歓声がプール一体を包みこむ。

「瀬戸さああああん!!」

この人一倍大きな声で応援しているのは、無論さくらちゃんだ。

2人は、今までとは比類ない早さで水上を駆ける。
水の抵抗など何の障害にもならない。
早くもプールの中央、12.5mラインを過ぎた。

現在順位は……!
まもなく20メートルラインに到達するというところで、並行していた2人に差ができ始めた。

瀬戸さんが少しだけ前に出ている!

「その調子ーー!」

さくらちゃんの応援に熱が入る。
差はちょうど、瀬戸さんの腕の長さほどだ。
つまり瀬戸さんの肩と清奈の指先が同じ距離に位置している。

その距離は縮まらない。
いや、むしろ
瀬戸さんが追い抜くのは時間の問題か……!?

先に瀬戸さんが向かいの壁にタッチ。
半分の25メートル。瞬間で瀬戸さんは水中で前回りをして向きを代え、ゴールへ向かう。
少し遅れて清奈も同様にターン。
しかし、瀬戸さんにとって25メートルは何でもない距離。速度を緩めない瀬戸さんを追い抜くのに、もう清奈はそこまで時間は残されていない。

復路の12.5メートルラインにさしかかる。依然、2人の差は変わらない。瀬戸さんが先頭だ。
このまま逃げ切るか……!?

「あと少し! あと少しですよ瀬戸さあああん!!」

瀬戸さん、そしてさくらちゃんの勝利は近い――!


誰もが、勝利を確信した
そのときのことだ。



――――――――――――
……。
聞こえる。

……。
悠の声。

『清奈』
ほら、聞こえる。

『僕のことを……仲間だと認めてくれないかな?』
この声が

『ねえ……清奈』
聞こえるのだから。

私は

私は

そう……全てを
全てを

捕まえる。
捕まえる。


『昔のことも……』


『今のことも……』


『全部含めて……』






『僕が守る』


――――――――――――

ここに来て、何が起こったのだろう。
清奈は、諦めていなかった。

いいや、諦める以前にまだ力を残していた。
清奈の体力は、尽きてなどいなかったのだ。



[前n] [次n]
[*]ボタンで前n
[#]ボタンで次n
[←戻る]




Copyright(C)2007- PROJECT ZERO co.,ltd. All Rights Reserved.