第二章 動きだす運命


[08]第二五話



 如月の通う聖サンヌルクス学園は、初等部から大学部まで存在するマンモス校である。
 如月の住む上穂町からだと電車を利用して三十分、科学省からだとバスで四十分の場所にある。
 目の前に広がるのは大きく入り組んだ湾で、塩の香りが、穏やかに吹く風とともに運ばれるその場所は、学術都市として世界に名を馳せている。

 如月は科学省に常日頃から置いてあった制服に着替え、しっかりとした足取りで正門をくぐった。

 この時ばかりは、ちょくちょくと父上に仕事の手伝いさせられていて本当に良かったと思う。
 そして何事もなく柳の木が植えられた、通称柳道を通り抜け、他の生徒同様に高等部の校舎がある方へ足を向けたその時、

「よぉ、クール青年!」

 朝から無意味にハイテンションな奴が如月の肩を叩いてきた。

「……誰がクール青年だ。そして朝からうるさい」
「いいじゃないか、我が親友よ。お前だって朝から公共施設内で暴れたらしいじゃないか」

 疎ましい悪友の挨拶を躱そうとした如月だったが、彼には通用しなかったらしい。

 如月はわざとらしく、大きく溜め息をついた。

「暴れたわけじゃない。あれは事故だ。第一、どうしてそんな事を知っている、加治(かじ)」

加治と呼ばれたその男子生徒は、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

「ジャーナリストの技術さ」

 如月は今度こそ本音を込めた溜め息をついた。


 加治 清直(かじ きよすぐ)。

 短いと長いの中間程度の髪を持つ十七歳。


 ジャーナリスト志望の、彼の情報収集という嗅覚は並大抵ではない。
 彼の元に流れてくる情報には政治家や企業の不正、はたまた官僚の汚職までもが含まれている。

 だが、科学省の裏側を彼はまだ知らない。
 いや、知る事ができないのだ。
 関係者以外に決して知られる事のない世界。
 この事実を加治が知ったらどうなるのだろうか。

 それを考えただけで、如月の背筋に悪寒が走った。

「どうした、風邪か?」

 如月の様子を見て、少し心配そうに声を掛ける加治。
 何も知らないやつほど平和ボケだろう。

「何でもない。奇妙な視線を感じただけだ」
「………そうか」

 たっぷり三秒かかってから加治はそう答えた。


 とりあえず信じてもらえたか。


 如月はホッと胸を撫で下ろす。
 なぜならば、加治には嘘を見分ける能力があるからだ。
 しかし如月が言った事はあながち間違ってはいない。
 半分当たりというやつだ。

 如月と加治がそんな事をしている間に、昇降口に着き、上履きに履き替える。
 そして、三階にある二年生の教室へと向かった。

「そういえば、この間隣の葉山市で天然ガスの貯蔵施設が爆発した事件だけどよお」
「テロリストでも関わってたのか?」

 校舎内の三ヶ所に設置された階段のうち、中央階段を利用する。

「いやー、日本は危ないけどまだ安全だよ。たぶん」
「だが、備えはしておくべきだな」

 上から下りて来る生徒のために、通路を空けてやりながら如月は言った。

「まあ、あれは原因不明らしいが、人為的に行われたらしいってさ」
「だがあそこの警備はかなり厳しいらしいが」
「そうなんだよ。それが引っ掛かるんだよなあ。どうやって警備網をかいくぐった思う?」
「さあな。もしかしたら魔法でも使ったんじゃないのか?」

 如月が言った途端、加治の顔が何とも形容しがたいものに変わった。
 驚いたような、気難しいような微妙な表情だった。

「お前からそんな冗談を聞いたのは初めてだ。やっぱり朝の事故のせいか?」
「………人は常に変化する存在だ。いつまでも同じままでいる事はない」

 如月は、敢えて無表情にそう言った。
 そして自分達のクラス、F24の教室の扉を開けた時だった。
 如月は一瞬何事かと固まってしまった。


 目の前に迫り来る物体。


 それは如月の腹部めがけて飛んで来た。
 直後、ドスッと嫌な音が教室全体に届いた。
 人がまばらだった教室だったので、それはよく聞こえた。

「グッ……!」

 思わずその場に崩れる如月。
 飛んで来た物体は床に落ちた。
 硬式の野球ボールだった。

「す、すまん! 大丈夫か、如月!」

 ピッチングをしていた男子生徒が慌てて如月に駆け寄る。

「あ、ああ。大丈夫、だ……」

 そう言うと、如月は完全に意識を失ってしまった。

「お、おい! しっかりしてくれ!」

 何事かと集まる野次馬の視線に、半泣きになりつつ男子生徒は如月を揺さぶった。
 見るにみかねて、というよりも、助け船を一拍遅れて出すはめになっただけだが、加治が一言。

「坂口、とりあえず貧血って事で保健室に運ぼうぜ」



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