第二章 動きだす運命


[09]第二六話




 またこの世界か。

 如月は思わず呟いた。
 彼がいるのは、周囲が闇で覆われ、背景は灰色に波立っている世界。
 そこに、目を閉じたまま、まるで無重力空間を漂うかのようにして如月はいた。

 そう、精神の最奥部、深層心理の世界である。
 突如、この空間内に声が響き渡った。

『ボールの衝撃で気絶するとは、貴様はまだまだだな』
「………アストラルじゃないな」
『その通り』

 最初の声の主とは違う声がした。

「精神への干渉………。ただ者ではないな」
『そう。私の名は黒崎アリア。言わばあなたの敵』

 さっきと同じ声がした。

『そして俺は何者でもない。貴様自身だ』

 今度は最初と同じ声がした。

「とりあえず前者は分かった。後者は俺の別人格なのか?」
『そうだ。わけあって小娘の手助けをしている』

 “もう一人の如月”は、くつくつと笑いながら言った。


 えげつない奴なんだろう。

 別人格の自分の性格を、言動から想像して如月はそう思った。
 そしてさっきから疑問に思っていた事を尋ねる。

「精神への干渉をする訳を教えろ。セイランの件か?」
『残念。この小娘は……』
『あなたとヴェリシルの監視よ。これ以上邪魔をしないように』

 もう一人の如月の言葉を遮り、アリアが告げた。

「……………」

 如月が無言でいると、別人格の如月がまた喋り始めた。

『殺さないでいる事に驚いたか? 貴様には利用価値がある。だから監視対象なんだよ』
「……やはりそうか。だが、多少の精神汚染や洗脳行為で騙される俺じゃない」

 自信に満ちた声で如月は言い返した。
 だが、あくまでもそれは可能性だ。
 それなりの訓練を受けているが、実際に行った事はない。

『詭弁ね。あなたは確実に墜ちるわ』
「やれるものなら、な」


 やはりバレたか。

 如月は内心で舌打ちをしながら、あくまでも冷静に言い返した。

『くっくっく。貴様らしい。おおっと、目覚めの時間だ』
『じゃあ、また後で会いましょう。紅蓮の覇者・如月耀』

 如月の意識が、急速に遠のいていった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


 まず感じたのは、鼻にツンとくる消毒液の匂い。
 そして目を開ければ、真っ白な天井が視界に入って来た。

「………保健室か」

 如月がそう呟いた直後、間仕切りのカーテンが勢い良く開かれた。

「やっと目覚めたか」

 現れたのは、煙草を加えた、誰かに良く似た女性だった。

「校内は禁煙ですよ」
「うるさい。怪我人は黙れ。そして煙草は身体の一部だ」

 如月の注意に対してその女性はそう言うと、踵を返した。
 だが、如月の次の一言でその動作は止まる。

「科学省の高松先生は元気でしたよ」
「そうか。あの馬鹿姉の事だ。どうせ下らない事しか言ってなかっただろう?」

 女性は不機嫌そうな口調で尋ねた。

「ええ。ですが高松先生。妹さんのあなたを随分と気にしてました」
「ほう?」

 姉・高松のその行動がそんなに珍しかったのか、思わず感心したような声を上げる妹・高松。

「煙草の吸いすぎでクビになっていないかと」

 直後、妹・高松は鼻で笑った。

「はっ。なめんじゃないわよ。私の保険医としての技術は、瑶(はるか)姉と互角なのよ」
「そうですか」

 如月はいかにも興味がないといった口調で言った。

「つまらないと言わんばかりだね」

 三白眼で睨む妹・高松を尻目に、如月はベッドから降りた。

「ありがとうございました。授業のほうへ復帰します」
「そうか。軽度の打撲だが、内臓に異状があるかもしれない。放課後は医学部に行け。後で書面を渡す」
「分かりました」

 如月は、一礼すると保健室を後にした。
 朝はいつも喧騒で満ちる廊下に人気はない。
 チラリと自分の端末で時刻を確かめる。

「もう二限目の半ばか。急いだ方がいいな」

 腹部の痛みなどどこへ消えたのか、如月は軽快な足取りで二階の教室に向かった。
 ちなみに、保健室は昇降口から百メートル東に移動した場所にある。



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