第七章


[09]疑惑G


ギルバートが灯りを増やし、室内は歩き回るのに不自由しない程度の明るさになった。

そろそろと扉を潜ってきた国境警備軍の二人は、客人の部屋に緊張している様子だ。だが、興味もあるのか部屋のあちこちに首を巡らせている。

特にギディオンは不躾に部屋中をキョロキョロと見回し、見かねたラトウィッジに肘で小突かれていた。

それは丁度、ギディオンが続き部屋の開いた扉に視線を向けた時、二人の前にはいつの間にか灯りの調整を済ませた従者が影のようにひっそりと立っていた。

そして丁寧に桃嵩国式の礼をとる。

「申し遅れましたが、私、従者を勤めておりますギルバートと申します。以後お見知りおきを」

国境警備軍の二人より若いに違いないのに、そのどこまでも落ち着いた佇まい。室内灯に光る琥珀色の瞳が底の見えない深淵さえ感じさせる。

ギルバートはスッと手を差し伸ばし、二人をいざなう。

「では、どうぞこちらへ」

「・・・・・はい」

何だか有無を言わせない迫力の若者ギルバートに、普段は遠慮も気賀ねもない二人が思わず素直に従ってしまう。

そのことに内心首を傾げつつ、部屋の奥へと進む二人。


一歩踏み込むごとに室内にたゆたう甘い薫りが濃く強くなり、ゆうらりとした紫煙が全身を包む。

霧の中を歩くような不確かな感覚。だが不思議と不快ではない。


「・・・姫様、ハーディス様のお使いの方々です」

先程まで休んでいた主人を思ってか、柔らかい声音でギルバートが二人の来訪を告げる。

部屋の最奥にしつらえられた豪奢な寝台には、天蓋からさがる薄い紗々がぴっちりとその周囲を隙間なく覆い、姫君の姿を見ることは出来ない。

だが、寝台にも小さな灯り取りが置かれているらしく、薄くて白い紗々全体が輝いている中に、姫君のほっそりとしたシルエットが仄かに浮かび上がっていた。

勿論、期待していた姫君の顔はよくわからない。だが長い髪を梳き下ろし、寝台の上で身を起こしている姿には高貴な雰囲気が感じられる。

部屋中に漂う甘い香の薫りとも相まって、神秘的にすら見えた。

如何にも深窓の姫君という感じだ。

実際は旅芸人一座に紛れて登城し、彼らの主君ハーディスに取り入ったというとんでもない王女なのだが。


彼らに事情を話し、護衛を命じたハーディスの端正な顔は、実に楽しそうだった。












「・・・・・護衛、ですか?」


それは今より半刻程前のこと。

すっかり深夜と言える時間にハーディスの自室に呼び出されたラトウィッジとギディオンの二人は、唐突な話に虚を突かれた。


桃嵩国?第三王女?旅芸人?

一通りの説明を受けても訳が分からない。
だが、あからさまに裏のある臭いがする。勘のいいラトウィッジは口元を歪めた。

そして、いつもそうしているように、皇子に向かい率直な意見を述べる。


「何とも怪しく面白いですね、そのお姫様」

ハーディスはその言葉に笑みを深くした。満足のいく応えを聞いた、そんな顔だ。

「君ならそう言うと思ったよ、ラトウィッジ」

物事を何でも面白がるラトウィッジ。彼は下士官という立場にも関わらず、ハーディスとは主従を越え、友人とも言える関係にある。

それは腐れ縁の同僚ギディオンも同じだ。

ハーディスの、身分を気にとめない点がここにも現れていた。






大半が騎馬民族出身者で構成されている国境警備軍は、良くも悪くも古風で男臭い集団だ。仲間意識が強く、義を重んじる。

良家の子弟、そしてその多くが騎士である近衛連隊や他の騎士団の忠義の精神とは似ているようで全く違う。

彼らの正義は強さ、力だ。力さえあれば一兵卒から士官になることも容易い。
そしてどんなに野蛮で無法者な集団に見えても、力ある上官に絶対服従が課せられる。完全実力主義の厳しい縦社会でもあった。

文句があるなら昇格試験に合格し、上まで登りつめろということだ。

しかも建国したての頃は決められた試験などなく、勝手に上官に果たし合いを申し込み、勝てば首がすげ替えられるという恐ろしく大ざっぱな状態だった。
それをアドルフより国境警備軍の指揮を一任されたハーディスの伯父イディオンが、日々決闘の絶えない殺伐とした軍内に規律を作ったのだ。





ある日、イディオンは彼の右腕グレイ=オーファンとともに、兵舎のいたるところで繰り広げられていた決闘に残らず刃を挟み、申し込んだ兵士もそれを受けた上官も叩きのめした。

激動の時代、アドルフ皇王とともに渓谷砂漠を駆け巡ったイディオンは恐ろしく強い。
そして砂漠の黒牙グレイはもはや鬼神。

二人の通った後には、腕自慢の兵士も腕っ節で尊敬を集めていた士官たちも一人残らず倒れ伏し、みな揃って兵舎の土を味わう羽目になった。

己の血と汗の中で、自分たちの力量がまだまだ未熟であると思い知らされた兵士に、イディオンは言い放った。


「国境を守り、ひいては国を守るお前たちが争事を招いて何とする。国境警備軍全員は同士であり家族である。今後は私闘の一切を禁じる。禁を破りし者は私かこのグレイが真剣にて直々に相手をする故、心しろ!」

それは処刑と同義、いや、むしろ一瞬で片が付く処刑の方がマシかもしれない処分だった。


今攻め込まれたら国境警備軍は間違いなく全滅する、というヒドい有り様までぶちのめされた兵たちは、その言葉に顔面の血が音をたてて一気に引いた。

この二人に真剣で相手をされたら、土を味わう暇などなく血の海に沈むこと間違いない。想像すると生きていると実感出来る口内の土が美味に思える。


国境警備軍全員、イディオンの言葉に瞬時に従ったのだった。


こうして、国境警備軍では昇格は年二回の試験によるものと定められ、軍全体が一家族とばかりに結束を固めていったのである。








「ハーディス様はそのお姫さんがお気に入りなんスね。どんな人ッスか?美女?」

ギディオンが興味津々といった顔で尋ねる。
ラトウィッジより敬語が苦手なギディオンは更にくだけた感じだ。

ハーディスは益々楽しそうな笑みを浮かべ、グラスに注がれていた強い蒸留酒を喉に流し込む。

夜中に茶を飲んでしまったせいか、宴の席の酔いはすっかり冷めている。だが素面でも心が沸き立つようなこの気持ち。

ハーディスは自分が心からこの状況を楽しんでいることを自覚した。

「とびきりの美人さんだったよ。でも私は中身の方が気になるかな」

悪戯っぽく微笑むハーディス。

下士官の二人は思わず身を乗り出す。

見つめられたハーディスは新たな酒を注いだグラスを掲げ、光に透けて揺れる液体を眺める。深いガーネット色の蒸留酒が一瞬、燃えるような朱金色に瞬いた。



(・・・・・玉眼、ね)

思い出すのは美しく鮮烈な瞳。
右目の紺碧の空とは対照的な激しい火の色。


ハーディスはグラスを傾け炎を飲み込む。

「きっと君たちも退屈しないよ。あの姫君はこの国に変革をもたらす」


それはもはや確信だった。












「・・・・・ハーディス様の使いとか」

柔らかくゆったりとした声が、寝台と距離を置いて直立している国境警備軍の二人に掛かる。

高くも低くもない不思議な声音。それでいてしっとりと女らしい余韻が耳に残る。

心地よい響き。だが、二人は少し意外に思った。

若い姫君と聞いていたので、もっと高く可憐な声を想像していたのだ。


(随分と落ち着いているな。深夜だからか?いやでもこの声・・・)

決して聞き覚えのあるものではない。口調も、高貴で品のある緩やかな抑揚もまるで違う。

だが、直感でラトウィッジは「似ている」と思った。



あの不可思議で変人で、非常に魅力的だった毒操師殿に。



「・・・・・おいっ」

突然ギディオンから袖を引かれる。

その瞬間、己の考えに没頭していたことに気付くラトウィッジ。声に気を取られ、まだ姫君の質問に答えていなかった。

ふと隣のギディオンを見る。

同僚の顔には、何と答えたらいいのかわからない戸惑いが浮かんでいた。


・・・・・考えるのは後回しだ。


ラトウィッジは気持ちを切り替えた。


「はい、私は国境警備軍第6士団所属、ラトウィッジ=シアンと申します」

直立のまま軍隊式に敬礼して名乗る。

隣のギディオンもそれにならい、寝台に敬礼した。

「オ、わ、私も同じく国境警備軍第6士団所属、ギディオン=ディグルでス」

二人の敬礼を受けた紗々の中の姫君が、僅かに頷いたように見えた。


「国境警備軍・・・・・私の護衛をしていただけるのでしたね。宜しくお願いいたします」

礼を言うソーニャ。だがその後紗々の向こうで首を傾げる。


「 ・・・・・でも、何故お二人が?」



国境警備軍はその名の通り他国の侵略から国境を警護することが仕事だ。
昨日ラトウィッジとギディオンがハイルラルドに居たのもたまたま非番だったからで、勿論通常は国境沿いの見張り塔兼兵舎に詰めている。

それが何故皇城内で客人警護をするのか。

本来、要人の警護は国家警備軍の仕事。皇王が住まう皇城内を警備し、万が一にも忍びこんできた賊や攻め込む敵から皇王を始めとする国の中枢、要人を守る。

いくらハーディスが招き入れた客とはいえ、国境警備軍がわざわざ出張って来るなど普通では考えられない。


ラトウィッジはソーニャの当然とも言える質問に、しかし僅かに眉を挙げた。

好きな男と結ばれたいが為に駆け落ちをした王女が、護衛の所属に興味を持つとは思わなかったのだ。

これが男性であれば納得もいく。他国とはいえ政治的思惑に無関心ではいられないからだ。


王族なら当然か?


桃嵩国は政治と宗教が絡み合う国。覇王という絶対的存在が支配するエナルより、王以外の王族が担う役割は大きいのかもしれない。


「我々はハーディス皇子が入城されるまで護衛を勤めておりました。皇子が皇城に入られてしまえばお役御免。後は帰られるまで待機しているだけです。そうですね。言うなれば、我々が暇だった、ということでしょうか」

丁寧に、だがあっさりと告げるラトウィッジ。

暇だったなどと、一歩間違えれば不敬として客人の怒りを買っても仕方がない発言だ。

現に隣のギディオンが目を見開いて仰天している。

勿論ラトウィッジはあえてそのような言い方をしたのであり、このお姫様が期待通りの反応をするか試していた。

「おい」

ギディオンが小声で囁き袖を引く。だがラトウィッジは涼しい顔だ。



その場に暫し沈黙が流れた。



「・・・・・ハーディス様に、お気遣い感謝いたしますとお伝えください」

数瞬の後、王女ソーニャは柔らかく情感豊かにそう告げた。

「・・・・・」

ラトウィッジが口元を緩ませ、会心の笑みを浮かべる。

「かしこまりました」

そうして軍隊式敬礼ではなく、深々と頭を垂れたのである。

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