第七章


[08]疑惑F


真夜中過ぎ、一等の客間にて行われていた非常に重要でひそやかな密談は、突然のノック音に中断を余儀なくされた。

小さく控え目なノックは急を要するといった感じではない。
恐らくソーニャが休んでいたら明日にしようという程度のものだろう。


室内の三人は無言で顔を見合わせる。


目は口ほどに物を言う。無言のまま意志疎通がはかられる。



(どうします?)

(出る?無視する?)

(出た方がいいでしょう)

(では、誰が出るんだ?)


視線とジェスチャーで話し合う三人。

そこで互いに自分の立場を振り返ってみる。


まずソーニャ。
言わずと知れた桃嵩国王女で国の客人だ。今日からこの部屋の主でもある。通常であれば部屋の主が出るのが当たり前だろうが、立場は王女。
いくら自室とはいえ自ら出迎えるのは体裁が悪い。


次に王女の恋人で護衛役の異国の剣士サイス。
護衛であれば王女の代わりに戸口に出るくらい問題はない。
だがサイスは言葉がわからない。また、いくら恋仲とはいえ、真夜中に女性の部屋にいると知られるのは憚られる気がする。



(・・・俺が行くよ)


消去法によりギルバートが手を挙げた。

確かに従者であれば主人の代わりに応対することも、身の回りの世話の為、主人の部屋にいることも不思議ではない。
また従者は高貴な姫君にとって男のうちには入らない。男性の従者が姫の入浴の世話までする国もあるくらいだ。




結果、意見の一致した三人は頷きあい、行動を開始した。


サイクレスは音をたてないよう細心の注意を払いながら続き部屋まで辿り着くと、扉を開け放したままその陰に身を潜める。

蒼は豪華な天蓋付き寝台に音もなく滑り込み、紗々に隙間が出来ていないか確認する。
沈みそうなほど軟らかい寝台は、蒼の体をすっぽりと包み込み、紗々に囲まれていなくとも外から姿が全くわからない。


一人残ったギルバートは急いで乱してしまった髪を再度丁寧に撫でつけると、服装も隙なく整える。

そして、二人の準備が出来た事を確認し、意図的に足音をたてて扉に歩み寄った。



「どなたですか?」



部屋の主が既に寝ていることを悟らせるように、極力声を落として尋ねるギルバート。

対する扉の向こうもギルバートの意図を汲み取ったらしく、小声で応えた。


「このような時間に申し訳ない。ハーディス様より言付かった者です」


低く、それでいて酷薄そうな響き。まだ若い男の声だ。

寝台と扉の影で息を潜めつつ聞き耳をたてていた蒼とサイクレスは、心の内で首を捻った。



(・・・・・この声)

(どこかで・・・・・)



二人の反応など知るはずもないギルバート。扉を締めたまま再度尋ねる。

「主は既に休んでおります。お急ぎのご用件でございましょうか」

密やかなノックの音で急ぎではないことはわかっていたが、何もわからぬフリをして応対するギルバート。

それを受けた扉の向こうでは、何やら短いやりとりが行われている。どうやら一人ではないらしい。



「いえ、我々は客人の警護を命じられご挨拶に伺っただけです。お休みであれば明日に改めてさせていただきます」

「俺たち、ここで朝まで警護してまスから」


低く酷薄な声がそう答えた直後、突然野太い声が廊下と部屋中に響く。


「っ! ば、馬鹿っ!」


如何にも粗野で敬語に馴れていない印象の声は、本人は抑えたつもりらしいがかなりの音量で、慌ててもう一人が止めたが、完全に手遅れだった。



気まずい沈黙がその場を支配する。




一方、首を捻りながら自分の記憶を辿っていた蒼とサイクレスはその瞬間同時に閃いた。




((この声っ))






カタン


沈黙の後。部屋の奥、天蓋付き寝台から小さな物音が起こった。

次いで衣擦れの高い音は、寝返りをうってシーツが擦れたよう。


「・・・姫、ソーニャ様?」


ギルバートが恐る恐ると言った体で寝台を振り返る。

勿論、蒼が眠っていないことは承知してる。だがここは先程の大声で起こしてしまったかと心配するのが正しい従者の反応である。



サラッ


またしても衣擦れ。今度は明らかに意図したもので、ギルバートの呼び掛けに応えたようだ。


「・・・失礼、主が目を覚ましたようです。どうぞそのままお待ちください」


扉の外にそう言い残すと、また足音を立てて寝台に近付く。




「姫様、お休みのところ申し訳ございません」

顰めているがよく通るギルバートの声は、扉の外にも聞こえるよう計算されている。

対して、姫君ソーニャの声は全くわからない。

だが時折聞こえる衣擦れの音で、ソーニャが目を覚ましているのは明らかだった。







「・・・・どうしたの?」

会話をカモフラージュしつつ、ギルバートが殆ど唇の動きだけで尋ねてくる。


「・・・護衛の方ですが」


蒼も微かな声だ。

「私とサイスさん、どうやら面識があるようです」

「え?知り合い?」

仄暗い紗々の中、ギルバートの輪郭が驚きを表して揺らぐ。

「ええ。知り合いと言っても、ほんの数時間のお付き合いでしたが」


手短に事情を説明する蒼。

その間、姫君との会話を装うギルバートが、適当な相槌を打つ。


「・・・はい、・・・・・ああ・・・・・・いえ・・・・・そのような・・・・姫・・・」



しんと静まり返った室内と廊下に、ギルバートの相槌だけがポツポツと雨垂れのように響く。







「・・・・・と言うわけなのです」

「りょーかい」



事情説明が終わると、ギルバートは軽く手をあげて続き部屋に視線を送った。

そこには身動き一つせずに様子を伺うサイクレスの姿。さすがは武人。岩のような不動さだ。

ギルバートの合図に気付き、僅かに首を巡らして闇の中で視線を合わせてくる。

そのサイクレスにギルバートは手のひらを向け、押し出すような仕草をする。

どうやら奥に行けということらしい。

意図を察したサイクレスはジリジリと扉から奥に下がる。黒く染められた顔はそれでなくとも闇に溶け込みやすい。

直ぐにサイクレスの姿は全くわからなくなった。



「・・・では姫、そのように」

姫との会話を締めくくったギルバートは、寝台から離れると再び扉に歩み寄った。



「どうぞお入りください。姫様がお会いになるそうです」


扉の向こうに、そう声をかけた。











静かな皇城内、客室からの入室の許可に、ハーディスより護衛を命じられた二人は顔を見合わせた。


「・・・・・」

「・・・・・」

二人ともまさか姫君との目通りが叶うとは思っていなかった、といった顔だ。

実は、護衛にあたり客人に挨拶をしろとは指示されていない二人。
客が異国の姫君だと聞き、こんな夜中ではどうせ断られるだろうからと、軽い好奇心で声を掛けてみただけだったりする。



「・・・・・おい」

粗雑な方の男が扉の真ん前にいる同僚に囁く。

「静かにしろ」

対して小さいが鋭い声で制する同僚の男。

「でもさ、どうすんだよ」

更に声を落とす。

「黙ってろって。大体お前の大声でお姫様が起きちまったんだろ」

相手の方も扉の向こうに聞こえないよう注意を払いつつ、応える。



そのとき、高い位置に設置された窓から月明かりが差し込み、二人の姿を照らし出した。



鋭利な刃物を思わせる容貌は扉の前にいる男。
整っている部類に入るのだろうが、常に油断なく光る薄氷のような青灰の瞳が冷酷そうな印象だ。
癖の少ない、やや長めの髪は濃い茶色で、襟足が軍服と思しき上着に掛かっている。
また、サイクレス並みの長身に一見すると細身にさえ見える体躯は引き締まり、無駄な肉が一切付いていない。
隙のない身のこなしから男が武術に秀でていることがわかる。



もう一人は、軍服の上からでもわかる小山のような筋肉の巨漢。上背は隣の同僚よりも更にある。
全身縦横無尽に傷が走り、特に右こめかみから頬への傷はザックリと深く迫力満点である。
男の荒削りの顔立ちと、無造作に刈られた燃えるような銅(あかがね)色の髪と相まって、かなりの威圧感だ。
だが、木の実のような艶のある茶色の瞳には素朴な色が浮かび、大らかな性格が伺い知れる。
見た目程には凶悪では無いのかもしれない。





ハーディスから客人ソーニャ姫の護衛を命じられ、扉の外にいたのは、昨晩街の居酒屋海牛亭で蒼が出会い、結果いいように使われてしまったあの国境警備軍の二人だった。




「成るように成るだろ、会ってくれるって言ってるんだから」

扉の前、ラトウィッジが後ろのギディオンに囁く。その瞳は例によって好奇心が浮かび、面白がっている。

「・・・お前、楽しんでるだろ」

呆れた様子のギディオン。長年付き合っているが、同僚のこういうところは理解出来ない。

「こうなりゃ、楽しんだ方が得だ。腹括れ、行くぞ」

ラトウィッジがそう応えたと同時に目の前の扉がゆっくりと開かれた。


「どうぞ」

二人に応対した男が扉の影から現れ、軽く会釈をする。

真夜中の不意の訪問にも関わらず、男は身なりをきちんと整えており綺麗に撫でつけた髪にも乱れは無い。

目尻が垂れ少し甘く見える端正な顔は、感情が全く面に出ておらず、出来た従者であることが伺える。

さすが姫君、従者も一流といったところか。


「お入りください、姫様がお待ちです」


月明かりで冴え冴えと明るい廊下に比べ、扉の向こうはほの暗く、落とした照明の光がチラチラ瞬いている。

また、香を焚いているのか、ふんわりとした柔らかい香りが扉から流れ、二人を包み込む。
その場にいる者を夢見心地にさせるような、そんな安らぐ香りだ。

「・・・・・」

一瞬惚けた気分になった二人だが、一歩踏み出す前、もう一度互いに目を合わせて頷きあうと、意を決して扉を潜ったのである。







ラトウィッジとギディオン、国境警備軍下士官の二人が加わったことにより、蒼たちの潜入は急展開を迎えることになる。

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