第七章


[10]疑惑H


「全ては君たちの判断に任せるよ」

彼らの主君、エナル皇国第四皇子ハーディス・ローガン=ヴァン=エナルは蒸留酒の入ったグラスを手の中で転がしながらそうのたまった。

相変わらず楽しくて堪らないといった最上級の微笑を浮かべ、菫色の瞳をうっとりと細める。

「姫君と色々話してみるといい。実に聡明な女性だよ。従者君もくわせ者で興味深い」

主とその愛する恋人を実直に守る従者。彼は常に周囲を冷静な眼で観察し、主以上に油断ならない。

「従者、ですか?」

「そう、姫君の忠実な僕さ。侮らない方がいいよ」

痛い目を見かねない。

暗にそう言われ、国境警備軍の二人、とりわけギディオンが興味を示す。

「その従者、強いんスか?」

これぞ国境警備兵の見本とも言うべき男ギディオンは、思考回路が単純に出来ている。

力、強さが全てなのだ。

ハーディスは器用に片眉を上げた。

「どうかな、単純な力の程はわからないけど、奸計や腹芸は得意そうだから手強いんじゃない?」

あっさりとした口調、だがそれを聞いたギディオンは「げっ」と呻く。

「腹芸っスか? ああ俺駄目、パス。そんな奴の相手無理っス」

天井を仰いで手を挙げるギディオン。
その反応にラトウィッジが呆れた顔になる。

「そうやってお前はいつも力業ばっかりだ。たまに頭も使わないと脳が退化するぞ」

「うるせーな、俺たちゃ兵士なんだから頭なんてどーだっていいんだよ。ただ言われたときに言われただけの仕事が出来りゃあな」

ギディオンは傷の走る頬をしかめ、きっぱり言い切る。

「どうせ俺たちの頭の程度なんて知れてるじゃねぇか。だったら無い頭振り絞るより、頭脳労働専門に任せた方が間違いないだろ?」

それは聞きようによっては、言われたことしか出来ない木偶人形になるという発言にも取れる。

だが、ラトウィッジもハーディスも知っていた。

ギディオンが従うのは、命令を出す人間を絶対的に信頼しているときだけだ、ということを。

高い教養を身につけている訳ではないギディオンには、それよりも希少な、天性の勘とも言うべきものが備わっている。

ラトウィッジのような、経験と頭の回転の速さがもたらす閃きではない。
それは、どこか野生動物を彷彿とさせる、相手の力を察知する直感。

ギディオンが人の技量を見誤ることはない。

彼が従う人間は例外なく才に秀で、その時は無名でも、いずれ頭角を現す者が殆どだ。

また彼自身、確かに計画を立てることは苦手かもしれない。だが、決して無能などではない。

寧ろ、与えられた状況下で最大限の効果を挙げる能力は、国境警備軍でも抜きん出ている。

下士官ともなれば多少なりとも部下を抱えることになるが、その部下たちからの信頼は絶大。
そして上官たちは、ギディオンを従わせることが出来るかを密かに出世の指標としている。

誰にでも従う訳ではない、勝手気ままで誇りも能力も高い男、それがギディオンであった。





「・・・強いと言えば、姫君の恋人の方かな」

空になったグラスをテーブルに戻しながら、ハーディスは三杯目をどうしようか考え、今度は同じ酒に少しライムを搾る。グラスの中の深いガーネットは瞬時にルビーのような明るい赤に変わった。

清涼さの加わった酒を香りを楽しむように飲み、二人に目を向ける。

「彼女の恋人は護衛も兼ねているそうだよ。
いくら旅芸人一座に紛れていたとはいえ、追っ手は架かった筈だから。それを退けてここまで来たとなると、かなりの腕利きだね」

黒髪に黒い肌、瞳の色は暗い隠し扉の前ではよくわからなかったが、耳元で揺れる瑠璃の耳飾りが印象的だった男。

あの気丈なソーニャが恋人には頼りきりで、言葉は無くとも互いの結びつきの深さを強く感じさせられた。

「・・・・・」

思い出すと少し面白くない気分になる。だがそれを自覚した途端、今度は自嘲気味の笑みがこぼれた。

どうやら自分で思っているより、ソーニャを気に入ってしまったらしい。

「お姫様に辺境の剣士とは変わった取り合わせ。山岳の桃嵩国でどうやって知り合ったんでしょうかね」

辺境の剣士の腕が立つことよりも、人間関係が気になるラトウィッジは腕を組んで考え込む。

そのラトウィッジの肩に手を回し、寄りかかって身を乗り出すギディオン。

「おいおい、そんな出刃亀目線どうだっていいじゃねぇか。
それより辺境の剣士なんて面白ぇよ。皇子、そいつの得物は何でした?」

腕利きと聞き、早速反応を示す。

「得物? ああ、そういえば背中に長剣を背負っていたね。
でも、皇城内は国家警備軍以外武器の持ち込みが不可だから、剣を模した木刀だと姫君が言ってたな」

小部屋に入る前、念の為にとソーニャが見せてくれた黒い刀身を思い出す。

金属のような鋭い輝きはないが、使い込まれた艶を放つそれは、随分と重そうだった。
木刀とはいえ、あれだけのモノを剣の遣い手が繰り出せば、充分武器として通用する。護身用には過ぎる程だ。

ギディオンにそう説明してやると、黒い瞳が益々輝く。まるで好奇心旺盛な子供である。それにしては、多少どころでなくガタイが良すぎたが。


「背中に大剣なんて、何だか近衛のあんちゃんみたいっスね。ほら、お月さんみたいな髪した」

その言葉に、ハーディスは老け顔の現在行方不明だという妹の部下を思い出す。

「ああ、そういえば。似ているかもしれないね」




近衛連隊第二中隊長サイクレス=ヘーゲル。銀髪に藍色の瞳、見目麗しく武人として抜きん出て優れた能力を持つ青年。

彼は近衛兵舎の外では常に大剣を所持し、連隊長ジュセフの傍を決して離れない。

その為ジュセフの存在を疎ましく思い、隙あらば足元を掬おうと画策している貴族連からは、腰巾着だの金魚のフンだのと散々に言われている。

だが本人は全く気にする様子がない。それがまた貴族たちのかんに障るのか、サイクレスを目障りだと思う人間は思いのほか多い。


一方ハーディスはというと、そんな貴族連の穿った考え方に呆れるばかり。

サイクレスとは別に親しい間柄ではない。だが幾らか観察すれば、性格など容易に知れる。

あれ程単純で分かり易い人間も居ないだろう。

主君の為に全力で腕を磨き、全身全霊をかけて守護するサイクレスにあるのは、主君ジュセフに捧げる絶対的な忠誠だけだ。

「あのジュセフ一筋な中隊長君は今頃どうしているのかな。彼の剣はジュセフだけに捧げられたもの。盲目的にジュセフに心酔しているから」

ハーディスの言葉に、下士官の二人は思わず近距離で見つめ合う。

「・・・・・」

「・・・・・」

まさしくその通り。宿屋の出来事はつい昨日の話だ。

まさか、主君を罠に掛けた人間の暗殺を企んでいますとも言えず、無言になる二人。

(それにしても・・・)

サイクレスとはまともに話をしたこともないだろうに、ハーディスの観察眼にはラトウィッジも舌を巻く。

派手な出で立ちとパフォーマンス。楽しいことが大好きだと公言し、気紛れで好き勝手している末の皇子という顔の下の、本質を見抜く確かな目。

それこそが荒くれ者の集団、国境警備軍の男たちを惹きつけ、支持される最大の理由である。



そしてまた、ハーディスも国境警備軍の二人もわかっていた。

主であるジュセフが居なくなれば、サイクレスがどうなってしまうのかを。


(・・・ジュセフを死なせるわけには、いかないのだろうね)

それはここの所ずっと心に掛かっていたこと。

ハーディスは残りの酒を煽る。

強い酒に喉が灼ける。だが今日は、いくら呑んで酔いは訪れそうになかった。














(・・・やはり、この二人か)

紗々を巡らせた寝台の中で、敬礼する二人を見やる蒼。

鋭利な顔立ちのラトウィッジに傷だらけのギディオン。

昨晩、蒼にいいようにこき使われた国境警備軍の下士官だ。

(こんなに早く再会するとは)

さすがの蒼も予想外だ。

しかも、ラトウィッジに是非会わせたいと言われたハーディスとは、既に接触済みときている。

(まあ、会わせたかった気持ちもわかるが・・・・・)

確かにくわせ者で奥が深く、面白い皇子だった。

だがこれで、より注意深い行動が必要となってしまった。

(ラトウィッジは勘がいいから)

蒼のときには顔を見せていないし、ソーニャになってからは声色を変え、話し方に感情も抑揚も付けている。

普通の人間ならば、多少の引っ掛かりは覚えても、似ているくらいの認識しか持たない筈。

だが、ラトウィッジが相手ではわからない。

二人とのやり取りの中、蒼の思考がめまぐるしく回る。

そこへ。

「・・・我々が暇だった、ということでしょうか」

不意にラトウィッジがそう答えた。

引っ掛かる言い方。失敬とも言える。

何気なく聞いた質問に、こんな挑戦的な回答が来るとは。

(何を企んでいる?)

思考を巡らす蒼。ラトウィッジのような人間がうっかり発言をするとも思えない。

(・・・暇、護衛、待機)

ヒントとも言える発言を思い返す。

沈黙が支配する室内に濃い薫香がたゆたう。

そして―――。

「!」

・・・そういうことか。

結論を導き出した蒼は、紗々の中で姿勢を正した。

紗々の外からでも、ソーニャの様子が改まったと見えたに違いない。



「・・・・・ハーディス様に、お気遣い感謝いたしますとお伝えください」

そう告げたソーニャに対し、直立だったラトウィッジが実に優雅な一礼を披露した。


(・・・やはり)


蒼は確信する。

ハーディス専任の護衛、それは守るべき対象は一人だけということ。

彼らにハーディス以外を守る義務はなく、また他の仕事に回されることもない。それだけ信頼されており、ハーディスからの要請で、いつでも出動できるよう待機しているに違いない。

その彼らがソーニャの護衛となる意味。

ラトウィッジは、ハーディスがソーニャを特別扱いし、その身の安全には絶対の責任を持っている、と言いたいのだ。

そしてそれをソーニャは察することが出来るか、挑発するような言い方で試した。


(全く・・・・)


不敬をはたらかれたと騒ぎ立てることは出来る。だが、彼らからの信頼は二度と得られなくなるに違いない。


どいつもこいつもくせ者ばかりだ。

気付かれないようそっと溜め息をつき、視線をあげると、ラトウィッジの満足そうな顔に気付く。

(・・・こちらも利用させてもらいますよ)


彼らを取り込むことは必要不可欠であった。


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