第七章


[11]疑惑I


「改めまして。私の名はトウ・カ=ソーニャ。政務長官ハウエル=ヒューレット様預かりにて、今日からこの城に滞在させていただくことになりました」

王女はそう名乗り、ふんわりと一礼した。

紗々の外、直立していた国境警備軍の二人もそれを受け、改めて敬礼する。

ゆっくりと身を起こし、顔を上げる王女。その姿は凛として、正面の二人をしっかり見据えている。

朧気な輪郭にも関わらず伝わってくる強い視線に、自然と背筋が伸びるギディオンとラトウィッジ。

「・・・私共の事情は、既にハーディス様から伺っていらっしゃるかと思います」

深く落ち着いた声には、王族の風格とも言うべきものが備わっていた。

「・・・・・はい、姫様は我が国への亡命を望まれているとか」

代表してラトウィッジが答えると、王女は小さく頷いた。

「その通りです。私たちの目的は貴国への亡命。
この国でなら、私とサイスは結ばれることが出来る」

思いのほか強い口調はソーニャの決意の顕れだろう。

「母国、桃嵩国では異国の人間との婚姻は許されておりません。
でも、私はサイスと出会ってしまった・・・」

王女の影が微かに俯き、両手を胸の前で組み合わせる。

「・・・私たちは言葉が通じずとも強く惹かれあいました。そう、まるで二つに分かたれた魂が戻ってきたかのように。
・・・もはや離れることなど出来ません。婚姻を国が許さないのであれば、捨てるまで」

きっぱり言い放つソーニャ。静かな、それでいて熱の込められた口調には何の迷いも見られない。

「・・・・・」

「・・・・・」

対する国境警備軍の二人は返答に詰まった。

ソーニャの言い分は、普通に見れば世間知らずなお姫様の単なる我が儘だ。

王族の結婚は言わば義務と役目。婚姻という契約が、国をより良い方向へと導く結び付きを作る。

かく言うエナル皇王アドルフも、婚姻を効果的に活用した一人である。全ては国の為、民の為。王とは、国にその身を捧げる、国と結婚した者であり、王族はその王に隷属する者なのだ。

豊かな国を造るという、アドルフの揺るぎない信念とそれに基づく選択により、周辺諸国に至宝の国と称される現在のエナルがある。

今し方のソーニャの発言は、王族という自分の立場を理解していないだけでなく、ともすればアドルフ王への批判とも取られかねない。普通の人間が聞いたならば眉を顰めることだろう。

だが、ラトウィッジは微かに片眉を上げただけに留めた。


(夢見がちで子供っぽい動機。だが本当にそれだけだろうか)

ハーディスの話では、ソーニャは非常に聡明な女性だという。それが果たしてこのように浅はかな考え方をするだろうか・・・・。

ラトウィッジはソーニャの真意を量ろうとした。

「・・・姫様は巫女であったと伺いました。貴女はご自身の幸せの為にその役目を放棄されたということですか?」

敢えて辛辣な言葉を返したのは、ソーニャの反応が見たかったから。

「な、無礼なっ!」

主を非難する言葉に、寝台の後ろに控えていた従者の方が憤る。

「ソーニャ様は民のことを誰よりもお考えになられておられます!放棄などではございませんっ」

「・・・黙っていなさい、ギルバート」

主人への侮辱に猛然と反発する従者を、ソーニャ自ら窘める。

「この方がおっしゃられたことは紛れもない事実です。私は国だけでなく、民を含む全てを捨ててこの場所におります。そのことを忘れてはなりません」

ラトウィッジの非難を当然だと受け止めるソーニャには、国を出たことで自身が何を切り捨てたのか正確に理解していた。

「・・・ですが」

ギルバートが尚も食い下がる。余程主人の身の潔白を証明したいらしい。

「聞こえなかったのですか?下がりなさいと言いました。ここはお前の出る幕ではありません」

だがそれも、主の威厳でピシャリと黙らせる。

「・・・・・」

さすがの従者も口を噤んで引き下がった。

「お見苦しいものを・・・申し訳ありません」

国境警備軍の二人に謝罪したソーニャは、静かに語り出した。






「私は幼き頃より巫女姫として、国と民の為に身を尽くして参りました。
祭事を取り仕切るのは王族の役目。それは王宮内だけでなく、国中全て同じです。私は要請さえあればどこにでも出向いて行きました。
私にとって、民に尽くせることはこの上ない喜びだったのです」

慈愛に満ちた声、その心に嘘は見えない。しかし次の瞬間、紗々の中の声は狂おしいものへと変貌する。

「ですが、私が王族として居られるのはお姉様・・・第一王女が子を成すまで。
桃嵩国のしきたりにより、世継ぎが決定した後、長子以外の王族は臣下に下らねばなりません。そしてそれが女性の場合、定められた相手と結婚しなくてはならないのです」

声に苦悩を滲ませたまま国の事情を語るソーニャ。

耳を傾けていた国境警備軍の二人が一瞬だけ顔を見合わせる。

ラトウィッジもギディオンも桃嵩国の事情に詳しくない。ましてや王族のしきたりなど一般にも知られていないこと。
二人には話の正否を判断することが出来なかったのだ。

だが、嘘と決めつけてしまうにはあまりにもソーニャの様子は真に迫っている。

勘の鋭いラトウィッジでさえ判断しかねた。

「・・・姫様の姉上はご結婚を?」

思考を巡らせながら尋ねると、おぼろげな影が首を縦に振る。

「・・・・・一昨年に。世継ぎももう直ぐ産まれます」

喜ばしい話にも関わらず、その声は沈みがちだ。

「では、姫君のご結婚相手も決まっていらっしゃったということですか?」

少し不躾か?と思いつつ重ねて尋ねるラトウィッジ。

しかし今度の影は首を横に振った。

「いいえ、私に婚姻はありえません」

紗々の中、髪で隠されている左目を手のひらで覆う。
その下にはあるのは話に聞いた玉眼だ。


「この左目がある限り、私に自由はありません。・・・婚姻も、ないのです」

「それは、一体・・・」

どのような意味なのか。
ラトウィッジの言外の質問を汲み取り、王女は溜め息をついた。

「・・・玉眼の神性は、如何なる時でも変わることがありません。
・・・持ち主は命が費えるそのときまで、神の御元で祈りを捧げなくてはならない。つまり、生涯王宮に幽閉される、ということです」


「!!」



神に愛された証である玉眼。それを持つ者は神以上に愛するものを作ってはならない。

まさしく巫女、神との結婚。


「・・・・姫様に残された時間は余りありませんでした。幽閉が決まるのは世継ぎの誕生後。万が一死産の場合は無効です。ですが、それからでは遅い」

ソーニャに叱責されたギルバートがたまらずまた口を挟む。彼にとっても大事な主人が一生幽閉されるなど、耐え難いことなのだろう。

第一王女の懐妊が伝えられ、王族たちの結婚準備が着々と整えられていく中、ソーニャの身柄についても進行していったに違いない。

そして時が経つ程に逃げ出すことは困難になる。

組み合わせた手を額にあてて俯くソーニャは、まるで祈りを捧げているかのようだ。

「私は己の運命を言い含められておりました。玉眼はエンディアス神からの授かりもの。この命が神の御元へ帰るときまで、私の全ては神から離れることは許されないのだと。
王族としての役目を終えた後は、王宮内の一角にあるエンディアス神の社にて静かに暮らすつもりでした。それが自分の生涯だと思っておりました。
・・・サイスに出会うまでは・・・」

感情がこみ上げてきたのか、膝の上の掛け布をギュッと掴む。

「・・・サイスは流れの剣士でした。山岳地帯は産出される鉱物を糧にして、幾つもの集落や小国が作られています。サイスは岩山に住む獣を狩り、それを売りながら国々を旅していました」


山岳地帯に大国は無い。岩肌が剥き出しの険しい山脈に集落が分断され、一つの国に統一することが困難だからだ。

また、厳しい環境を乗り切るのに精一杯な貧しい国々に於いて、人も物資も消耗する戦など何の利益もない。

その為小国同士争いも起こらず、軍隊すらない国も存在する。

だが、生きて行く為には国交が必要不可欠だ。鉱物は豊富でも食物の実りが少ない貧しい土地では、他国からの輸入が国民生活を支える重要な生命線となる。

また、山岳地帯に生息する獣は人々にとって貴重な淡泊源。だが、岩山を俊敏に駆け回る野生の獣を狩るには、強靭な身体と相当な腕が必要だ。

その為、捕獲が出来る人間は、例え素姓が知れずとも国々で歓迎され、暮らしには不自由しなかった。

「私は城下で行われる祭事の為町へ降りていました。そして、私たちは導かれるように出会いました」

そのときの事を思い出したのか、ソーニャの声に甘やかな響きが混じる。

「神と国と民、それが私の世界の全て。でもサイスと出会い、世界はまるで違って見えるようになりました。もはや私にとってサイスの居ない世界は色の無い絵画のよう。全く鮮やかさを失ってしまうことでしょう」


サラッ



衣擦れの高い音が国境警備軍の二人の耳に届く。

「姫様っ!」


室内に響く従者の慌てた声と、それにかき消されてしまう程に軽い足音。

「私はただひっそりと祈りながら一生を終えるのではなく、愛し愛される人との生涯を選びました」

長い部屋着の裾が動きに併せて翻り、白く細い足首が薄暗い照明に浮かび上がる。

姫君は素足だ。

「王族として自分が誤っていることはわかっております」

落ち着いた声から想像していた通り、女性にしては背が高い。

スラリとした肢体。女性らしいまろみは少ないが、舞の名手らしく敏捷な身のこなしには無駄がない。

「例えサイス一人だけだとしても、私は人を幸せにしたい」

柔らかな巻き毛が姫君の肩口で跳ねる。金の粉を振り撒いたかのような艶は何の飾りがなくとも豪奢で、金と黒の対比が神秘的な雰囲気を醸し出している。

「お願いです。私たちの亡命にご協力ください。このままでは追っ手が掛かり連れ戻されてしまいます。一刻も早く亡命を成立させたいのです」

白い小さな顔。絶妙に配置された美麗な目鼻立ちは、左半分が髪に隠れていても全く遜色ない。

「その為ならば私はどんなことでも協力いたします」

透明な水と深い空を彷彿とさせる青い瞳には真摯な光が宿り、立ち尽くす国境警備軍の二人を見つめたまま目を逸らさない。


「・・・・・」

「・・・・・」


寝台から滑り降り、夜着のまま姿を現した異国の姫君に、ラトウィッジもギディオンも魂が吸い寄せられたかのように目を奪われ、一言も発することが出来なかった。


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