第七章


[12]疑惑J


身を潜め、息を殺していたサイクレスは突然開かれた扉に驚き、後ろに飛び退いた。

差し込んだ灯りが、そんなサイクレスの姿を照らし出す。

扉の前には逆光でシルエットになっている人物、蒼だ。

「お二人とも下がられましたよ」

簡潔に告げて部屋に戻っていく蒼。その姿はいつもの飄々無感情で、ソーニャの名残はもう、白く揺らめく部屋着の裾にしかない。

「・・・・・味方に付けられたのか?」

サイクレスは彼らの表情を見ていない。それに、二人に気付かれないよう必死だった為、声も聞き取れない所が多かった。

結果、肝心の結論が今一つわかっていない。

続き部屋からのっそりと現れたサイクレスに、来訪者対策でまだ服装を崩していないギルバートが肩をすくめる。

「かなりアプローチは出来たんじゃない」



最後に目を合わせたとき、ラトウィッジとギディオンの顔に浮かんでいたのは好奇心。

特にラトウィッジは退出の挨拶をする際、なりふり構わず裸足のまま頭を下げた王女ソーニャへ笑いかけ、こう言った。

「姫様、私たちは貴女を警護することが仕事です。それは如何なる場合でも変わりません。ハーディス様が命ずる限り、我々は貴女を守り抜きます」

口調は軽いものだったが、言葉の意味を理解出来ぬ程、蒼もギルバートも鈍くない。

「ハーディス皇子が命ずる限り・・・つまりソーニャちゃんを皇子様が気に入ってるうちは味方してくれるってことじゃない?」

蒼は国境警備軍の二人とハーディスとで態度を変えることはなかった。

肝心なのは、ソーニャの仕草や口調の変化はあくまで演技と心構えによるものだと思わせることだ。それには舞姫のとき、王女のとき、そして恋に生きる乙女のときとで変わって行かなくてはならない。

そして、ハーディスは目的の為には手段を選ばず役を演じきるソーニャの姿勢に惹かれ、思い入れが強く信念を貫き通そうとする姿に国境警備軍の二人が関心を寄せた。

信用されたかはわからない。だがそれぞれ理由は異なっても、こちら側への引き寄せは成功したようだ。


「そうですね。味方になるかはわかりませんが、大抵のことなら黙認してくれそうです」

髪を掻きあげて振り返る蒼。

隠されていた左目が薄暗闇に輝く。淡い金の光彩の中、濃い色の瞳が浮き上がっているように見える様は、神秘的というより不気味だ。

変わらない無表情に、企んでいるようなほの暗さが滲み出てしまっているからに違いない。

しかも、間違いなく企んでいる。

「黙認って・・・何故?」

得体の知れない迫力に圧されるサイクレス。

蒼はまた背を向けると裸足のままクローゼットに近づき、その扉を開け放った。中には持ってきた衣服がズラリと並んでいる。

「ハーディス皇子の性格なら、気に入った人間の行動はどこまでも許容する筈です」

掛けられている服の系統は様々だが、全体的に青色が多い。何か、青を纏わなくてはならない制約でもあるのだろうか。

「・・・・・どこまでも、というと?」

そんなことを思いながら重ねて尋ねる。

「人でも殺さない限りってとこかな?」

蒼に代わりギルバートが答えた。

その意見に、蒼もクローゼットの奥に隠されるように置かれていた一着を取り出して頷く。

「そうですね。線引きとしてはそのくらいでしょう。まあ要するに、私たちが多少嗅ぎ回ったり忍び込んだりしても問題ないってことですよ」

第四皇子ハーディスは変わり者で通っている。そして、心根の繊細な兄セルシウスを慕い、投げやりに見えつつも心の底では妹ジュセフの現状を憂えている。

よって、一刻も早い亡命を切望するソーニャが、それを口実にジュセフの事件を調べ歩いたとしても、恐らくやめさせはしないだろう。

蒼たちの芝居を信じているからではない。ハーディスは皇位継承者紛争で澱んだこの皇城内に、新しい変化がもたらされるのを求めているのだ。


結果、護衛に守られることでソーニャがハーディスという強い後ろ盾を得たと周囲に知らしめ、かつ皇城の中を堂々と調べる権利を得たのである。

「・・・・・」

詳しい状況を理解したサイクレスは、改めて蒼の抜け目のなさに驚いた。

サイクレスのような単純構造の人間には、もはやどこからが計算なのかもわからない。

「そう・・・ソーニャ殿、それは?」

ついて行けない、そう思ったサイクレスは質問を変えた。蒼が手にしている衣装に目を落とす。

それは黒に近い濃紺の上下だった。だが舞姫や王女のときのような鮮やかな刺繍や装飾は一切ない。
首は上まで詰まり、袖は指先しか出ない程長く作られ、下衣はズボン。裾には踵に掛けられる紐が付いており、捲れないようになっている。
布地は薄くない。だが広げたそれは寸法が小さめだ。どうやら伸縮性に優れているらしい。


蒼は衣服を胸にあて、僅かに唇の端を持ち上げ一言。



「隠密活動ですよ」





今夜もまだまだ終わりそうになかった。
















地下牢は、その名の通り皇城地下に作られている。
その為、外が見えるような窓はない。

扉には囚人の様子を窺う為の小窓と、食事を差し入れる開閉口が作られており、度々覗いてくる番兵の目元と1日二度の食事だけが外界と牢を繋いでいた。



とは言っても、この牢に来てまだ1日のファーンに、外界を懐かしむような気持ちが湧いて来るわけもない。



審議会弾劾部第四室長チビデブハゲな3拍子おやじゼルダンは、ファーンを捕らえろとしか指令を受けてなかったらしく、殺人容疑が掛かっているというのに取り調べもせず、ファーンを牢に放り込んでしまった。



「皇女の腰巾着だった貴様には、さぞや牢は屈辱的で恐ろしいことだろう。まあ、泣き叫んだところで釈放はされんがなっ」

高らかに笑うゼルダン。

ファーンを連行する際、近衛連隊の隊員に城内門まで整列の上一糸乱れなく敬礼されつつ、射殺されそうな視線を浴びせられていた時の、地面に埋もれる程縮こまった様子はもうない。

そして、ゼルダン的に栄華を誇っていたファーンは、牢に入れられるだけでかなりのダメージを受けると思っている。

下級貴族出身で3拍子オヤジだが、根がおぼっちゃま育ちなだけに想像力は薄っぺらい。

それに、自分ならこんな暗くてジメジメして息苦しく、床を虫が這いずり回るような牢に入れられたら1日で気が狂ってしまう。
そう、ゼルダンの基準はあくまで自分だ。

世の中には、暗くても湿気ってても全く気にとめず、平気で虫と共存出来る人間がいることを彼は知らない。

(平和な奴だな)

この場所に来たときの事を思い出し、自分を目の敵にするゼルダンへ僅かに思考を傾ける。

公衆の面前でゼルダンを散々貶めたファーンだったが、実は意外と嫌いではない。

家柄も年代も近い為、子供の頃から知っているゼルダンは、我が強く目立ちたがり、プライドが高い割に努力嫌いで、人の成功を妬み失敗を喜ぶという、絵に描いたような俗物である。
だが、人のいい笑顔の裏で狡猾に画策を練る人間よりも余程素直で分かり易い。

(あいつの頭じゃ、体は狸でもタヌキには成れないしな)

ただ、扱いはどこまでも低かった。





ファーンが牢に入って丸1日。今は深夜だ。

元々睡眠時間が短く、夜遅く朝早いファーンにとって、まだまだ寝る時間には早い。

牢の中は最低限の物しか置かれていないが、片隅に小さな机と椅子がある。

この1日、ファーンは大抵そこに座り、何やら壁に向かってじっと考え込んでいた。机の上には家族への手紙や日記を書かせる為の便箋とペンが置かれているのだが、手に取る様子もない。


普通、牢に入れられたばかりの人間は、無実を訴えたり暴れたり喚いたり泣き伏せたりと何かと忙しい。

だがファーンは番兵が気味悪がる程、静かで姿勢が変わらない。瞑想しているようにも見えるが、目は開いており、時々瞬きもする。

しかし、その瞬きも余りに規則正しく不気味だ。

もしや目を開けたまま寝ているのでは?、と終いに見回りに来る番兵たちの賭け対象にさえなっていた。



そんなファーンが、つと顔を上げた。廊下から漏れる僅かな灯りを、銀縁眼鏡が反射する。

拘束されてまだ一日目なこともあるが、風呂など勿論存在しない牢にあって、撫でつけた髪にも服装にも大した乱れは無い。また、着の身着のまま昨夜は固い寝台で眠りについた筈だが、服にシワも見られない。

番兵たちに益々気味悪がられる理由だ。


扉に顔を向けるファーン。まるで何かが現れるのを知っているかのように、じっと一点を見つめる。

「・・・・・」

牢内は痛い程の静寂に包まれていた。


そう、部屋の外から何も聞こえてこない。









「・・・・・お待たせしましたか?」

質問の声は突然、だが静かに響いた。

落ち着いた声。陰気な地下牢にあまり相応しくない。
だが同時に感情が読み取れず掴みどころの無い様が、空虚なこの空間に酷く似つかわしくも思える。

そして、その高くも低くもない声音にファーンも静かに応えた。

「少し」

声はごく小さなものだったが、天井や壁に反響し、牢内に大きく響く。

「それは失礼」

淡々とした声が謝罪を述べる。心は籠もって無さそうだ。

牢内に差し込む灯りに影が差す。扉の前に声の主が立っているらしい。

だが覗き窓に顔は出さず、扉の鍵を開ける様子も無かった。


「もう少し早く来るかと思ったな」

ファーンは扉に向けていた視線を正面の壁に戻し、少し揶揄するような言葉を掛ける。


「些末なことに手間取られまして」

対する扉の向こうが指摘をサラリと流した。


「・・・もう済んだのか?」

「ええ」

「それは結構」



互いに詳しい話はしない。それはこの場に不要だった。


しばし沈黙が流れる。まるでこの地下牢だけ、世界から切り離されてしまったかのよう。



それを破ったのはファーンの方だった。



「託した資料は・・・」

「読みました」

「そうか」

静かすぎる地下牢に、二人のポツポツとした声が飲み込まれていく。


「・・・質問があります」

扉の向こうの声の主、毒操師蒼は幾分か口調を改めた。

「ああ」

ファーンは特に驚くこともなく、それを受ける。

「あなたが調べられた、十年前の事件について・・・・・」


全ての発端は、そこにあるような気がした。



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