第五章


[04]罠B


「これは!」

目の前の光景が信じられず、息を飲む。

「あー、完全に包囲に入ってますね。あの制服、国家警備軍ですか」

後ろから、緊迫感とは無縁の声が状況を冷静に判断する。

「そんな、なぜ」

サイクレスと蒼、二人の目の前に広がるのは、内城壁も含めたエナルの皇宮、巨大な城だ。

そして今、玻璃の門の一端に造られた近衛連隊の宿舎の周りを、揃いの軍服を着た兵士が取り囲んでいる。

今夜は月が明るい。そのお陰で兵舎のあちこちに姿を隠し、包囲が完成するまで息を潜めている兵士たちが労せずわかる。

ジリジリと輪になっていく様子は怪しげな儀式でも始めそうで、かなり不気味だ。





二人は、外城壁に据えられた監視台の上にいた。

サイクレスには勝手知ったる外城壁。閉じられている玻璃の門ではなく、近衛連隊専用の通用口から城壁の上に登り、近衛の兵舎を見下ろしている。

サイクレスの第二中隊は瑠璃の門にいるが、連隊本部は玻璃の門。彼の上司、現在近衛を統括している副隊長ファーンもここにいる。

サイクレスは夜陰に乗じて密かに帰還するつもりだった。

だがこの様子、ただ事ではない。

「一体何があったんだ」

「どうやら、近衛側はまだ気付いていないようです。まあ、まさか内から軍を出されるとは思わないでしょうしね」

監視台は今、蒼とサイクレスしかいない。
通用口にいた宿直の近衛兵は、サイクレスを見るなり顔パスで通してくれ、付き従っている者もいない。

つまり、事態に気付いているのは自分たちだけなのだ。

「・・・・・あれは」

蒼が何かに気付いたのか、監視台の手すりを掴んで身を乗り出す。

「蒼殿?」

サイクレスも蒼の視線を追い、眼下の光景に目を移す。

視線の先には細長い箱を抱えた兵士。とそこへ、如何にも指揮官といった風体の男が近づき、箱を開けるよう命じる。

箱はかなりの長さがある大きなものだ。蓋が開けられると何やら巻かれた布が入っているのが見える。
数人がかりで棒のような塊を取り出し、布を広げる。

どうやら棒に巻き付いているらしいそれは・・・・・・。

「旗?」

訝しげな顔のサイクレス。その横で蒼は更に身を乗り出した。

「まさか・・・・あの旗・・・・・赤旗?」

「なにっ?」

驚くサイクレス。目を凝らすが月が明るいとはいえ、夜でははっきりした色はわからない。
だが、解かれて広げられた旗に描かれているのは交差した斧に留まる鷹。
暗くてハッキリとはわからないが、鷹は斧に巻きついた何かを口にくわえている。
恐らく鎖だ。

断罪の斧に審判の鷹。
そして、拘束の鎖。


「間違いない。審議会弾劾部だ」

サイクレスが呻くような声を出した。

「弾劾部、国の重犯罪部署ですか。あれが・・・・・」

偉そうな指揮官は揃いの軍服を着ていない。
その代わり、襟が高く裾の長い上着に肩口から掛かる月光に輝く銀の鎖の、軍服ではない服を纏っている。

審議会の制服だ。

「・・・・・何か、似合っていませんね」

ふんぞり返ってはいるが、背が低く小太りの指揮官には裾の長い服はまるで似合わない。

「恐らく任官したてのどこかの貴族だ。審議会はこのところ貴族連の介入が激しいと聞く」

「そして、赤旗ですか。何だかもう、罠の匂いでむせかえりそうですね」

怪しさ120%という感じだ。

「しかし一体何の罪で」

近衛連隊の人間が重犯罪を犯せば国を揺るがす大問題となり、連隊長ジュセフは益々窮地に追い込まれることになる。

だがどんな罪が・・・・・・・。

「恐らく、私への依頼が原因でしょうね」

蒼は夜風で首に巻きつく髪の一房を払い、事も無げに言う。

「え?」

「貴方、森で毒矢を射られたでしょう。その刺客は私のことも知っていた筈」

蒼の仕掛けた麻酔毒にかからなかった刺客。蒼の正体には間違いなく気付いている。

「だが、依頼に行っただけだ。しかもまだ依頼にすらなっていない」

厳密に言えば、依頼を聞いて貰う為に同行しているのであり、依頼の内容も、引き受けて貰えるかも定かではない。

「相手にとってはそんなこと関係ありません。依頼をしたという事実が重要なのですから」

眼下では旗の括り付け作業が進行している。
旗が大きい為、作業は少し覚束ない。
指揮官が苛立って怒鳴りつけようとし、慌てて周囲が大声を出さないよう宥めに回る。

「何だか器の小さなオヤジですねぇ。おや」

夜風が吹き、声を出さずにジェスチャーで怒っていた指揮官の偉そうな帽子が飛ばされる。

月夜にも輝く、見事なハゲっぷりだった。

「おお、チビデブハゲ。素晴らしい、三拍子オヤジですね」

名札を付けて図鑑に載せてやりたい。

「何を悠長なこと言っている。蒼殿、何故彼らは依頼だけで動いたんだ」

まだまだハゲそうにない、しっかり生え揃った銀髪の持ち主サイクレスは気が気でない。

「ああ、失礼。久しぶりに完璧なオヤジを見たのでちょっと興奮してしまいました」

淡々と蒼。
興奮とは縁が無さそうだ。

「つまり、でっち上げですよ。貴方が、毒操師の元を訪れたのは事実。そして向こうには違法に毒薬を作る毒屋がいる。となれば誰かを殺して罪を被せればいいのです」

さらっと告げる蒼だが、告げられたサイクレスはそうはいかない。

「何だって?」

思わず声が大きくなる。蒼はすかさず手を伸ばし、口を塞ぐ。

「静かに、見つかったら貴方も捕まりますよ」

急に距離を詰められた素早い動きに驚くと同時に、口元への張り手が堅い手の平と相まって思いのほか痛かった。
反射的に顔をしかめる。

「ああ、すいません」

さっと手を引っ込める蒼。
顎付近がジンジンするが、自分が悪いのでぐっと堪える。

「俺こそすまない。しかし、でっち上げだと? そんな証拠もあやふやな物に審議会が動くなんて・・・・・」

「でっち上げだろうが何だろうが、実際に人が死ねば、動かざるを得ない・・・・・そうです。貴方は恐らく、この為に毒矢を射られたんです」

全ては審議会を動かす為。
蒼の中で一つの疑問が繋がった。



サイクレスは囮だ。致死性の高い毒薬なのに、遅効性だったわけ。

気づくのが遅れれば確実に死んでいた。だが、遅効性なら助けられる可能性も高い。毒操師の自分であれば処置も出来る。
必要なのは毒薬を依頼した事実、そして自分の存在。
後は中毒死を出せばいい。
そこまでした狙いは何だ? まさか近衛連隊全てを捕らえるわけじゃあるまい。
サイクレスがもし助からず、街中で中毒死したとしたら?

彼の上司は・・・・。



「サイクレスさん、この包囲を抜けて宿舎に行く方法はありますか?」

「えっ」

突然キビキビと問いただす蒼に面食らう。

「一刻を争います。彼らの狙いは副隊長フレディス氏です」

その瞬間、サイクレスは城壁内へと走り出していた。

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