第五章


[03]罠A


「私は審議会弾劾部、第四室長ゼルダンだ。宿舎は国家警備軍に完全に包囲されている。扉を開けろっ」

宿舎の門扉を叩く音と執務室にも十分届く、拡声器を使った厳しい声。

騒ぎに起き出した隊員たちは皆一様に不安な顔つきで、残った唯一の幹部であるファーンを見つめる。

腕を組み、眼鏡を押し上げるファーン。
その頭の中では様々な思考が駆け巡っていた。




何があった?
赤旗は余程の罪でないと持ち出されない。
重犯罪、殺人罪かそれに相当するもの。
サイクレスが捕まったか。いや、彼にはまだ何も話していない。例え捕らえたとしても有益な情報は引き出せまい。それにサイクレスが話すとも思えない。
では何だ。緋殿の証言がまた出たのか?いや、それも包囲される程の証言など有る筈がない。
もしや連隊長の身に何かあったか。
赤旗が持ち出される程の新事実・・・・・だが我々はまだ動いてすらいない。



あらゆる可能性が浮かんでは消える。しかし結論は導き出せない。
それ程にこの包囲は予想外だった。



「副長・・・・・」

隊員の一人が声を掛けてくる。第一小隊長のリクスだ。 第一中隊長ディオルガ=ローゼン卿が倒れ、彼が中隊長代理として玻璃の門を守り、隊をまとめている。

二十歳を幾つか越えたリクスは実直そうな黒い瞳をファーンに向ける。
彼もまた不安を隠せないでいた。

「心配ない。我々には赤旗の元に晒されるような罪はない」

・・・考えただけだ。

声には出さない部分でも、犯罪にはまだ至っていない。

「もう一度言う、私は審議会弾劾部のものだ。近衛連隊副隊長、ファーン=フレディス並びに第二中隊長、サイクレス=ヘーゲルに勧告が出ている。扉を開けよ」

これにはファーンも驚いた。


サイクレスにまで勧告が。何故だ。確かに彼に暗殺の話をしたのは自分だ。そしてサイクレスは毒操師を訪ねていった。
だが、まだ具体的な策は誰にも話していない。悟られる事は間違ってもないのだ。

後、考えられるとしたら・・・・・。

「罠を張られたか」

「えっ」

リクスが聞き返す。
しかしファーンはもう次の思考に移っていた。


罠だ。もうそれしか考えられない。だが、一体どんな・・・・。


「最後通告だ。ここを開けろっ。貴公らには殺人容疑が掛かっている。
開けなければ強硬突破する!」

ざわっ

殺人と聞いた隊員たちがまた騒ぎ出す。


やはり殺人。しかし誰を殺したと・・・・。

出て行かなければ騒ぎは治まらないだろうが、考えがまとまらない。何の対処も出来ていないこの状況では、相手の思う壺だ。


ファーンは集中力を総動員して策を練ろうとした。


そのとき―――――。


「フレディス副長!!」

宿舎の奥から声が響く。

思考が遮られた。

この所聞いていなかった低いそれは、今最もタイミングが悪いものだった。

「ヘーゲル中隊長!」
「第二中隊長!」
「サイクレス様だ!!」

廊下に固まっていた隊員たちが、駆けてくる長身の青年に反応する。

灯りが少ない薄暗い廊下でも、第二中隊長サイクレスの青みがかった銀髪は輝いて見える。
その様子は不安を抱えた隊員たちにとって、光が差し込んだようにすら思えてしまう。

蒼には単純だの直情過ぎるだの言われているサイクレスだが、近衛連隊では頼れる存在なのだ。

サイクレスの唐突な登場は皆の視線を釘付けにする。その為、彼の後ろを走るダフダフした人物に誰も気付かない。

ファーン以外は。

暗い廊下では黒にも見える群青の外套。その下の淡い色の木綿の上下。柔らかい羊革の靴は足音を消してしまい、益々存在感を薄くしている。


・・・・・あれは。

ファーンは目をすがめた。

取り巻いていた人垣は自然に割れ、サイクレスたちとの間に遮るものはない。

「フレディス副長、第二中隊長サイクレス=ヘーゲル、只今帰還いたしました。遅くなりまして申し訳ありません」

ファーンの眼前まで走り込んできたサイクレスは、そう言って深々と頭を下げた。

「この包囲網を一体どこから・・・・まさか」

サイクレスは流石に少し息を切らせ、額に滲む汗を拭う。

「はい。地下水道を通り、瑠璃の門、第二中隊兵舎から地下道を使って辿り着きました」



皇城の地下にはあらゆる用途の為、無数の地下道が走っている。
特に外城壁と内城壁の間は建設当初は巨大な堀だったことから、水を入れる為の水道が今も内外城壁の間に張り巡らされている。

ただし、一般の人間がこれを利用するのはほぼ不可能と言える。
抜け道である為、おいそれと侵入出来ないよう全ての入り口は固く閉ざされており、勿論偽装もされている。
また縦横無尽の通路は難解な迷路のようで、今やその全体像を把握出来るのは、皇王アドルフだけとさえ言われているのだ。

「・・・・よく思い出したな」

発言には含みがあった。

「緊急事態でしたので」

サイクレスもそれ以上は語らない。

「それより何事ですか、これは。宿舎が完全に包囲されています」

険しい顔を扉に向けるサイクレス。



その瞬間。



ゴー―――ン



激しい音。
扉に何かが打ちつけられた。

「最後通告はした。扉をこじ開ける。これで貴様等の状況はより不利になったな」

扉の向こう、拡声器の声に冷笑と侮蔑が滲む。

続いてまたゴーンという音。
頑丈な扉が大きくたわみ、軋む。


「副長っ!」

宿直の兵士が叫ぶ。

「扉を押さえろっ!時間を稼ぐのだ」


ファーンは咄嗟に叫び返した。

その命令に、廊下に出ていた数十人が我に返ると慌てて扉に向かう。



まだ、駄目だ。
まだ策は出来ていない。


「フレディス副長」

サイクレスの呼び掛けに視線を戻すファーン。
その時、サイクレスの傍らに佇む群青の外套に改めて気づく。

「サイクレス、その方は・・・・・」

騒然とした宿舎。誰もが不安な顔と必死な様子を見せる中、一人静かな空気を身に纏う人物。

顔はわからない。性別も正確な体型も。

だが、存在そのものに惹きつけられる。

「この人は・・・・・」

「毒操師、蒼です。あなたがフレディス副隊長。私の依頼主ですね」

不思議な高さと響きの声は、普通なら周りの騒音にかき消されてしまう程の大きさだ。

だが、その形のよい唇の動きと共に、ファーンの耳にはっきりと届いた。

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