第八章


[03]隠蔽A


「十年前の事件だと?」




聞き返すサイクレスの眉間には深い皺が刻まれている。

近衛連隊副隊長ファーン=フレディスが拘束されているという地下牢、その道すがら蒼は事情が飲み込めていないサイクレスに説明をした。

今、地下通路は蒼とサイクレスのみ。ギルバートは部屋に待機している。この時間、さすがに訪問する者もいないだろうが、念を入れた用心の為だ。

また灰の下で働いているギルバート。十年前の事件は世間一般に流れている他にも色々と知っているに違いない。今更説明する必要もないだろう。

本来ならば、サイクレスについても自身の兄が係わったこと。より詳しく知っているはずだが、当時は10歳の子供。しかも終着後、一般には明言を禁じられた事件である。この素直な青年が禁を破ってまで調べるとも思えない。

だが、彼の家族は深く関わっている。

蒼はこれから確かめる事実を踏まえて、サイクレスに事情を説明しておくことにした。


もう事は動き出している。

十年前封印された事件の真相が明るみに出るのも時間の問題。


後は見失わないよう走り切るだけだ。



「そうです。貴方の兄上が関わり、貴方がティスの姓を返上するきっかけとなった・・・・・・今では皇国の禁忌として明言することが禁止されている事件。そして十年という歳月の経過により、貴方が言うように一般国民の記憶から消えさろうとしている・・・・・皇王暗殺未遂事件のことです」


蒼の言葉に、サイクレスのまなじりがつり上がった。














今から十年程前、エナル皇国にて国家を揺るがす一大事件が巻き起こった。

戦乱期、アドルフとともに戦場を駆け抜けた人物オークス=ヴォルテールが、北方の国ジャルドと手を組みアドルフ皇王の暗殺を企てたのだ。








エナル皇国建国後、国務長官となったオークスは、アドルフが父親から長を継ぐ以前に統一した他部族の若長だった。

騎馬民族の争いでは長が降伏し、自ら部族を差し出さない限り、後の争乱を防ぐため長一族は一掃される。

そして、騎馬民族の族長たちは代々部族を率いて来たという誇りがある。たとえアドルフ軍の圧倒的戦力を見せつけられたとしても、戦い続け、降伏する長は殆ど存在しなかった。

オークスの父である族長もまた、最後まで抵抗して降伏勧告に応じなかった一人だ。

しかし、以前から部族内にて父親と対立していたオークスは、自分に賛同する部族の一部を連れ早々に戦場を離脱、アドルフの元を訪れた。

騎馬民族の男たちは幼い頃から戦うことを叩き込まれている。そんな彼らにとって、戦わずして逃げるなど言語道断。

降伏を勧告していたとはいえ、父親を見捨てたにも等しいオークスの行ないに、アドルフ軍の兵士たちから非難の声が挙がっていた。中には、アドルフの天幕に連れて来られたオークスをあからさまに罵る者もいる。


だがオークスは周囲の嘲りに全く動じなかった。

彼が見据えるのは目の前に佇む敵将だけ。同じ若長だが、自分より年下な上、若いどころか幼いとも言える年齢の少年将。

身体の大きい屈強な戦士たちの中で、いっそう頼り無げに見える少年アドルフを、オークスはどんな強敵の前よりも緊張した面持ちで見上げ、その眼前に跪いた。

対するアドルフも、静かにオークスの視線を受けている。

兵士たちの見守る中、二人の若長は決して短くない時間、無言で対峙した。



「・・・・・望みは?」



沈黙の中、口火を切ったのはアドルフだった。


「は、」


それは聞き逃しそうな程静かで簡潔な言葉。

一瞬、目の前の少年が発したものと認識出来ず、反応が遅れる。だが静まり返った天幕で、誰にも咎められることなく話せるのは将のみ。

すなわち敵将アドルフだけだ。


「お前の、望みだ」


再度問われる。今度ははっきりと聞こえた。

オークスは地についた掌をグッと握り、身を乗り出す。

「わ、私たちを、一陣にお加えくださいっ。私が父を、族長を討ちます!」


ざわっ


天幕内がどよめいた。


「父親を殺すだとっ」

「何という恥知らずな」

「そうまでして命乞いとは情けない」

「騎馬民族の誇りはないのか」

「腰抜けがっ」



天幕中の非難の目がオークスに向けられる。彼らは怒りも露わな口調で口々に罵倒した。


だがそれはほんの僅かなこと。


「静まれっ!」


「!!」


天幕中に響いた厳しい声に、全員が一瞬にして口をつぐむ。

騒がしさが一気に霧散した。

「許可なく発言するものは全員出て行けっ!」

声の主はアドルフの傍ら、ずっと無言で控えていた副将イディオンだ。

アドルフより年長とはいえ、彼もまた少年と言ってもいい年齢。しかし声にも態度にも幼さはまるでない。
実際、上背もあり無駄なく鍛えられた逞しい体つきのイディオンは、腕っ節に自信がある部族の男たちの誰よりも強い。

人間放れした強さを誇る砂漠の黒牙グレイ=オーファンと並んで、当時アドルフ軍の双璧と言われていた人物である。



「・・・・・・・」


再び静かになった天幕、全員がアドルフとオークスのやり取りを見守る。



「・・・族長は捨て駒か」



静寂にアドルフの声がゆったりと響いた。


「!」


一方、その言葉に虚を突かれたようで、オークスは息を飲み驚愕に目を見開く。

「お前が連れてきたのは、即戦力の若い戦士だけではない。初陣間もない少年に女子供。
族長はお前に部族を託したのだろう」

「・・・・・」

更なるアドルフの指摘に黙り込むオークス。

天幕にオークスの部族は誰もいない。奇襲をかけられないよう引き離されているからだ。

オークスの反応意外、アドルフの言葉を確かめる術はない。

皆、オークスに注目した。


「・・・・・父、いえ族長とはもう何年もまともに言葉を交わしていません。その私に部族を託すなど・・・・・。私はただ、犬死にすることが分かっている戦を避けただけです」

呻くようにそう答える表情は狂おしい。父親を裏切る行為に対する自責の念か、それとも・・・。


「・・・・・族長が降伏することは有り得まい。恐らく古参の戦士たちも同じだろう。
部族の誇りと血の存続。古強者の気概を昇華させ、若い世代に遺恨を残さない・・・。
お前の父は真の長だな」


決して感情的なものでなく、そして少年とも思えない静かな口調。

だがそれだけに、周囲の男たちは、アドルフが心からそう感じていることを理解した。

勿論、目の前のオークスにも伝わっている。

伏し目がちにアドルフの話を聞いていたオークスは、引き結んだ口元を何とか開き、絞り出すように言葉を紡ぐ。

「・・・・・父は、族長として部族を差し出し隷属することは出来ないと・・・・・。ですが、それを若者にまで背負わせる必要もないと・・・・・」



(部族としての誇りは爺が守ればいい、お前は生きろ)


それがオークスが聴いた父の最後の言葉だった。

特別な言葉でも難しい言葉でもない。だが、一体何人の人間がそう言えるものか。


オークスは元々戦線離脱を図るつもりでいた。

頭の堅い族長たちに何を言っても無駄であり、自分がアドルフの元に行って降伏を訴え、一族と族長の助命を乞おうと。

しかし父は去ろうとした息子を咎めることも罵ることもしないかわりに、ただ飄々と振り返りもせずそんなことを言った。


助命は必要ない。

それが長としての意志だった。

そしてオークスは父親を討つことを心に決めた。

せめて自分が父の最後の誇りを守ろうと。


「・・・・・お前を進撃軍特攻に任ずる」


「えっ」


「敵を掃討せよ」


アドルフはそれだけ言うと、驚くオークスと一同を残し、天幕の奥に設置された仕切り布の向こうへ消えた。


こうして、オークスはアドルフ率いる騎馬民族の一員となったのである。





翌日、敵部族に総攻撃を仕掛けるアドルフ軍の速攻に加えられたオークスは、族長の首を持って帰還する。


戦いの激しさを物語る傷だらけの戦士の顔。しかしその表情は、不思議とやすらいだ満足そうなものだった・・・・・。









その後、進撃軍将の一人となったオークスは、渓谷砂漠の部族拡大に大いに活躍した。

アドルフより5つ程年上の若者は、伸びやかな体躯とたてがみのように波打つ金髪、男らしく整った精悍な容姿、そして何より父を討った後の迷いのない采配が部族の男たちを惹きつけ、化け物じみた強さでその名を大陸中に轟かせるグレイと人気を二分する程だった。

また実力主義アドルフの信頼厚く、評価も高い。

オークスは、着実に部族内での確固たる地位を築いていったのである。










エナル皇国はアドルフの奇策ともいえる騙し討ちと懐柔、そして武力闘争で勝ち取った国だ。

しかしその手段は、伝統ある周辺各国からすれば野蛮の一言に尽きるもの。

確かに商業議会には性悪で鼻持ちならない商人たちがはびこり、自国に不利な取引となることもしばしばだったが、大事な中継点であり貿易の要だったのだ。

各国は、騎馬民族による商業議会消滅に対して不満の意を唱え、決してエナル皇国を認めようとしなかった。

結果、騎馬民族建国国家エナル皇国は、周辺各国からその肥沃な領土を狙われ、常に侵攻の危機に晒されることとなる。


そして、覇王アドルフはまだ15歳。百戦錬磨で老獪な王たちにしてみれば、若輩どころか歯牙にも掛けられぬ子供だ。どんなに秀でた能力を持っていようとも、相対するには若すぎる。

そこでエナル建国後暫くは諸外国に対してオークスが全面に立ち、アドルフの身代わりを勤めた。

それは、オークスがアドルフから絶大な信頼を得ている証でもあった。



エナル皇国はアドルフ指示の元、妾妃ディアの兄イディオンが国境警備軍を率いて武力による牽制を行い、外務長官となったオークスが商業議会の役割を引き継ぎ、外交と流通に力を注ぐことで、至宝の国としての地位を確立していったのである。



他民族の若長だったオークス=ヴォルテールは、今日のエナルを築き上げた立役者の一人に違いなかった。






壮年になり、各国を駆けずり回るのは厳しかろうとのアドルフの配慮で、オークスは国務長官に任じられる。

しかしその後もエナルの為、身を粉にして働き続けた。

そして十年前。隠居も近付いたオークスは国務長官の席を譲り、自分はエナルの北方ジャルドとの国境近くに居を構えたいとアドルフに申し出た。


巨大な軍事国家ジャルドは建国直後のエナルにおいて、もっとも侵攻を防がなくてはならなかった国の一つだ。オークス外務長官時代、一番に国交を尽力した国であり、思い入れの深い地と言える。

しかし、エナルより更に南方の峡谷砂漠出身であるオークスにとって、寒冷地ジャルド付近での生活は決して楽ではない。

また側近が離れてしまうことにも反対するアドルフに、老いてもなおしっかりと鍛えられた頑健な体のオークスは、一方で年と共に柔和になった顔を柔らかく笑ませた。


「仕事をしなくなった楽隠居は、少しくらい厳しい気候の方がぼけ防止になるものですよ。それに、あの国との間にはまだ防波堤が必要でしょう」

国交が開かれた後でも、国境の丘陵地帯では小競り合いが絶えない。

現在の外務長官にオークス程の力は無く、国境警備軍の武力に頼ることも多い。両国の王に戦を起こす意志がないとはいえ、小さな争いが抑えきれない事態を招かないとも限らない。


結局、アドルフが折れて、オークスは隠居として丘陵地帯に居を移した。





悲劇の幕開けとなるとも知らずに。



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