第八章


[02]隠蔽@


時は一日近く遡る。



明け方、近衛連隊兵舎から脱出し、姫館魅煉にたどり着いた蒼とサイクレス。

さすがに疲労を感じていた二人に、灰が魅煉の主に掛け合って空き部屋を用意してくれた。

特にサイクレスはいくら体力に自信があると言っても昨晩毒に侵された身。休息が必要だった。

問題ないとゴネるサイクレスを空き部屋に押し込め、強制的に仮眠を取らせる蒼。


そして自分は、灰と皇城へ潜入する打合せに入った。

蒼から概要を聴いた灰は、舞姫などという突拍子もない、そして普段の蒼からは想像もつかない提案に別段驚いた様子もない。

だが、少しだけ意外そうな顔をした。



打合せにさほど時間は掛からなかった。手際よく要点を掴んだ灰は、必要な手配の為に自室である温室を出て行った。


そして、朝日の差し込み始めた室内に蒼だけが残る。



爽やかな春の朝日が、蒼の周囲に所狭しと並べられた鉢植えの植物たちを喜ばす。葉を伸ばして陽光を全身に浴びている様は、とても毒草とは思えない。生き生きと瑞々しい。
また陽光を苦手とする植物は、他の植物の影になるよう配置が工夫されている。

明るい温室の硝子越しに見える外にも、しらじらとした太陽の光が満ちている。町全体が白く輝き、清浄な空気を感じさせる。

空は青く澄み、細くたなびく雲の縁は黄金色だ。


蒼はその光景を眺めながら、何やら物思いに耽っていた。

打合せが終わり、蒼も一度休むことになっているのだが、用意された部屋に引き上げる様子はない。

また、いつもの群青色の外套は脱いで傍らの長椅子に掛けているが、その下の木綿の上下と羊革の靴は身に着けたまま、くつろいでいる雰囲気でもない。

だが、俯き加減の顔は延び放題の前髪でほとんど隠れてしまい、表情を読み取ることは出来なかった。






「眠れないのか?」

植物の間から、癖のない白い髪がさらりと揺れて現れる。

諸々の準備を終えた灰だ。

明るい陽の元に立つ灰は、まるで自らが発光しているかのように眩い。

本来、光彩の色素が非常に薄く直射日光を苦手とする灰は、商売柄もあって昼夜ほぼ逆転の生活を送っている。

朝方の今の時刻は、例えるなら夕暮れ直後といったところ。普段ならこれから休む時間だ。

しかし、今日はそういうわけにもいかない。一通りの手筈を整えた灰の全身からは、朝なのに宵闇の倦怠感が漂っていた。


「どうにも気にかかることがありましてね。あなたこそ少し休んでは?」

灰の質問に、溜め息を吐きながら前髪を掻き上げる蒼。

伏し目がちの瞼から真っ直ぐに延びて影を作る長い睫毛に日が当たり、色合いの違う二つの瞳が薄く覗く。

無表情、だが憂いを帯びた色がどこか沈んでいるようにも見えた。


「言われなくても、私はお前たちを送り出してからゆっくり休むつもりだ。だが、お前は今夜宴の華なのだろう。動きが鈍るぞ?」

そう言って長椅子に歩み寄り、無造作に掛けられていた群青の外套をきちんと畳み直す灰。

地厚な布はそれだけでずっしりと重く、まるで毒操師の責任の重さを顕しているかのようだった。












監察士であって毒操師ではない灰は、自分の色の衣服を身に着けることはない。
中間色である灰色は、毒操師に与えられるような唯一無二の存在ではなく、単なる役職だ。

自分の管轄外に行けば、別の「灰」が存在し、毒操師たちの監督を司っている。

それを特に不満に思ったことはない。しかし、蒼たちのように自由に動ける体を羨ましくないと言えば嘘になる。

灰にとって世界は魅煉の館。そして出会いは人も物も全て外からやって来る。
自分は白い衣装が汚れることのない、この隔離された安全で特殊な世界から殆ど出ることはない。

一度、やむをえない事情で外出したときは、その後一週間高熱で生死の境をさ迷う羽目に陥った。

それ以来、灰自ら外に出ることはない。外界との繋ぎはギルバートのような者を使って賄っている。

外への憧れは、物心ついてからずっと持ち続けているもの。もう心の奥底に染み付き、生きている限り消え去ることはない。


だが一方で、灰はこの魅煉という狭い世界を愛していた。

魅煉は他の姫館と違い、愛姫たちを物扱いしない。仕事は確かに褒められるものではないし、みな哀しい境遇の元にやって来る。だが、それでもここは、人としての感情を捨てずに生きられる場所なのだ。

生まれたときから魅煉にいる灰、ユアンにとってはかけがえのない家。

生まれ落ちた瞬間に母親を亡くした幼子を幾人もの愛姫が育て、少女時代は姉のような愛姫に姫館で生きる術を教えられた。

また、生涯この場所を離れられないだろうユアンへ毒薬の知識を授けてくれた幾人もの毒操師たち。
監察士になることで、体をひさぐだけではない自分の存在を知ることが出来た。

そして古参となった今は、妹姫たちが灰を支えてくれる。

いずれ娘のように思える姫に、自分の知識を継承させる日が来るかもしれない。

この狭い世界でも、そうして自分は人と繋がっていける。


灰は今の生活で十分幸せを感じていた。









目の前の毒操師はどうだろう。


外套を持ったまま、灰は蒼の横顔を見つめた。

掻き上げた前髪のお陰で高い鼻梁が露わになっている。

稀に見る美貌の持ち主。にも関わらず仕草も服装も全く無頓着な蒼。


蒼と出会ったのは、まだ彼女が子供の頃だ。

先代の蒼に連れられて来た、小さな子供。

その時にはもう今のようなクシャクシャの髪で、先代が調達してきたとおぼしき寸法の合わない男物の服を身に着けていた。

先代蒼も服装に気を使わない人だった。

群青の外套があるお陰でさほどヒドい格好に見えないが、古くなっても破れても全く気にしない為、外套を脱ぐと物乞いか強盗に襲われたのかと思うような、凄まじい姿の時もある。

薬品調合中に雑菌が混入しないよう風呂に入り、掃除洗濯は欠かさず行って身を清潔にしているというのが信じられない程だ。

あまりにも見るに耐えず灰が指摘すると、先代蒼はいつも苦笑いを返して頭を掻く。

だが、遂に最後まで服装は正されなかった。


(何だかんだと言って頑固な御仁であったな)


己の信念を曲げない人、それが先代の蒼だった。


そんな先代が育てた少女。

灰はこの、常に飄々としてとぼけており、周囲から繊細さや優美さは無縁と言われる蒼が、実は髪の一本から爪の先まで技芸を仕込まれて育ったことを知っている。

また痩せぎすにも見える身体が、一切無駄なく鍛えられていることも。

数奇な人生を歩んできた蒼は、年齢にそぐわない落ち着きと達観した雰囲気を纏い、外見も年齢性別がまるきり不詳だ。

丘陵地帯の森の片隅に居を構え、日々を薬草の採集と毒薬の研究に費やしている蒼だが、毒操師として熱心かと言えば、訪問客を追い返すなど商売に興味は無い。

森の木の実と自家菜園で採れる少しの野菜、そして僅かな蓄えで時たま購入する乾燥肉や塩漬け肉で生活を賄っている蒼は、まるで世捨て人だ。

蒼が毒操師であることを知らない周辺の集落でも、殆ど交流がない為に彼女を先代だと思っているほど。


(若い娘の暮らしじゃなかろうに)

滅多に顔を見せない上、会えばお互い皮肉を言い合ってしまうが、灰は妹を想うように蒼を気にかけているのだった。










「追悼の宴ですから、鈍るくらいで丁度いいでしょう」

灰の揶揄するような問い掛けを、自信があるのかことも無げに返し、蒼はカフェテーブルを指し示す。


「・・・何だ?その束は」


長椅子の後ろから身を乗り出す灰。そこに置かれていたのは打合せに使用した諸々の資料ではなく、紐で閉じられた分厚い紙の束。厚みが一冊の書籍程もある。

「昨夜フレディスさんから預かったものです」

鍵を託されて、ファーンの執務机から持ち出したそれは、几帳面な筆跡の文章がびっしりと並ぶ、調査報告書だった。

「きちんとまとめられていますが、紙質が幾度か変わって最初の頃の頁は変色もしています。恐らく何年にも渡って調べたものでしょう」

蒼は手を伸ばし紙の束を灰に渡す。

灰の華奢な腕にはズッシリと重いその頁を捲ってみるが、到底簡単に読み切れる物ではない。

「一体何の・・・」

表紙がなく、最初の頁には数十人もの名前がズラリと並んでいる。名簿かと見紛う人数だ。

しかし、頁を捲っていけば、それが調書を取った人物の索引であることがわかる。

それぞれ語るままを克明に記載し、巻末にはその人物の紹介、背景、事件に携わった状況などが詳細に書かれているのだ。

膨大な量。


だが最初から最後まで筆跡は同じだ。一人の人間が手掛けて書き上げたものであるとわかる。

「几帳面な筆跡から見て、恐らくフレディスさん自身によるものでしょう。随分と熱心なことです」

蒼は長椅子の背もたれに腕を掛け、灰を振り返った。

「わかりませんか? 私より灰、あなたの方が余程詳しい筈・・・・・」

そう言って見上げた灰の表情は一変していた。


「・・・・・これは」


呟き、索引を頼りに数名の調書を読み返す。

そして呻くように言葉を絞り出した。

「・・・・・十年前のあの事件か。だが・・・・・所々私の知っている事実と食い違う」

灰の発言に今度は蒼が反応した。

「食い違う?・・・・・そうか、それでフレディスさんはそんな調書を。私は事件事態を詳しく知らなかったので、違いがよくわかりませんでした」

合点がいったように頷く蒼。灰も同じく首を縦に振る。

「ああ、恐らくフレディスは事件の決着に納得がいかなかったのであろうな。であるから独自に調べ始めた。そして証言を集めて行くうちに矛盾に気が付いた」

蒼は長椅子に座り直して腕を組み考え込む。

「・・・食い違う矛盾点、膨大な証言。フレディスさんは何故これほど固執して調べたのか・・・」



そして、気付く。



「・・・隠蔽・・・ですね」



「そのようだ」

調書に目を通していく灰も同意する。

「変色した始めの方の調書に、事実と違う僅かなズレがある。恐らくこれがフレディスが動いたきっかけであろう」

事実とされていたことと食い違う証言。小さなものだ。だが調べる程に相違点は発見されていく。

「ズレが新たな証人を生み出すこともある。フレディスはそうして、複雑に分かれた木の根を一つずつ辿るように証言を集めて行った」

「ええ、それがどんなに細い根であっても、根は必ず幹に辿り着きますから」

蒼の言葉に灰は小さく息をつく。


「そして辿り着いてみたならば、全く違う幹だったと」



それが即ち、隠蔽。



巧みに織り交ぜられた嘘。一人一人だけ見れば間違いなく見逃してしまうだろう小さなもの。
だがそうする事で、あたかも真実かのように事件の真相をすり替えたのだ。


蒼は組んだ腕を解き立ち上がった。


「今回のジュセフ皇女拘束事件、この十年前の事件から端を発していることは間違いありません」


「お前、真実を明らかにするつもりか?」

紙の束を抱えた灰の表情は、曇っている。

「必ずしも真実が正義ではないぞ。隠蔽されるにはそれなりの理由があった筈」

だが、蒼の回答は簡潔だった。



「真実が素晴らしいなんて誰にもわかりませんよ」



その口元が微かに笑っている。

朝の光の元で笑うそんな蒼が、灰には寂しげに見えてならなかった。


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