機動戦艦雪風


[07]スラバヤ沖海戦 前編


その空間は一種異様な空気に包まれていた。ある者は好意的に、ある者は疑問の目で、一人の人物を見つめていた。
「女…」
「しかも若い…」
ざわめきが広がる。そして皆の感情がピークに達した時、優が声をあげた。
「静かに。艦長に失礼であるぞ。」
その一言でざわめきが収まる。艦長、と呼ばれた人物は優に目を遣ると、申し訳無さそうに苦笑する。
そして集まった200人超の乗組員の方へ向き直ると、姿勢を正し敬礼する。
「雪風艦長、草壁由紀少佐です。以前は第八駆逐艦隊、駆逐艦大潮の砲術長をしていました。正直、今回の人事に戸惑っています。が、あなたたちの命を預かる艦長として、粉骨砕身努力します。あなたたちもどうか、私に力を貸してください。」
乗組員全員が敬礼する。その様子を見届けた由紀は姿勢を崩すと、もう一度口を開く。
「本艦はこれより、第二水雷戦隊、第一六駆逐隊に編制され、田中頼三(らいぞう)少将指揮の元ジャワ島進攻の任に当たります。出港は一二○○時。各人は各々の持ち場で出港の準備をお願いします。」
乗組員の間に再びざわめきが広がる。「第一六駆逐隊」。その言葉が皆の心に不安感を芽吹かせた。
「第一六駆逐隊?雪風は一三機動艦隊所属だろ?」
乗組員の一人がつぶやく。するとそのとなりの乗組員がそれに答える。
「第一三『独立』機動艦隊。事実上の遊撃艦だよ、この艦は。」
「そうなのか!?」
ざわめきは一層大きくなる。優は肩を落とし、やれやれといった風に溜息を吐く。
そして再び声を上げようとしたその時、由紀が振り返り優を制す。その表情はやはり、申し訳無さそうな苦笑いだった。
そして再び乗組員に向き直り、注目を集めるためにわざとらしく咳払いする。
「コホン。ええ、あなたたちの不安は解ります。ですが、私たちは天皇陛下ご寵愛の元、帝国と大東亜圏の発展、平和のために戦います。それは、他の部隊でも同じです。事実上の遊撃艦といえど、決して単艦で突貫するという意味ではありません。そこは履き違えないでください。」
ざわめきが収まる。由紀は乗組員一人ひとりの顔を見回すと、真剣な表情で言葉を括る。
「私のような若輩者に命を預けるということに不安はあると思います。ですが、私は絶対にあなたたちを死なせません。誰ひとりとして。それが、この雪風を預かる私の仕事です。」
沈黙が訪れる。そしてどれくらいの時間が経った頃か、乗組員の一部から拍手が聞こえた。
そして拍手の波は広がり、いつしか乗組員全員が拍手し、草壁由紀を雪風の艦長として迎え入れた。由紀は拍手の嵐に顔をほころばせ、小さく「ありがとう」とつぶやいた。

そして1942年2月25日、日本軍はジャワ島占領のため、陸軍上陸部隊の輸送船40隻と、護衛の高木武雄少将旗下第五戦隊がバリクパパンを出港した。これに対し連合軍は、カレル・ドールマンを艦隊指揮官としたABDA連合艦隊を迎撃に向かわせた。
しかしシンガポールの大規模艦隊は既に壊滅しており、損傷艦の修理も補給も満足に出来ず、加えてバリ島沖での海戦による被害でABDA艦隊は弱体化しており、イギリス軍の上層部はバリ島の防衛は不可能と判断し艦隊の一部を撤退。上層部は既にセイロン(現スリランカ)やオーストラリアへ脱出しており、残っていたのはオランダ軍とわずかな連合軍艦隊だけであった。

そして2月27日夕刻、第二水雷戦隊の軽巡「神通」が、待ち構えていたABDA艦隊を発見。二水戦(第二水雷戦隊)は距離16,800メートルから雷撃を、続く第五戦隊も距離26,000メートルから砲撃を開始する。
これにABDA艦隊も応戦。二水戦は集中砲火を浴び、神通は煙幕を張りながら退避行動に移る。
しかし二水戦と入れ替わるように、第四水雷戦隊がABDA艦隊へ突進。距離12,000メートルまで接近し九三式酸素魚雷27本を斉射。
しかし距離が距離なため有効打は与えられない。だがそれはABDA艦隊にも同じだった。
そして魚雷と砲撃の応酬の後、ついに重巡「羽黒」が放った20サンチ砲がイギリス重巡「エクセター」に着弾する。
「機関部被弾!航行に支障!」
エクセターの管制官が声を上げる。
「くっ!止むを得ん、取り舵、戦線離脱!後続艦に当てられるぞ!」
エクセター艦長、O.L.ゴードン大佐が指示する。しかしその動きをドールマンからの転進命令と勘違いした後続艦も次々と転進。ABDA艦隊の隊列が乱れる。
そこにに羽黒が放った魚雷がオランダ駆逐艦「コルテノール」に命中。竜骨を折られたコルテノールは真ん中からV字に折れ沈没した。
ここでドールマンは隊列を正すために一時撤退を決意。戦線を離脱し、南東へ進路をとった。

しかし日本軍はそれを追撃。高木から「全軍突撃」の命令が下る。
いち早く突撃した四水戦の旗艦、重巡「那智」が距離12,000メートルから魚雷4本を斉射し退避。この間に二水戦が戦線に復帰する。
神通が距離18,000メートルから魚雷を発射。続き第七、第一六駆逐隊が距離9,000メートルまで接近する。
その中で、隊列から頭一つ先攻する艦があった。雪風である。
「本艦が前に出ます!魚雷装填!砲門開け!」
由紀が水雷長に指示を出す。
「敵戦艦、接近!」
イギリス駆逐艦「エレクトラ」の管制官が叫ぶ。
「回避運動!同時に煙幕展張!戦線を離脱する!」
エレクトラ艦長、C.W.メイ中佐が叫ぶ。エレクトラは煙幕を張り回頭する。
「敵艦、反転離脱!」
「構わない!てぇー!」
雪風から酸素魚雷が放たれる。しかしエレクトラはそれをかわす。
「軌道修正、再装填!」
由紀が再び指示する。しかしそこに、神通の高木から通信が入る。
「本艦は離脱する。第七、第一六駆逐隊も続け。」
神通が戦線を離脱すると、雪風もそれに続いた。その間も那智と羽黒は長距離砲戦を続ける。
だがABDA艦隊は煙幕に消え、砲弾が敵艦を捕らえることは無かった。その間にドールマンは、被弾したエクセターの撤退を援護させるため、エレクトラ、エンカウンター、イギリス駆逐艦「ジュピター」に第九駆逐隊への阻止攻撃を下命する。

そして第九駆逐隊の「朝雲」、「峯雲」がエレクトラとエンカウンターに肉薄。距離5,000メートルから魚雷を斉射する。
「目標、敵艦影!てぇー!」
朝雲、峯雲から一斉に魚雷が放たれる。しかし一射目はそれぞれ敵艦を反れ、酸素魚雷は弾頭のセンサーの不具合で自爆し、海面に高い水柱を立たせる。
朝雲、峯雲は離脱せず、砲撃しつつ更に接近する。
「外したか!軌道修正急げ!」
朝雲艦長、岩橋透が指示する。その間に、エレクトラとエンカウンターが転針し、主砲を朝雲に向ける。
「「てぇ!」」
朝雲とエレクトラの主砲が同時に火を噴く。朝雲は機関室に、エレクトラは缶室にそれぞれ被弾した。
「ダメージコントロール!被害は!?」
メイが叫ぶ。
「缶室被弾、航行不能…」
「くっ…本艦は破棄、総員退避急げ…」
「艦長…」
「時間が無い!急げ!極力本艦より離れろ!」
艦内にアラームが鳴り響く。そしてクルー全員が退避したのを見届けると、メイはキーボードを操作する。
「道連れに一人でも多く、地獄に引き摺り込んでくれる…」
キーボード脇のアクリル板を叩き割ると、その奥に潜んでいたレバーを一気に引き上げる。次の瞬間、エレクトラは放射状に光を放ち、爆発する。
爆風が一気に広がり、黒鉛が立ち上る。退避したクルー達は、轟沈していくエレクトラに敬礼した。

この間にABDA艦隊は全艦戦線を離脱。日没により日本軍も戦闘行動を中断し、全艦を集結させ夜戦に備えた。

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