暴走堕天使エンジェルキャリアー


[08]招かれざる者 後編


「気色悪い…」
整備兵の一人が呟いた。エンジェルキャリアーの脚部、臑に宛たる部分のフレームの内部に、それは居た。
電送系のコード類に紛れ―いや、生きているかの様に脈を打つそれは明らかに異様で、「紛れている」と云う表現にはそぐわないものだった。
それを見た小笠原は悪寒を覚えた。
「…曹長…何だ、これは…」
右手で口元を押さえながら長門に訊いた。長門は感情を隠せない表情で、ノートパソコンをメンテナンスコネクタに繋ぐ。
「…敵性反応です。BEAST、ってことですね…」
小笠原の表情が曇る。
「何という事だ…」


「状況を整理してくれ。長門曹長。」
ミーティングルームに小笠原、長門を始め数人の整備兵が集まっていた。
「原因は…憶測の域を出ませんが、先の海戦時にキャリアーが引っかかった鉄筋による損傷から、BEASTの生体の一部が侵食したものと思われます。例の触手の敵性パターンも先のBEASTのものと一致しました。」
長門はノートパソコンを片手にすらすらと述べる。
「想定の範囲外か…ここでは責任は問わん。」
「続けます。フレームを全て開けたところ、触手はキャリアーの胸部まで侵食、更に記憶媒体の一部まで侵食されています。HDDから敵性反応が検知されたのはこの所為と思われます。そして、刃物、レーザーによる物理的切除は全て失敗。切断しても直ぐに復元されてしまいます。」
「やはりBEASTはキャリアーでなくては倒せん、と云う事か…煤原三尉は?」
「現在も模擬戦闘継続中です。こちらも憶測ですが、侵食されたHDD内部のデータがBEASTにクラッキング、模擬戦の仮想敵性体をコントロールしているものと思われます。」
「敵はデータか…」
小笠原はボロボロの爪を噛む。
「管制室からの強制停止コードもキャリアー側…BEASTにキャンセルされています。煤原三尉の疲労もかなりのものですが…」
「仮にキャリアーが破れた場合はどうなる?」
「恐らくデータを逆流し、キャリアーのコアプロセッサーまで侵食されるかと…」
「キャリアーが敵に回る…」
「最悪の場合…」
ミーティングルームに沈黙が訪れる。
「成功する確率は低いですが…ひとつ、方法があります。」
口を開いたのは長門だった。
長門の言葉に皆が驚き、顔を見合わせる。
「三尉が力尽きる前に出来るか?」
「やるしかありません。」


九十九の疲労はピークに達し、最早防戦一方だった。コクピットには荒れた息遣いだけが響いていた。
そこに小笠原からの通信が届く。
「煤原三尉、大丈夫か?」
「はぁ…はぁ…」
悪態を吐く体力すら残っていなかった。
九十九の返事を待たず、小笠原は言葉を続ける。
「三尉、一度死んでくれ。」
「はぁ!?」
突拍子の無いその一言に、流石に声を上げてしまう。だが小笠原は平然を装う。
「私と長門曹長を信じろ。いいな、逃げるな、刃向かうな。」
「…了解。」
エンジェルキャリアーはビルの影にもたれ掛かり、ゆっくりと肩を落とす。その目の前に、BEASTが立ちはだかる。
「一度死ぬ、か…ちょっと前までそんなだったっけ…」
九十九は左手首をさすりながら言った。
そしてBEASTの右手がエンジェルキャリアーの首にかかる。
「二尉、曹長…頼むぜ…」
エンジェルキャリアーの首にかかった手に力が込もる。
「く…」
九十九は顔を紅潮させながら、苦痛に顔を歪める。
そして、エンジェルキャリアーは力無くうなだれた。

管制室では長門を始め、管制官達が慌ただしくキーボードを叩いていた。
そこに春日の声が響く。
「キャリアー沈黙…シナプスの逆流が始まります!」
「曹長!」
「はいっ!」
長門は神懸かった早さでキーボードを叩く。
モニターの隅には九十九の脈拍数が写されていた。長門はそれを確認しながら、慌ただしくキーボードを叩き続けた。
そこに春日の声が響く。
「敵性反応、キャリアーのコクピットに到達!コアプロセッサーにハッキング始めました!」
「予定通り!ダミープログラムのポート解放、一気に引き込んで!」

一瞬の沈黙。

そしてモニターを覆っていた赤い警告灯が全て消える。
「敵性反応消滅…成功です!」
管制室に歓声が上がる。だがそれは長門の言葉で直ぐに収まった。
「キャリアーを生命維持モードに!衛生兵は直ぐに煤原三尉を救出!」


「処置は終わりました。今のところ酸欠による障害は認められません。」
わずかに聞こえた声に九十九が目を覚ますと、側に長門の姿があった。
「曹長…」
「三尉!大丈夫ですか?」
九十九は上体を起こし、左手で首筋をさする。そして、静かに言った。
「…イガイガする…」
その言葉に長門は思わず吹き出し、笑った。
「なんだよ、人が死にかけたってのに。」
「だって、死にかけた人がイガイガするって。ははは。」
「…俺は上官だぞ…」
「すみません、でも…ははは。」
弛緩した空気の中、長門は腹を抱えて笑っていた。


床一面のモニターに緑の森が映された部屋に、山本と小笠原の姿があった。山本は小笠原が用意した報告書に目を通しながら言った。
「シナプスごとBEASTの意志を逆流させダミープログラムでかすめ取る…か。少々雑な手段だな。」
「煤原三尉の生存を最優先させた結果です。今はまだ彼を失うわけにはいきません。」
「そうだな…兎も角これで計画は一段階進んだことになるか…」
「天使のゆりかご…ですか。」
「心地よいぞ…母の胎内はな…」
報告書を投げた机の上に、長門が構築したダミープログラムを収めたDVDが無造作に置かれていた。


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