第七章


[06]疑惑D


「ソーニャちゃん、お疲れっ」

撫でつけた髪をくしゃくしゃと崩しながら、ギルバートが蒼を労う。

真面目で実直、主人第一な出来る従者の面影はもうどこにもない。
いつものチャラいギルバートだ。

「ギルバートさんもお疲れ様でした。第一段階は乗り切りましたね。
・・・・・懸案事項はありますが」

対する蒼も、解いた巻き毛を背中に流して応える。

こちらも普段の淡々無表情に戻っている。だがその顔には幾分か疲れが見て取れた。

「懸案事項?」

気合と根性で何とか無言を通し抜いたサイクレスが、背中の長剣を降ろしながら蒼を振り返る。
長剣は黒檀の割に重たげな音をたて、サイクレスの手に納まった。


「ええ、気付きませんでしたか?。まずハーディス皇子。彼自身結構なくせ者ですが、桃嵩国の風習にもかなり通じています。玉眼についても知っていたと見て間違いありません」

話しながら思い出す。

玉眼の話をしたときのハーディスのあの表情。
何もかもわかっていたのではないかと思えてならない。

少なくとも奉納の舞の件は蒼が説明する前にハーディスが仕向けてきたことだ。

初めは、本職並みな腕前をソーニャがどう説明するのか試しているように見えた。しかし結果は蒼たちへ有利に話が進み、王族であるが故に舞を身に付けている、とヒューレットに刷り込むことが出来たのだ。

(ハーディス皇子の行動は我々に協力的だったということか?。しかし何故・・・ソーニャが王女であるとヒューレットに信じ込ませることに別の思惑があるのか?)


一体、どんな?


ハーディスの真意が未だ読めない。狙いは何なのか。ただ泥沼の皇位継承紛争に嫌気が差し、刺激が欲しかっただけか?

いや、少なくともセルシウスへの好意は本物に見える。となれば飛び火するかもしれない余計な火種は作らないはず。


考えに没頭する蒼の左目は、また金の円盤によって隠されている。

嵌め込まれた宝石と複雑に絡み合う金鎖が、暗い照明の中でも煌びやかな光を放っていた。

「玉眼・・・本当にそんな目を持つ人間が存在するのか? それに、あなたの左目は一体どんな仕組みになっているのだ?」

あの時、離れていたサイクレスからも蒼の瞳の鮮やかな朱金が見えた。
事前打ち合せで左目を晒すとは聞いていたが、まさか瞳の色が変わっているとは思わない。サイクレスは危うく声をあげるところだった。

「玉眼を持つ者は確かに存在します。そしてそれが王女であった場合に姫巫女と呼ばれる。神の子の標、神の珠玉、すなわち玉眼なのです。
桃嵩国では玉眼はより神との結びつきが強い者の証。また他国にその存在を知られることがないよう厳重に管理されています。
勿論、私は違いますよ。仕組みではなく単なる仕込みですから」

そう言って、蒼は金鎖の留め金に手を掛け円盤を外した。

「あっ!」

蒼の左目と目が合う。

「金・・・・色」

現れたのは、あの鮮やかな朱金ではなく元の金であった。

「あれは一時的に着色したものです。円盤の裏に目薬を仕込み、外す際に装飾に紛れている宝石の仕掛けを押すことによって、左目に薬が噴射されます。
私の虹彩は色素が薄く染まりやすいのですが、どうしても元の色を完全に消し去ることは出来ず、結果ああいった混合色になったのです」

左目を細める蒼。眼球に負荷が掛かったせいか、その瞼がほんのり腫れているようにも見える。

虹彩の染色となれば目にとって良いはずはない。
サイクレスは不安げな顔になり、蒼の目に異常がないか確かめようと距離を詰めた。

「そのようなことをして問題は出ないのか?」

心配そうに、どこか心細そうに覗き込んでくるサイクレスはまるで大きな子供だ。
計画のうちと言っても、サイクレスの純粋で純朴な精神は目の前の痛みに反応してしまう。

ましてや蒼は女性、そして今はか弱い姫君にしか見えないのだ。

「まあ、全く負担がないと言えば嘘になりますが、どうしても露わにしなくてはならないときの、ほんの短時間です。問題にはなりませんよ」

間近に迫る長身のサイクレスを見上げて僅かに肩をすくめる蒼。本気で心配されていることを察したからか、珍しく無表情を崩し安心させるような笑みを浮べる。

「・・・・・しかし」

多少なりとも負荷が掛かると聞いて益々身を乗り出すサイクレス。長剣を握っていない空いた手をあげ、蒼の頬にそっと触れる。


暗い照明の中、サイクレスの深い藍の瞳に金目銀目の蒼の姿が映る。

稀有なる美貌。

朱色の抜けた左目は純金を溶かし込んだかのように細かな光を湛え、サイクレスよりも明るい色の右目には、凪いだ海の内包した慈愛が感じられる。

解いた巻き毛はまだ艶を失っておらず、闇に浮かび上がる黄金の河の流れに吸い寄せられそうだ。

サイクレスの今は黒く染まった大きな手が、頬からこめかみ、耳の後ろに首筋と、髪を梳くように滑っていく。

金と黒、全く異なる2つの色なのに、指先に伝わる髪の感触は等しく柔らかい。
それが何だか不思議な気がした。



(この人と出会って、まだ3日しか経っていないのが信じられない)

無表情で抑揚のない話し方。得体のしれないフードに伸び放題の髪。しかし、人を食ったようにも見える淡々とした態度は常に冷静で沈着。頭脳はずば抜け、毒操師としての知識も含めてサイクレスは何度も助けられた。


「・・・・・」

「・・・・・」


眉間にシワを寄せた厳しい顔のサイクレス、無表情だが不思議そうにも見える蒼。お互い無言だ。視線を合わせたまま表情が変わらない。





(自分はこの女性に毒薬を依頼したのだ。人を殺す為の道具を)

毒薬のエキスパート、毒操師。毒薬の製造と販売が仕事だ。だが蒼は毒薬を欲する人間を嫌悪すらしている。
そんな蒼を主君ジュセフの為、毒薬が欲しい一心で訪ね結果的に巻き込んでしまった。

毒操師としての自尊心を傷つけられたことから、率先して計画を練る蒼だが、サイクレスが引き込まなければ今でもあの日向の家で平和な時間を過ごせていた筈。


「・・・・・・・・」

サイクレスの中の蒼の存在は、もう毒薬を作る毒操師だけではなくなっている。

自分にとって蒼は一体何なのだろう。サイクレスは改めて考え込んだ。

他人・・・とはもう考えられない。教えて貰うことばかりだが、師弟とも友人とも違う。兄弟・・・が一番近いような、いやそれより守りたいという気持ちが強い。


(・・・俺にとってこの人は・・・・なんなのだ?)

ぐるぐると考えは同じところを回り、少しも前に進まない。


そこで思考が男女の繋がりにいかないあたり、やはりサイクレス、であった。




「・・・・・サイス君」

横合いから呆れた声が、頃合を見計らったかのように掛かる。

「ムズカシイ顔したまま思考停止になるのはいいけど、話の途中だったの覚えてる?」

サイクレスに存在を忘れられていたギルバートだ。

「!」

勿論、サイクレスが覚えているわけはない。

そして自分の手が無意識に蒼の髪を梳き下ろしたまま、髪に触れ肩に置いていたことに気付き、飛び退くように蒼から離れた。

「あっ、は、いや、こ、これは」

全く無意識だっただけに何と言っていいかわからない。

蒼の肩に置いていた手も慌てて挙げたはいいが所在がなく、宙を彷徨わせた挙げ句、最後は己の頭を掻く。

「・・・そ、蒼殿?」

目の前に立つ毒操師の顔が直視出来ない。

無意識とはいえ自分は何かとんでもないことをしてしまった気がする。



その蒼は沈黙の後、長い長い溜め息をついた。

そして。

「・・・サイスさん。いい加減覚えてください。私はソーニャです。貴方、話せない役なんですから、名前くらいしっかり呼んでください」

いつもの調子で返された。


「さて、そんなわけでハーディス皇子は益々侮れません。何が目的で我々に有利な行動をするのか。少なくとも世間の評価のような気紛れではないでしょう」

何事もなかったように話を続ける。

「切れ者が気紛れだと苦労するねぇ」

ギルバートもそれに乗ってくる。

頭から手を下ろしたサイクレスはすっかり置いてけぼりだ。

照れさえ与えて貰えない、見事な放置。




だが実は、溜め息は二度だったことをサイクレスは気付いていない。

二度目も呆れが多分に含まれていたが、ほんの僅か、安堵したような色が滲んでいた。





「また問題はそれだけじゃありません」

邪魔になったのか金鎖の精緻な耳飾りを外してサイドボードに置く蒼。

カシャンと軽い音を立てた耳飾りは、蒼の耳朶から離れると急に輝きを失ったかのように、薄暗い部屋にひっそりと沈んだ。

「寧ろこちらの方が問題でしょう」

続いて手首に幾重にも巻かれた金輪をスルリと抜く。

「問題?」

気まずさから立ち直ったサイクレスが、サイドボードに目を落として聞き返す。

「あの祈祷師、でしょ?」

手櫛でいつもの髪型に戻したギルバートは元からわかっていたようだ。

「ヒョウ、だったっけ」

頭髪を剃り全身を黒で固めた、怪しい雰囲気全開だった男。

雰囲気もさることながら一番の問題はあの香。

「そう、祈祷師ヒョウ。彼の肩掛けから香ったのは間違いなく睡眠毒の香り。あれは衣服に染み込ませるタイプです」

「えっ」

「あーあの匂いって睡眠毒なんだ。あんな甘い匂いオジサンには似合わないと思った」

鼻も効くらしいギルバートが納得したように頷く。

「だが、なぜ祈祷師殿から睡眠毒が?」

事態を飲み込めていないサイクレス。眉間にシワを寄せて考え込む。

「サイスさん。貴方が私に言ったのでしょう。ディオルガ・ローゼン卿の治療に薬師と祈祷師があたっていると。あんな怪しい風体の人間が、城に何人もいるとは思えません。十中八九、彼で間違いないでしょうね」

「・・・まさか」

鈍いサイクレスでもそこまで言われればさすがにわかる。

「ディオルガ様が倒れられたのは・・・・・」




不意に意識を失い馬から落馬したディオルガ。

そしてそれは近衛連隊長でありディオルガの妻、ジュセフが近付いた瞬間だった。

結果、状況から犯行が可能だったのはジュセフだけと判断されたのだ。


「手段はわかりませんが、未だ目を覚まさずに眠り続けている原因は、あの祈祷師でしょうね」

淡々と事実を連ねる蒼とは対照的に、見る見る表情が険しくなるサイクレス。

長剣を持つ手にギリギリと力が入る。

「では、直ぐにあの祈祷師を捕らえて・・・」

「こらこら、サイス君。落ち着きなさい」

今にも部屋から飛び出して行きそうなサイクレスを、全くいつも通りなギルバートが制止する。

「まだ何の証拠もないでしょう。短絡的に動くと損するよ? 大体もう一人の薬師がやったかもしれないじゃない。香りが祈祷師にも移っちゃったとか、ねえソーニャちゃん」

天然なのかあえてなのか、ギルバートはゆっくりとした口調を崩さず、装飾品を外し終えた蒼を振り返る。

蒼は腕を組んでいた。

「いえ、サイスさんの祈祷師を今すぐ捕らえようという行動は確かに単細胞過ぎますが、衣服に染み込ませる睡眠毒は移り香として嗅ぐことが出来るものではありません」

さり気なく酷いことを言いつつ、蒼は二人に説明する。

「あの香は確かに祈祷師が毒薬に触れた証。ディオルガ氏に使う際でも、服につけてしまったのでしょう」

「じゃあ薬師はシロ?」

「それはわかりません。協力している可能性もありますし。ただ・・・」

カーテンの掛けられた窓に目を移す蒼。
隙間から透明度の高い硝子が覗き、蒼の細い姿を映し出す。
その顔はいつもの無表情だ。

「あの睡眠毒の香り、私が知っている人間のものなのです」


窓に写り込む色違いの両の瞳が、一瞬闇に飲まれたように見えた。


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