第七章


[05]疑惑C


「姫君、貴女は旅芸人の一座に紛れてこの国にいらした。一座の人間も貴女のことを承知しているのですか?」



芳しい紅茶の香りが広がる室内で、ヒューレットが向かいのソーニャに尋ねる。

勧められ口にしていたカップを置くと、正面を見るソーニャ。

舞姫の衣装は着替えていても、その左目を覆う円盤の装飾はそのままだ。従ってヒューレットたちにはソーニャの右目、澄み切った空と輝く海の青い瞳しか見えていない。

だが真剣で強い意志は隻眼でも充分伝わってきた。

「いいえ、私たちは普通に団員募集へ応募して一員となりました。トゥーリ旅団は大陸中を渡る旅芸人一座。稀にですが桃嵩国にも参ります。そしてギルドにも登録している。旅の途中に立ち寄ったギルドの支部で募集を知ったのです」



旅芸人に留まらず、多くの職業ではギルドが創設され、大陸中の同一職業は統括管理されている。
流通に関わる職業は商業ギルド、技ある職人の保護育成は工業ギルド、人々の娯楽や余興の芸を持つ技芸ギルド。
他にも職業に応じて、大小のギルドが存在している。

だが事業を行う全てのものがギルドに属しているわけではない。所属員になるには、それぞれ設けられた基準をクリアし、審査に合格しなくてはならないのだ。結果、所属員は実力を広く認められたという証にもなる。

大抵の国ではギルドの登録証の提示のみで事業を営むことが出来、国王への目通りが可能な国もある。

またギルド支部は余程辺境でない限り各国に設置されており、旅芸人たちは入国すると支部にその旨を報告し、滞在中は滞在名簿に名を明記される。
支部側はこの名簿で現在の登録者を確認し、人材の派遣や商品取引を行う。

人材の選出はギルド内の評価に沿って行われるが、そこに手心が加わることもある。贔屓の貴族や役人に口添えしてもらい、ギルドからの仕事を優先的に受けられるようにするのだ。

また人員の募集もギルドを通じて行われることが多い。その方が優秀で信用度の高い人材を確保することが出来るし、希望者側も個別に訪ね歩くより断然効率がいい。

結果、それぞれのギルドは職業斡旋所も兼ねるようになっていた。




「三人で旅をすると、如何にも訳ありに見えて目立ちましたから、追っ手の目を欺く為にも、旅団に入ることは最良の策でした。
ですが、これはあくまで私たちの事情。デイロン団長には関係のない話。ご迷惑になりますので、お話は一切しておりません」


あくまで自分たち単独の行動であると主張する蒼。


実際、デイロンは事情をほとんど知らない。
トゥーリ旅団はごく普通の旅芸人。必要以上に巻き込むことは出来ないし、何よりその信用を落とすわけにはいかない。

灰が頼んだのも、蒼たちを団員に加えて皇城に連れて行くことと、出し物に蒼を使うことだけだ。



「ここに残るお話をしたときは、勝手ながらハーディス様のお名前を使わせて頂きましたし」

事の成り行きを興味深げに見守っていたハーディスは、不意に出た自分の名前に、形の良い眉を器用に片方だけ上げた。

「何て言ったんだい?」

「ハーディス様より侍女として仕えないかとのお声をいただいたと」

花びらのように薄く色付いた唇が魅惑的な微笑みを作り、ほんの少しだけ悪戯っぽい表情をハーディスに向ける。

対するハーディスも楽しそうで、どこか含みのある笑顔を返す。

「成る程、それなら自然だろうね。私は変わり者で通っているし、姫君の見事な舞ならば私が興味を持ってそばに置きたがっても不思議はない。あれは本当に素晴らしかったから」

ハーディスは両手を広げ、大袈裟に見えないギリギリの仕草でソーニャを褒め称える。


(・・・やはり食えない、この皇子)

蒼は微笑みの裏でハーディスの意図を悟る。

あくまで自然に話を振ってはきたが、このように切り出せば当然、

「そう、確かに素晴らしく美しい舞でした。姫君は舞踏をいつ身につけられたのです?」

このような展開になる。
尋ねるヒューレットはにこやかなままだが、探りを入れられたのは間違いない。

追悼の舞であっても、王女が舞うには少々官能的過ぎたし、そもそも王族が万人の前で舞を披露するなどエナルでは考えられない。

王族でもダンスをすることはある。しかしそれはあくまで嗜みだ。
間違っても本職を唸らせるような技量を身につけるわけではない。

エナルの常識からすると、ソーニャの腕前は不自然な程に卓越したものだった。



気まぐれな切れ者ハーディスは、身の安全を保証するとは言ったが身の置き場は自分で確保しろと言いたいらしい。

この場にいる全員に王女であることを納得させろと。

ヒューレットとハーディスに笑顔を向けられた蒼は、圧力を感じながらも魅惑的な微笑みを益々深くする。

(面白い、ですね)

ソーニャの顔のまま蒼は闘争心を燃やす。

潜入を計画したときから自分の中には確立した人格、ソーニャがいる。
彼女は桃嵩国の王女。王族としての誇りを持っている。そのソーニャが疑われて黙っている筈はなかった。


「ヒューレット様は桃嵩国の神をご存知ですか?」

笑んだ顔を今度はヒューレットに向け、話を振る。

「え?」

話題の転換に少々面食らうヒューレット。

一方のハーディスはまた成り行きを見守るつもりなのか、表情を動かさない。

(この皇子・・・・)

楽しげなハーディスに思うところはあったが、まずは目の前のヒューレットが先だ。

「・・・桃嵩国の神というと、鉱物の神エンディアス・・・・」

国交のない国の知識は政務長官といえどもそれ程ない。
ヒューレットは記憶を探りながら質問に答えた。

「そうです。私たちの国の経済は、鉱物、主に鋼と石炭そして岩塩の採掘加工で成り立っています。私たちにとってエンディアス様を信仰するのはごく自然なこと」



山岳の小国に過ぎない桃嵩国ではあるが、産出される鉱物は豊富であり、特に岩塩は非常に上質で希少だ。

桃嵩国産の岩塩は栄養価が高く、味が良い。また薄桃色に輝く様は美しく、昨今では塩塊に癒やしの効果があるとかで、資産家たちがこぞって彫刻の施された大きな塊を屋敷に飾っている。

一般の鉱物に比べ格段に脆い岩塩の彫刻品は繊細な技術が必要となる芸術品だ。時に宝石よりも高値で取引される。

環境の厳しい山岳地帯を支える重要な産業であった。



「ではヒューレット様、私たち桃嵩国王族の役割はご存知でしょうか」

新たな質問を重ねるソーニャ。

視界はゆらりともせず正面を向き、焦点がピタリとヒューレットに合わされている。

深く静かな青い瞳に見つめられると、息をするのも忘れ溺れてしまいそうだ。

「・・・・・王族の役割」

エナル皇国での皇族の役割は国の統治と健全で豊かな国民生活の保護だ。

それは建国の覇者アドルフが最初からは掲げていた理念でもある。



国民の生活の上に成り立っているのが国というもの。民の居ない王など意味を成さず、民が豊かになってこそ、国が潤うのだ、と。


アドルフはこの五十年、その理念を堅固に守ってきた。


だがエナルには他国と違う部分がある。
環境の厳しい国こそより必要なもの。


「桃嵩国の王族は神性、即ち神の遣いなのです」


崇める神の存在。


「わが国は鉱脈があると言っても、民の暮らしは決して楽ではありません。高地の夏は短く、冬は長く厳しい。田畑となる土地もほんの一部。苦しい生活は心を疲弊します。王はそんな彼らの精神を守る義務があるのです」


恵まれた土地のエナルに宗教は根付かなかったが、山岳の桃嵩国では政治と同じくらい重要なものなのである。


「私たち王族は、神の御遣いとして祭事の一切を取り仕切ります」

「・・・・・奉納の舞」

ヒューレットは顎に手を当てソーニャを見つめ返す。

ここまで言われれば容易に察することが出来る。
ヒューレット自身、ソーニャの舞に侵しがたい神聖なものを感じていたのだから。そう、あれは神への捧げものなのだ。


「はい、私は幼き頃より舞を学び、祭事には神と民の為に舞っておりました。トゥーリ旅団の募集でもこれを舞い、今日披露したのも基本は同じです。まあ、余興用にと団員の方々に色々手直しされましたが・・・・」


だからあれほど官能的になっていたのか。
ヒューレットは先刻のソーニャの姿を反芻する。魅惑的で蠱惑的な身のこなしは、確かに神聖なだけではない。

「ソーニャ様は特に素晴らしい舞い手でございます。そして神々から授かった玉眼も・・・・・」

「っ!ギルバート!」

主自慢とばかりに、後ろに控えていたギルバートが口を挟む。しかし顔色を変えたソーニャの鋭い声に静止された。


「!!」

表面上だけとはいえ、穏やかに会話を交わしていた一同は、突然のソーニャの変貌に目を見開いて驚く。

またソーニャも思ったより大きな声を出してしまった気まずさに口を噤んだ。


「・・・」

「・・・・・」

「・・・・・・・・・」


その場に沈黙が流れる。


「・・・・・姫君、玉眼とは?」

沈黙の隙間、ヒューレットがそろそろと尋ねる。
冷静さを失わなかったソーニャが、不審に思われても仕方ないほどの過剰反応。

尋ねないわけにはいかなかった。

「・・・・・」


俯くソーニャ。表情は読めない。

だが勿論沈黙で通せる話ではない。


「姫君、貴女は我々を信頼されて、この場におられるのではありませんか?その貴女が隠し事をされるというのであれば、これ以上お話を伺うことは出来ません」

今までにないソーニャの様子に、初めて声を厳しくするヒューレット。

ソーニャに客人としての態度で接してきたヒューレットだが、国政を預かる政務長官が王女などという突拍子もない話を素直に信じる筈はない。

疑わしきは追求するがヒューレットの役目だ。

「ソーニャ様は潔白です。疑わしき事などございませんっ!玉眼はエンディアス神に愛された証・・・」


主に黙らされ、口をつぐんだギルバートが激しく憤る。


「お止めなさい、ギルバート」

静かな、だがはっきりとした声が従者を遮る。

俯いたままのソーニャは小さく溜め息をついた。

「・・・出来ればこのお話はしたくなかったのですが」

そしてゆっくりと顔を上げる。

「桃嵩国の王族には稀に神の標(しるし)を抱いて産まれるものがおります。私たちは玉眼と呼んでおりますが・・・・」


しゃらっ


金鎖が幾重にも重なった左目の円盤に触れるソーニャ。それは、縁を彩る無数の宝石と一面の彫金が美しい、非常に精緻な細工だ。

そしてソーニャの長い指が、簡単には外れないよう結い上げた髪に編み込まれている金鎖を、丁寧に解いてゆく。


パサリ


解かれた巻き毛が肩口に落ちかかる。光と闇、その不思議な対比だけで、この娘の存在が稀有に思えてならない。


「玉眼とは即ち神の子の標。桃嵩国にとっては姫巫女の証でもあります」


シャラン


高い音を立ててソーニャの白い頬から円盤が滑り落ちる。

そして眩い金装飾の下から現れたのは、隠されていた左目。


「!!!」

ヒューレットとハーディス、そしてウェスティンが息を飲む。壁際に立ったままだった祈祷師ヒョウさえ僅かに身を乗り出した。


「これは・・・・・」


そこに輝くのは鮮やかな朱金。
まるで真っ赤に燃えた鉄を彷彿とさせる灼熱の色。右目の涼やかな海の色とは余りに違う、金を纏わりつかせた激しい光。

ヒューレットたちは射抜かれたかのように身じろぎもせず、ただ見つめ返すだけだった。


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