第六章


[09]潜入E


広間に響き渡るのは異国風の不思議なしらべ。
澄んだ音色とどこかもの悲しげな旋律は、追悼の宴に相応しい。



夕方から催されたツァイス伯爵を偲ぶ宴は、そんな旅芸人たちの奏でる美しい音楽に乗って、静かに始まった。

宴の一部は晩餐会で、広間中央に据えられた幾つもの長卓に、貴族を中心とした客たちが肩を並べて座っている。
追悼ということもあり、出席者はみな華美な装飾を避け、落ち着いた服装だ。

女性たちにも華やかな色は無い。深みのある青や深緑、ガーネットのような赤などの露出の少ないドレス。胸元や袖口からは生成のレースが控え目に覗いている。

しかし、派手ではないが決して暗い雰囲気でもない。寧ろ普段の華やかで明るいドレスより、女性たちの肌が際立ち、いつもとは違うしっとりとした色香を放っている。

また、隣同士大きな声をたてずに耳打ちする様子は、恋人たちの甘やかな囁きにも似て、何だか妖しい雰囲気も醸し出していた。




「なあ、追悼の宴って、こんなだったっけ?」

トゥーリ旅団団員の何人かは、宴席の不思議な空気に戸惑い気味だ。

晩餐会ということで一部は音楽のみ。出番のない団員たちがヒソヒソと囁きあう。

今まで様々な国に赴いて芸を披露してきたが、死を悼む席の場合、すべからく女性のすすり泣きが聞こえ、目や鼻を真っ赤にした人々がハンカチを握り締めているものだ。

だがここはどうだ。初めに聞いていなければ、とても追悼とは気づけなかったに違いない。

「みんな奸計の算盤を弾くのに忙しくて、死を悼むどころじゃないのさ」

小さな、だが面白がる響きの声が芸人たちの疑問に応える。
曲を奏でる楽団の後列、弦楽器担当のギルバートだ。

僅かに首を傾け、後ろの出待ち組をチラリと見る。琥珀のように艶のある瞳が、細い瞼の向こうで楽しそうに瞬いていた。

「まあ、いいんじゃない? 女の人たちはみんな綺麗だし。いやー目の保養になるねぇ。露出高いのも勿論いいけど、こういうのも雰囲気があってなかなか」


浮き立つような声。心なしか、弦を弾く指が軽やかだ。

「なるほど」

言われた芸人たちは、ギルバートの感想を踏まえて、もう一度出席者の列を観察してみる。

確かに明るい表情ではない分憂いがあり、婦人たちの瞼に付けられた長い付け睫毛が、伏し目を最大限に演出している。

「ね、風情あるでしょう」
「・・・・・・」

無言で頷く芸人たち。


一方、模造刀を持ったまま旅団の最後方に立つサイクレスはそうはいかない。
眉間に深い縦ジワを刻み、苦々しい顔つきで長卓を見つめている。

朴念仁で恋愛回路が断絶しているサイクレスに、女性の色気などわかるはずもなく、ただこの死を悼むらしからぬ宴に腹を立てているらしい。
黒褐色の肌のお陰で表情は余り目立たないが、近くで見ると芸人にはあるまじき凶悪な顔だ。


「サイスさん、眉間の皺」

舞姫の衣装を纏い、よりいっそう艶やかになっている蒼から注意が飛ぶ。と同時に、蒼の踵がトーガと併せてサンダルを履いているサイクレスの素足を直撃する。

「うっ!」

小さく呻くサイクレス。

かなり痛い。

「何て柄の悪い顔です。貴方、トゥーリ旅団の評判を落とす気ですか」

飛んできた鋭い声と痛みに堪えつつ、何とか無表情まで改善するサイクレス。目尻がうっすら潤んでいる。

「・・・・すまない」

「気をつけてください。貴方は目立つんですから。
大体折角の機会です、人間観察をしてください」

・・・・・人間観察?

怪訝な様子を察したのか、蒼は周囲に気付かれないよう正面を向き、口を殆ど動かさないまま重ねて説明する。

「こういったときにこそ、派閥の動きがわかるものです。ほら、あの一番右の中央の方」

言われて表情に気をつけながら、サイクレスもその長卓を見る。

視線の先には亜麻色の髪をした中年の男。食事をしながら隣の初老の男に声をかけ、時折会話の合間に正面を向いてワインを飲んでいる。

「・・・・・特に変わった様子は無いが」

会話は密やかながらも弾んでいるようで、殆ど途切れていない。そのせいか男の前の料理は手付かずのままだ。

だがワインはきっちり飲んでいるようで、給仕の召使いが何度か注ぎに現れている。

「よく見てください。あの方、会話の合間にワインを飲んでいますが、よく見ると隣の水のグラスを飲むときがあるんです。ほら、今」

二人の視線の先で、男は水の入った透明なグラスに口を付けた。

「まあ、別におかしくはないだろう」

食事をしているのだから水を飲むときもある。また酔いを調整する為にも水は必要だ。

「確かに、あの方一人なら不自然ではありませんがね。では今度は2つ隣の卓の左端、立派な口髭を蓄えた濃い茶色の髪の方を見てください」

言われるままに視線を動かすサイクレス。
その壮年の男には見覚えがあった。
男を見た瞬間、無表情に徹しながらも、サイクレスの眉が一瞬潜まる。

「カルタス伯爵」

口調にも苦いものが混じった。

「お知り合いですか?」

顔はそのままに僅かに瞳を動かす蒼。サイクレスの声に何かを感じたようだ。

「・・・・・御子息が近衛連隊の隊員だった」

「・・・・・そうですか」



近衛連隊の隊員たちは、主に名家の子弟で構成されている。しかし、ジュセフが連隊長に就任してからというもの、他の後継者を支持する派閥と繋がりのある隊員たちは、軒並み脱退してしまったのだ。
カルタス伯爵の息子もその一人だ。

そのときのことを思い出したのか、苦々しい顔に逆戻りするサイクレス。

「サイスさん、顔っ。
・・・・・しかし、そうなるとあの方はどの派閥なんですか?」

「・・・・・リャドル様だ」

蒼に注意され、また無表情を作るサイクレス。
だが口調は苦いまま。

「リャドル皇太子、なるほど・・・・・。ではサイスさん、よく見ていてください。あの方、先程の男性がグラスを持ち上げると、少し遅れて自分もグラスを手にしています。そして飲むときは同時。ワインと水の選択も同じです」

「えっ」


本当である。亜麻色の中年貴族は自然だが、カルタス伯爵はグラスを取る手が少々ぎこちない。恐らく相手を見てから動くので焦るのだろう。

「そして、この会場には後二人同じ動きの人がいます」

そこまで言われれば、鈍いサイクレスでも意味がわかる。

「合図か」

恐らく亜麻色の髪の男が、隣りの初老の男と密談を交わし、その結果を同じ派閥の人間に伝えているのだろう。

「お互いの様子から見て、初老の男性を懐柔しようとしているのでしょうね」

そして長卓中央の髭伯爵は目立つので、他の皆は彼の行動で判断をしているのだ。

「あの紳士がどの派閥かがわかれば、もう少し状況が読めるのですが・・・・・」

微笑は絶やさずに、不満そうな口調という器用な態度の蒼。
しかしサイクレスにもその紳士はわからない。堂々として身分は高そうなのだが見ない顔だ。

すると、

「あのおじいさん?ハーディス皇子派だよ、確かアンティノス公爵とか言って、財務局長だったと思うけど」

曲が代わり、出番が終わったギルバートがいつの間にか二人に近付いていた。
彼も話していることを招待客に悟られないよう笑顔は絶やさず、口を動かしてもいない。最も、元から笑ったような顔立ちではあるのだが。

「あのおじいさんが、こんなところ来るのって珍しいよ。ガチガチの騎馬民族出身で普段は仕事一筋、執務室から出ないんだよ。貴族になったのだって商人転身組に国は任せられないって理由だし」

小声で背景をスラスラと語るギルバート。明らかに詳しすぎる。
一介の旅芸人にはあるまじき知識だ。


だが、実はこのギルバート、姫館魅煉に住まう監察士灰の子飼いの部下だったりする。

余りにも周りに馴染んでしまい、言われるまで全くわからなかったサイクレスだが、灰が複雑な皇位継承紛争の把握にと付けてくれただけあり、ギルバートの知識は非常に豊富だ。
特に人の顔は、何故そんなに覚えているのかという程。皇城中の人間を知っているといっても過言ではない。

生まれつきの貴族で、国中が欲する地下通路の地図を頭に収めているサイクレスだが、政治に興味がないせいで貴族連の知識は無いに等しい。
大まかな貴族の名はわかっていても、細かいところは抜けている蒼の助けには殆どならなかった。

二人にとってギルバートはとても貴重な情報源であった。

「アンティノス公爵、大物ですね。あの方がハーディス皇子支持の筆頭貴族」

威風堂々とした紳士、アンティノスと亜麻色髪の中年の交渉は、双方ある程度得られるものがあったらしい。

会話終了の合図に、お互いのグラスを僅かに掲げて目配せし、同時にワインを流し込んだ。

「どうやら暗躍・密約はハーディス皇子派とセルシウス皇子派だけではないようです」

その様子をじっと見つめる蒼の左目を隠す金属板が、室内を明るく照らす室内灯に反射して、縁取るように輝いた。


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