第四章


[07]策士E


「毒屋には二種類ある」

灰は白く長い髪を気だるげに掻き上げると、どこか遠くを見て説明する。
額を滑る絹糸のような髪が、自ら発光しているかのようだ。

「一つは、一般人が興味本位で毒物に手を出したり、薬師が己の領域を超えてしまう場合。特に薬師は製造できる境界が曖昧な所もあるのでな」

誤って毒薬を生み出してしまうこともある。

「そしてもう一つ、こちらの方が危険は大きい」

灰は蒼に言われたにも関わらず、眉間にシワを寄せて難しい顔を作る。

「そう、非常に厄介です」

蒼も外套の下で腕を組み、考え込んでいる風だ。

二人ともサイクレスに話し掛ける形を取ってはいるが、自分の考えに没頭してしまっている。

「製造者未特定の毒薬が出回るもう一つの可能性、それは、資格を剥奪された毒操師が携わっている場合だ」

灰の声は重苦しい響きを帯びていた。






「今回の毒薬、手元にあるのか?」

灰が蒼を見やる。

「ええ、大分薄まってますが」

蒼はまたどこからともなく瓶を取り出す。
宿で見ていた薄青い、浴槽の水だ。

それを長椅子と一人掛けの間にあるカフェテーブルにコトリと置く。
瓶の中程まで入った水が、動きに合わせて大きくうねった。

「なるほど、製造者特定が出来ていないな」

灰は置かれた瓶につと手を伸ばす。

灰の白い手のひらの上で瓶はコロコロと転がされた。

「特性は?」

「遅効性の血液毒です。血液中に取り込まれると、毛細血管まで入り込み、血管の膨張と硬化、血液と皮膚の変色を引き起こします。最終的には全身の血管が破裂し、体の内外に血を吹き出すことになるでしょう。
致死毒としてはかなり強力ですね。浴槽いっぱいの水に、耳掻き一杯の量で事足ります」

蒼の説明に苦痛の記憶が蘇り、サイクレスの肌がざわりと粟立った。

そんなに恐ろしい毒だったのか。
改めて背筋に冷たい汗が流れる。

「それで、蒼お前、何を混ぜたのだ?」

灯りに透かして見る灰。
見る限り、若干ゴミが浮いているくらいで、後は普通の色水だ。とてもそんな恐ろしい毒が含まれているようには見えない。

「揮発防止剤ですよ。念の為ね。毒素の分解にお湯と酒を使ったので」

湯と酒ーどちらも物質を空気中に放出させる作用がある。
ということは、もし防止剤を入れていなかったら、あの場にいた全員が中毒してたということだろうか。

「・・・・・・・・・」

「サイクレスさん、そんな顔しなくても大丈夫ですよ。念の為と言ったでしょう。この手の毒薬は、致死量が微量であっても、直接触れて体内に取り込まれない限り人体に影響はないのです」

蒼は黙り込んだサイクレスの太腿を指差す。

「本人さえ気づかないような小さな傷、これこそが侵蝕の源です」

思わず自分で傷の辺りを撫でてみるが、全く痛みも違和感も感じない。

蒼は灰に向き直る。

「さて、灰。その毒薬、抽出できますか?
毒屋の手がかりはその毒薬だけ。となると、徹底的に成分と調合配分の分析が必要です」

「言われんでも分析はするが・・・・・・。ここまで薄まっていると完全には取り出せないかもしれんな」

灰は難しい顔をして瓶を振る。

「お前の揮発防止剤も含まれておるし、別の毒薬になりかねん」

「では私の分の配合表を置いて行きますよ。参考にしてください」

そういうと、またどこからともなく取り出した紙片に携帯用のペンでさらさらと書き付ける。

カフェテーブルにひらっと飛ばされた紙片を、灰の長い指が受け止める。

「ふん、また随分と簡単にレシピを寄越すではないか?
門外不出にする毒操師が多いというのに」

意外に繊細な字を眺めて灰は目を細める。

「揮発防止剤なんて秘密でも何でもありませんよ。大体、私には開発した毒薬を後生大事に保管して夜な夜な悦に入る趣味もありませんし」

「何やら具体的だが、そのようなものいたか?」

蒼は少しだけ前髪をいじる。隙間から形の良い鼻先が現れた。

「今回の騒動、少しだけ引っ掛かる人物がいるんですよ」

蒼の声は皮肉な響きを帯びていた。


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