序章・・


[01]日向の家


物語の始まりは、そう、日向の匂いのする家。

幾千種類もの薬草が吊された軒下に、数百はあるだろう小瓶の並ぶ壁一面の棚。
天井からはカラカラに干からびた原型のわからない様々な動物の干物が下がり、腰程の高さの長机の上に置かれたすり鉢には、半分粉末になりかけてる爬虫類のような足が見える。

そんな一見異様な室内。

だが、至る所に置かれた香草と紫煙くゆらせる薫香が、不気味な空間にあって不思議と心を落ち着かせる。
訪れる客は、いつの間にかゆったりと心地よい気分になっていることに気付くのだ。






しかし、何事にも例外はある。

精神安定の作用がある柔らかな香りも、本日の訪問者には効果がないようだった。


長机の手前には、茶を飲むための卓子と素朴な作りの木の椅子が置かれている。

そこに泰然とした様子で、背の高い青年が腰を下ろしていた。

黒い上衣、黒い下衣、鉄板が打ち付けられた黒い長靴、肘まで覆う革手袋も勿論黒。そして室内だというのに黒い外套を脱ぎもしない。

全身見事に黒ずくめであり、日向の明るい室内にあっては、まるでそこだけ切り取られたかのように闇に沈んでいる。

青年は先程から小揺るぎもせず、じっと一点を見つめている。

出で立ちとは対照的な珍しい青みががった銀髪は短く刈られ、その下の彫りの深い顔立ちはまだ若い。

しかし眉間に寄せられた皺と引き結ばれた口元は厳しく、青年を実年齢よりもずっと上に見せていた。

黒とも見紛う深い藍色の瞳が見つめるのは、小卓に置かれた小さな木片。

その中央には、不思議と輝く塗料で短い文章が書かれていた。






<ご用の方はこちらにお座りになってお待ちください。
店主はそのうち参ります。
お声掛けは不要です。

尚、お待ちの間は深呼吸などされるとよろしいでしょう。


毒操師 蒼>







青年は吹きそよぐ風の囁かな音しかない、時間が止まったかのような空間で、優に一刻はその姿勢のまま微動だにしない。

その姿は、表情が少々険し過ぎるが、美麗と言える容姿と相まって彫像を連想させる。

題は、青年の苦悩と言ったところか。

しかし、生きた人間である以上、固まったまま動けないわけではない。





「!」





息すらしていないのではと思われた青年が、突然顔を上げる。


空気が動いた。


漂う香草の香りと薫香の中、ほんの少しだけ違う香りが混じった。

例えて言うなら、芳ばしいといった感じだろうか。

青年は素早く立ち上がると、室内を隈無く見回した。

何一つ見逃さないといった鋭い眼光。
また利き腕と思しき右手は、油断なく外套の中に差し入れている。

先程とは別の静けさが室内を支配する。青年の気迫が、空気をキリキリと張り詰めていく。



一体どれだけの時間そうしていただろうか。





根負けしたのは、青年ではなかった。



「やれやれ、殺気丸出しですね。諦めてくれればよかったのに」


何の前触れもなく、のんびりした声が落ちた。

そう、声は落ちてきたのだ。

青年の高い頭の上から。





「な!」




驚いて上を向く青年。

だが天井には吊された薬草や干物ばかり。当然ながら人の姿はない。

それでも声の出所を突き止めようと、青年は視線を上に向けたまま応える。


「あなたは毒操師だろう。依頼を受けないつもりか?」

外套に差し込んだ右手に力が入る。拳を強く握ったようだ。

「受けたくないですねぇ。特にあなたのような物騒な代物を持った人からは」

抑揚の感じられないのんびりした声。ほんの僅かに嫌悪が滲んでいる。

「剣ではないですね。暗器・・・・・それも拳を握り込んだとなると長針ですか」




「!」




手の平より少し長い鋼で出来た長針は、指の間に挟み込み勢いを付けて相手に放つ。熟練者ともなればかなり遠くまで飛ばせ、的も自由自在だ。

青年からは姿が見えないのに、相手からは自分が見えているらしい。

益々警戒を強め、油断なく周囲を見回す青年。


「・・・・・・」

そこに声にならない、だがはっきりとした溜息が響く。

「・・・・・簡単に依頼と申しますが、日々を懸命に生きていらっしゃる普通の方々は、私のような職業の人間を頼ることなど、一生に一度もありません。訪れた方も一時の気の迷いというのが多いものです」

緊張感に包まれている青年と裏腹に、声の主はのんびり淡々とた調子を崩さない。

「ここへ来られる方の五割は冷やかしなので、この日向の家に拍子抜けして帰られます。
三割は、長時間待たされることで諦めます。
後の一割半も、待っているうちに気持ちが静まって、目的がうやむやになられます」

「・・・・・あなたは商売をする気があるのか?残りの五分は?」


余りにやる気の無い態度に半ば抜けながら、長針を握り込んだままの青年が尋ねる。


「・・・・・」

声はさらに溜息をつく。如何にも嫌そうといった感じだ。


「そこが厄介なのです。四分は気休め程度のものをご所望されますが・・・・・」


声が唐突に途切れた。


「?」

何かの気配を感じたのか、訝しげに上を向いた青年の視界を、突然一面の群青色が遮った。


「!!」


咄嗟のことに思わず握っていた長針を放ってしまう。

鋭い針先は群青色の中心を正確に射抜いた。針に引っ張られるように群青色がよれて歪む。

それは大きな布だった。

一体どこから降ってきたのかはわからない。

貫かれ、いびつたわんだ布は、針を巻き込んだままつやつやした樫の木の床にふわりと落ちた。


「最後の一分は、あなたのような厄介で物騒な依頼をされる、困ったお客さんなんですよ」


声が、群青の隙間を縫うように耳に届いた。




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