第三章 迷い〜そして戦場へ〜


[14]第五○話



「そんな事があって、あの人は……如月大臣は終わりなき戦いへと身を投じたわ」


 如月慶喜の過去を話終えたキサラは、バックミラー越しにネルフェニビアを見た。

 今の話で何かが変わる事を期待していた。


 だが、この様子では何も変化していないのかもしれない。


「……して」

「…………」

「どうして、そんな話を…私に……?」


 彼女に向けられたネルフェニビアの顔は、救いを求めているまさにそれだった。

 条件は揃った。後は鍵を開くだけ…………。


「………そうね。それは――」

「え………?」


 それは唐突に起きた。


 ネルフェニビアの眼前で飛び散る鮮やかな紅い滴。

 助手席に向かって横たわるように倒れるキサラ。
 そして、首筋の小さな穴から流れる赤い液体。


「そ、んな………。キサラさん……! しっかりしてください! キサラさん!」


 ネルフェニビアは助手席の背もたれを倒すと、倒れた彼女を介抱した。


 一方、キサラは震える右腕を重そうに持ち上げて、口を開いた。

 音では聞こえなかった確かな言葉が視覚を通して脳に告げる。「逃げなさい」と。



 血のたまった口から、ごぽり嫌な音がしてと肺の空気が押し出された。それから右腕がゆっくりと下ろされる。


「ひっ……!」


 その見開かれた目を見てネルフェニビアはあとずさった。



 脳裏に、炎に包まれた光景が浮かびあがる。

 人々は逃げ惑い、追う者が追われる者をまるで玩具のように壊していく様子だった。

 さらに、自分の目の前に突如現れる死体があった。
 その目は驚愕と恐怖で満ちたまま開いていた。


 そして今あるこの光景。


 過去と現在が、全てが一致した瞬間だった。


「いやぁぁぁぁあああぁぁぁああぁぁ!」


 全てが無くなってしまえばいい。そう、これは夢なのだ。
 彼女の思考回路は完全に破綻した。





◇◆◇◆◇◆◇◆





 ここはキサラの運転する自動車から少し離れたビルの屋上。
 長距離射程の狙撃銃を手にした中肉中背の男性は、スコープ越しに全てを見ていた。


「この場所から目標までの距離を考えれば奴は即死だな」

「そうか……。それは嬉しい限りだ……」


 中世ヨーロッパの貴族風の男性は、声を、いや身体を震わせていた。


 そこから滲み出るものは歓喜。
 長年見てきた夢を叶えたような喜びが溢れている。


「邪魔は消えた。やっと、やっと実行の瞬間が訪れた……。そうだろう? “役立たず”よ」

『はっ。おっしゃる通りで』

 “役立たず”と呼ばれた女性は、歓喜に満ちた男性の問いに感情が一切混ざらない口調で念話で応じた。

 その声の主は黒崎アリア。今の彼女は、淡々としている。



 それが面白くなかったのか、貴族風の男性はさげすむような口調で、


「小娘の処分はシェライクに一任する事にした。貴様は早く“紅蓮”を消せ」

『はっ』


 アリアとの念話が済むと、貴族風の男性は一層顔を歪ませた。


「さあ、幕開けの時間だ」


 シェライクと呼ばれた狙撃手は、それに呼応するように銃を構えた。



 スコープ越しに見えるのは女。


 後部座席に向けてシェライクが引き金を引いた時、一発の銃声が轟いた。


「やったか?」

「いえ……。何者かに先を越された………?」


 貴族風の男性の狂喜に満ちた問いに、シェライクは驚愕の目でスコープの先を見ていた。


「ターゲットではなく、運転手が撃たれています……まさか!」


 飛び上がるようにしてシェライクは建物の内部とつながる扉に、狙撃銃を向けた。
 しかし、姿は全く見当たらない。


「残念だったな、シェライク。そしてヴェリミエッタ」

「その声は…、ガザフスか? 裏切り者のガキが、何をしにきた?」


 ヴェリミエッタと呼ばれた貴族風の男性は、怒りと狂喜で歪んだ顔を見せた。



 シェライクは、姿なき敵に周囲を警戒している。


「お前らがムカつくからだ」

 苦々しいものを口にするような物言いをすると、ガザフスの気配は完全に消えた。


「まだまだだ。私の邪魔をしようなどとは百年早い……? なんだ?」


 ヴェリミエッタは異常な魔力の流れを感じて自動車のほうを見た。
 次の瞬間、二人は驚きのあまり、その場から動けなくなっていた。


「あれは、もしや……!」

「ああ。間違いない。鍵はここにあったのだ…………! 全てを手中に収める事ができる無限の力が!」


 キサラの乗用車から、一筋の巨大な光が天に向かって伸びている。
 それを基点に、上空の雨雲はゆっくりと渦を作り始めた。


「扉が開く瞬間だ! 行け、我が同胞たちよ! 全てを奪い、ことごとく貪り尽くせ!」


 ヴェリミエッタの狂喜に満ちた高らかな叫びが周囲に響いた。



 何もかもが自分のものだという無限の欲望をたたえる叫びだった。




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