第一章 始まりは突然に


[14]第十四話



 静かな夜だった。
 先のマンションでの戦いの後とは思えないくらいに静かな夜。
 窓から入り込む月明りが、照明の消された医務室に差し込んでいる。
 ただ文句を言うとしたら、この鼻に来る消毒液の独特な香りだろうか。いや、もっと問題なのが“ある”。いや、それよりも“いる”と言った方が的確だろう。
 今それは隣で寝ている。だが、隣のベッドで、という意味ではない。

「…………何故、こうなる」

 如月は、無表情のまま呟いた。
 すぐ右隣りからは、規則正しい寝息が聞こえる。

「暗闇が怖いからって、これはないだろうが」

 如月がチラリと音のする方へ目をやると、ちょうどネルフェニビアの獣の耳がピクピクと動いていた。
 相手はちゃんと寝ているのに、まさか聞かれたのでは、とついつい心配してしまうのは人間の心理だろうか。

「何戯けた事言ってるんだか」

 そんな自分の思考を一蹴すると頭の後ろで両腕を組んだ。
 そしてふと考える。
 魔法の事、これからの事、アストラルの事、そして、ネルフェニビアの事。

「………………」

 ここで如月の思考は一時的に止まる。
 なぜ最後にネルフェニビアの姿が脳裏に浮かんだのか。
 確かに、人に在らざる獣の耳と尻尾があり、気になると言えば気になる。
 だが、それは最初の間だけで今となっては全く気にならない。それに知り合ってからまだ間もない。敢えて言うなら単なる友達か相棒だろう。
 如月の頭では、それくらいにしかネルフェニビアを認識していない。
 いや、感情を除いた事実を並べて考えるスタンスを取る如月にはその程度しか分からないのだ。

「本人直接聞くわけにもいかないしな………」

 これだから人という生き物は、と毒づいていた如月だったが、またも思考が停止した。
 どうやら今度は内的要因ではなく外的要因のようである。
 ネルフェニビアが寝返りをうった。
 それも如月の方に、だ。
 如月がちょっと顔を横に向ければ、ネルフェニビアの寝顔がほぼゼロ距離で視界に入る。しかも、腕の上にネルフェニビアの頭が乗っているので身動きがとれない。
 こんな事態は初めての経験という如月は、かなり焦っている。
 身体を背けようにも、身動きがとれない。このままでいても、寝息が耳をくすぐり、こそばゆい。
 まして、ネルフェニビアの方を向くなど自爆行為に等しい。

「………頼むからどいてくれ」

 泣き言かのように悲痛な叫びを呟く如月だったが、やはりそれはそれ。
 日頃の行いが良いのか悪いのか定かではないが、こうなってしまっては諦めるのが一番の選択肢だろう。
 しかし、如月はその最良の選択肢を実行しようとしない。

「ん……う、ん……」

 もぞもぞとネルフェニビアが身動ぎをした。
 ここに来て、如月が発狂寸前にまで慌てふためく。
 なんと、ネルフェニビアが抱き着くように身体を密着させてきたのだ。
 ネルフェニビアの甘い香りや体温、寝息が直に如月を刺激する。さらには、ネルフェニビアの柔らかいものまでもが。
 こうなってしまっては、理性が切れる寸前に実行したほうが良い、と如月は決断した。
 そう、ネルフェニビアの位置を寝返りをうつ前の場所に戻そうという作戦だ。
 ネルフェニビアを起こしかねないと心配していたが、現状打破しなければこちらの身が危ない。
 そう思って、申し訳なさそうに小さく一言謝ると、そっと自身の身体を横に動かした。
 その時、

「っ……!」

 奇妙な気配を感じた。
 さらにわずかながらの殺気。
 如月は心を落ち着けて、目を閉じた。
 だが、ネルフェニビアのせいで精神が集中できない。
 自分の不甲斐なさに、内心で悪態づいた。
 ネルフェニビアには申し訳ないが、静かにかつ素早くベッドから降りた。

「数は……多いな」

 腰に手を当て、マグナムがある事を確認する。

『手だれだぞ。実質手負いのお前で行けるか?』
「大丈夫だ。魔力の調整さえできれば問題はない」

 アストラルの契約者を心配する気持ちに感謝しながらも、如月はどこから攻められてもいいように周囲を見渡している。
 直後、全ての気配と殺気が消えた。
 次の瞬間、廊下へと続く扉が蹴破られた。


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