第七章
[07]疑惑E
「端的に申し上げますと、あなたのご要望を今すぐ叶えて差し上げることは出来ません」
窓の無い豪奢な小部屋で、事情を全て聴いたヒューレットはそう答えた。
「えっ?」
向かいのソーニャは目を見開く。
そのように返されるとは予想していなかった、といった顔だ。
戸惑うソーニャ。身を乗り出す。
「それは、どういう・・・」
「今すぐは、亡命をお引き受け出来ないと申しました」
ソーニャとは対照的、長椅子に深く腰掛けたヒューレットは考え込むように膝の上で手を組み合わせる。
「貴女の事情はわかりました。本来ならば直ぐにでも陛下にご報告申し上げて桃嵩国へと使者を送り、亡命の事実を周辺各国に通達するところ。
しかし我が国は今問題を抱えており、それに決着が着くまでは重大な決済が先送りとなっているのです」
頑健なヒューレットがソーニャを見る。
改めて見る顔にはクマがくっきり出来ている。政務長官は相当疲労が溜まっているらしい。
「問題・・・ですか」
あまりピンと来ていない様子のソーニャ。何が妨げとなっているのかわからないのだから仕方がない。
「あの、不躾かもしれませんが、それは一体どのような?」
内部的事情では話して貰えないだろうと、半ば諦めた表情で尋ねてみる。
案の定、ヒューレットは渋面になり、小さく首を振った。
「・・・それは、申し訳ありませんが・・・」
「ジュセフの件だろう?」
突然、ハーディスがヒューレットの横から口を出す。
「皇子っ」
驚くヒューレット。
だがハーディスは飄々とした顔だ。
「隠しても、この城にいればいずれわかることだよ」
既にカップの茶を飲み干していたハーディスは、控えているウェスティンに目線でお代わりを要求する。
冷たい無表情のウェスティンは、無言で新たな茶をカップに継ぎ足した。
「それに姫君だって理由を知りたいだろう?」
カップを持ち上げ、注がれた紅茶の香りを優雅に楽しむハーディス。
「ですが・・・」
言い淀むヒューレットは皇子の気紛れに困惑しているようだ。
ハーディスは一口だけ飲んだカップをテーブルに置くと、小さく肩を竦めた。
「姫君に話したところで状況は変わらないさ。審議会の面々はこれ幸いとアラ探ししているし、リャドル兄上はジュセフを排除することしか頭にない」
皮肉な口調。
達観しているように見えて、その実色々と根が深い。
「問題、というのは皇位継承権についてですの?」
声を小さくして控えめに尋ねるソーニャ。
5年に渡るエナルの皇位継承権紛争は、今では大陸中に知れ渡る程有名な話だ。
トゥーリ旅団とともに旅をしてきたソーニャが噂を耳にしていても不思議はない。
「やれやれ、遠い異国の姫君にも我が国の醜聞は広まっているらしい」
自嘲気味に溜め息をつくと、ハーディスが事の経緯を語り出した。
「姫君。我がエナルでは二日後、三日間に渡って大規模な審議会が開催されるのだよ。審議会とはすなわち犯罪の真偽を問う場。そして審議されるのは殺人未遂及び殺人教唆。容疑者は二人。近衛連隊顧問毒操師、緋と近衛連隊長にして皇女、ジュセフ・ジェファーナ=ヴァン=エナル、
そう我が妹さ」
ヤケになったようなハーディスの声が、小さな部屋に大きく響いた。
薄暗い照明の中、密談するかのようにボソボソとした話し声がする。
「・・・審議会終了までの時間稼ぎは計画通りに行きました。後は有力情報の収集です」
「客人待遇だし、ハーディス皇子に城内見学でも頼む?」
「いえ、それですと当たり障りのない場所を案内されて終わってしまいます。出来れば自由に動きたいですね」
「うーん、結構厳しいと思うよ。間抜けな国家警備軍だけど人数は無駄に多いから。勿論護衛と称して監視も付けられるだろうし」
「では、やはり夜陰に乗じての行動と皇子にリサーチでしょうか。皇城の塔に拘束されているジュセフ皇女と緋に接触出来ればいいのですが。フレディスさんの居場所も掴む必要がありますし」
「身分も立場も違うから、副長さんは普通に皇城内の牢だと思うけど、毒薬を隠し持っているかもしれない顧問毒操師さんとお姫様は特別待遇の可能性が高いなあ」
「サイスさん、貴方フレディスさんがいる牢に心当たりはありませんか?」
「・・・・えっ?」
どんどん話が進む中、完全に取り残されていたサイクレスが突然振られた話に戸惑う。
客人として城に滞在することとなった蒼たち三人に、ハーディスとヒューレットは庭園の見渡せる日当たりの良い部屋を用意した。
勿論、それは王女ソーニャの為の部屋であり、サイクレスとギルバートは続きの小部屋だ。
真夜中に近い時間。明け方まで飲み明かす一角を除き、城の大半の住人が床に就いている。城内はひっそりと静まり返っていた。
しかし、部屋に引き上げた蒼たちはそうはいかない。何しろ審議会まで時間がないのだ。寝る間も惜しむ必要がある。
「どうですか?サイスさん」
再度問う蒼。
今の蒼は、いつ何時訪ねられてもいいように女性らしい部屋着を身に着けている。
念入りにブラッシングした髪が薄着の肩を覆い、なめらかな艶を放っていた。
「あ、ああ、城内の牢は地下にあるが・・・」
しどもどしながら答えるサイクレスも、トーガはそのままだがジャラジャラした装飾品は外している。
ただし穴を空けて付けた耳飾りはそのままだ。きっと一度外してしまったら二度と穴が見つからなくなるからだろう。
「そこに通じる道はありますか?」
どんな見取り図よりも正確に城の地下道を把握しているサイクレス。
勿論これを利用しない手はない。
「牢の外の廊下までならあるが・・・」
いくら脱出路になっているとはいえ、牢内では犯罪者たちに見つかり脱走される恐れがある。不足の事態には犯罪者が切り離せるよう考えられているのだ。
「ちなみにその地下道は何かに使われていますか?」
「いや、牢の地下道は一般に知られていない。皇城側が悪用すると困るからな」
犯罪者と手を組み脱走の手引きをする人間がいないとは限らない。
通路同士を繋ぐ隠された扉の存在を知り、その全貌を把握するサイクレス以外には単なる短い地下通路だが、それでも悪用は十分出来る。
サイクレス自身は頭脳労働の苦手な剣術一筋人間だが、その存在はエナル皇国の最大の秘密と言えるのだ。
「では、フレディスさんへの接触を何とかしましょう。いくつか確認したいこともありますし」
肩口に掛かる巻き髪を背中に払いのけ、蒼は手近にあった荷物から鎖のついた何かを取り出した。
「・・・それは」
サイクレスとギルバートが照明に僅かに輝くそれを覗き込む。
「鍵?」
鈍い金色のごく小さな鍵が鎖に吊られ、ゆらゆらと揺れている。
「そう、フレディスさんから頂いたものです」
「・・・!。あのときの」
近衛連隊宿舎でファーンが蒼に渡した執務机の鍵だ。
「書類は魅煉に置いて来ましたが、中身はここに」
といって自分のこめかみ辺りを差す蒼。
頭の中に収まっていると言いたいらしい。
「一体何が書かれていたのだ?」
あの時は兵舎からの脱出に手一杯で、書類を読む時間などなかったが、蒼は魅煉に着いてからきっちり目を通したらしい。
「それは、事実を確認してからです」
明言しない蒼は鍵をまた荷物の隠しに仕舞う。
「後はジュセフ皇女と緋ですね。皇城の塔と言っても一つではありませんし、部屋も無数にある筈。果たしてどこにいるのでしょうか」
「すまない。俺は城内の方は余り詳しくないのだ。拘束されている場所も副長から塔としか聞かされていなかったし」
申し訳なさそうにサイクレスがガシガシと頭を掻く。
地下に関しては並ぶものの無いサイクレスだが、建物内部となると地下道の出口付近と主要な場所以外殆ど把握出来ていない。
近衛連隊の役割上、皇城内にいることが少なく覚える機会がなかったのだ。
「そうですね。貴方は広間の隠し部屋のことも知りませんでしたし・・・」
地下の複雑な隠し扉は難なく開けることの出来るサイクレスだが、ハーディスが隠し扉を披露したとき一緒に驚いていた。
また、隠し小部屋の秘密が明らかになったときも、同じように驚いていたのだ。
話が一段落つき、そろそろ用意された部屋に引き上げようという時、ふと思いついたようにソーニャが尋ねた。
「そう言えば、ハーディス様はここからどのように舞台をご覧になったのです?」
小部屋は豪奢で居心地はよかったが、窓がない。これでは隣の広間の様子を伺い知ることは不可能である。
小部屋の扉から見ていたとしても、位置的にいってにじっくりとは観覧出来ないはず。
「ああ、まだ種あかしをしていなかったね」
ソーニャの質問にまたもや楽しそうな顔になったハーディスは、立ち上がり壁に向かう。
その先にあるのは、窓のない息苦しさを緩和するハイルラルド漁港の絵画。
「この部屋は、元々陛下の控えの間だったんだよ。陛下が広間にいなくても宴の様子がわかるようにってね」
そう言うとハーディスは青が美しい絵画に手を掛けた。
「あっ」
思わず声が出るソーニャ。仕掛けを知らない他の人間も驚いて身を乗り出す。
絵画はまるで扉のように片面が外れ、手前に大きく開いたのだ。
「・・・鏡」
絵画の裏には一面に鏡が貼られており、シャンデリアの光を眩く反射する。
そして後ろの壁には窓が隠されていた。
「・・・・・?」
しかし、窓には細長い板が縦に何枚も張られており、隣の広間を見ることは出来ない。
不思議そうな顔で見つめるソーニャ。だがその表情は抑えきれない好奇心で輝いている。
「いいかい、ここからが注目だよ」
ハーディスは鏡の角度を調整し、額で隠されていた突起のような摘みを掴むと、それを右から左にスライドさせた。
「ああっ」
驚きの声があがる。
隙間なくピッタリと並んでいた細長い板が、摘みの動きに合わせて回転し、それぞれ斜めに隙間が出来たのだ。
そして隙間の向こうから覗く広間の様子が、絵画の裏に貼られた鏡に反射してソーニャたちに届いた。
「まあ、面白い」
ソーニャが関心していっそう覗き込む。
鏡によって左右逆になっている広間は、もう宴の名残もなく閑散とした感じだ。
そして仕込み窓の正面には一人の青年がこちらを向いて佇んでいる。
ハーディスの使いと言って、蒼にこよりを渡したあの地味な青年だ。
「フィッツ、ちょっと動いてくれるかい」
ハーディスが青年に話し掛ける。
呼び掛けにフィッツ青年は窓から少し離れると、腰に提げていた護衛用の細身の剣を鞘ごと抜き、軽やかに短い型を披露した。
まるで剣が生きてフィッツの体に纏わりついているかのような、なめらかな動き。気配を消すだけでなく、剣も相当使い手であることが容易に知れる。
見事な剣捌きは、鏡を通じて小部屋にいる全員で見ることが出来た。
「広間からこの壁は飾り造りに見える。小部屋の証明を暗くすれば、こちらの様子は全くわからないよ。まさに絶好の隠れ家だ」
得意満面なハーディス。先程までの皮肉げな雰囲気はまるでない。
そこへ。
「・・・父にそのように伝えておきます」
静かすぎる声が広間から小部屋に届いた。
途端ハーディスが焦りだす。
「フィッツ!、私を裏切るのか? 駄目だ、じいには絶対に秘密だっ」
この旅芸人たちの中で気配を悟らせず、また剣を自在に操るフィッツは砂漠の黒牙、グレイ=オーファンの息子らしい。
剣術の達人親子が揃って仕える皇子。
(・・・ハーディス皇子、貴族連が群がるはずだ)
優れた配下は財産だ。またそれはハーディスにカリスマ性がある証拠とも言える。
(皇位継承紛争、まるで絡み合う欲望の糸を手繰るようだ)
蒼はソーニャの顔の裏で、深い溜め息をついた。
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