第七章


[03]疑惑A


カチャ

布の影に隠されていた扉に手を掛けるハーディス。小さな扉だ。華美でも豪華でもない。簡素なノブに僅かに装飾が彫られているのみ。

ハーディスの手の中に握り込まれた装飾は、なぜか羽根の形をしていた。

「こちらにどうぞ、姫君」

ハーディスはノブに手を掛けたまま、王女ソーニャを招く。扉はまだ開かれていない。

その菫の瞳は期待に輝き、まるで宝物を披露する子供のようだ。

「可愛らしい扉。向こうは隠し部屋になっていますの?」

「それは見てのお楽しみ、かな?」

誘われ、扉に足を向けるソーニャ。

そこは広間の片隅ではあるが、仕切りの布が影を作り薄暗い。これでは扉から人が出入りしても全く気づかれないに違いない。

まさに隠し部屋だ。

自分の直ぐ近くまで来たソーニャに笑いかけると、ハーディスは扉に向き直り、それを開こうと力を入れた。


が、そこへ。


「殿下、私が先に確認させて頂いてもよろしいですか?」

突然、冷静で実直な声が割り込んで来た。

それまで姿勢正しく控えていた王女の従者、忠実なる僕(しもべ)だ。

「ギルバート?」

ソーニャが今まさに開かれようとしていた扉から視線を外し、不思議そうに振り返る。

ギルバートと名乗るその青年は、少し癖のある金茶の髪を襟足できっちり束ね、緩やかなトーガではなく、動きやすい簡素な服を身につけている。だが勿論、簡素といっても皺一つ塵一つない。一国の王女の従者に相応しく清潔で完璧だ。

また、その目尻の少し下がった琥珀の瞳は抜け目ない様子で、青年が職務に忠実な従者であることは間違いなかった。

「ソーニャ様に何かあっては一大事。失礼を承知でお願い申し上げます」

ギルバートはそう言うと腰を深く曲げ頭を下げる。その背筋は真っ直ぐと伸び、腰の角度は思わず計りたくなるほど直角だ。

「・・・・・」

突然の申し出に少々面食らい、思わず扉から手を離すハーディス。

しかしハーディスが口を開く前に主人であるソーニャが従者を窘めた。

「何を言っているのギルバート。そのようなこと、ハーディス様に失礼でしょう」

妖艶さを引き立てる薄い布地で出来た舞姫の衣装を脱ぎ、異国の姫らしい美しい色合いの上質なトーガを纏うソーニャは清楚で可憐で、まるで別人だ。

この場に宴の出席者たちがいたとしたら、気品に満ちたソーニャと先刻までしなやかな肢体をくねらせて人々を魅力した舞姫が同一人物だとは、とても気付けなかったに違いない。

「しかし姫、私には姫とサイス様が無事エナル皇国にてお過ごし頂けるよう、万全の体制を整えるという使命がございます」

使命感に燃える従者は、例え主人が相手でも簡単には退かない。

ソーニャは困ったように溜め息をついた。

「ギルバート、もうここはエナル皇国の皇城なのよ。この上で疑うのはこちらの警備体制を軽んじることにもなります。亡命させて頂く私たちが信用しなくてどうするの」

「恐れながら、まだ亡命が完了したわけではございません。いつ何時追っ手がやってくるかもわからないのです。姫はここまで来て国に連れ戻されてしまってもよろしいのですか?」

強い口調で反論するギルバート。途端、惑うようにソーニャの瞳が揺れた。

「・・・・・それは」

気丈に振る舞い、つい半刻前まで見事に舞姫を演じていたソーニャの表情が、まるで迷子の子供のように頼り無げなものに変わる。

そして従者とは反対側、三人とは少し離れた場所に立つもう一人の連れを振り返った。

「・・・・・」

鍛え上げられた長身に王女のものとは趣の異なるトーガを纏い、無言で佇むのは辺境の剣士。
短く刈り込まれた黒髪に黒褐色の肌、耳元には瞳と同じ藍色の耳飾りが輝き、長剣を模した黒檀の木刀を広い背中に背負っている。

剣士は三人の話す大陸公用語がわからないようで、彫像のように整った顔は何の感情も浮かんでいない。
だが自分を見る不安そうな視線に気付くと、僅かにまなじりを上げてソーニャに歩み寄り、その細い肩を抱き寄せた。そしてギルバートとハーディスに厳しい眼を向ける。

一方、ソーニャは剣士の手に安心したのか、健のしっかりした甲に己のそれを重ねると、剣士の横顔を見つめ、はにかんだような笑みを浮かべた。

会話は無い。だがお互いを思いあう気持ちがひしひしと伝わって、何の説明が無くとも二人が恋仲であることは容易に知れた。

不思議な雰囲気を持つこの姫も人並みに恋をするらしい。
ハーディスは僅かに息をついた。

「姫君の安全は私が保証するよ」

追っ手の目を逃れる為、王女自身舞姫に身をやつしていたのだ。
たかが扉一つに大袈裟だが、ここまで神経をすり減らして主人の安全を第一に考えてきた従者にとって、この位の配慮は当然なのかもしれない。

「・・・・・お見苦しいところをお見せして申し訳ありません」

ハーディスの言葉に立場を思い出したソーニャは羞恥に頬を染め、サイスから離れると頭を下げる。

「素姓を明かしたのは、元よりハーディス様を信頼してのこと。全てお任せいたします」

顔を上げた時には、もう不安を隠せない子供でも恋する乙女でもない、王女ソーニャに戻っていた。

そして従者に冷静な視線を向ける。

「ハーディス様にご配慮頂いたのです。あなたもそのように。いいですね、ギルバート」

「・・・・・・はい」

渋々といった体で主人の言葉に従うギルバート。

だが伏せたその顔は満足そうで、ハーディスに向かい薄く唇を吊り上げる。

目を合わせたハーディスは薄々気付いていたことが確信に変わり、一瞬眉を潜めた。


この従者はハーディスから王女の安全に対する言葉を得る為、ワザとあのような振る舞いをしたのだ。
そして不安になったソーニャが剣士サイスを頼ることも計算済み。

隠し扉という些細な出来事が、曖昧だった王女への庇護を確約させ、あまつさえサイスとの恋仲を悟らせることでハーディスを牽制したのだ。

見事な手腕。ソーニャ王女自身聡明な女性だが、従者は輪を掛けて優秀で侮れないらしい。


(面白いじゃないか)


ハーディスは心が沸き立つのを感じた。

(ギルバートか、この男旅芸人の扮装のときとまるで雰囲気が違う。王女といい従者といい暫く退屈はしなそうだ)

目敏く目端のきくハーディスは、勿論トゥーリ旅団の中にいたギルバートとサイスも見ている。


あの時、壇上でハーディスが耳にしたのはソーニャとギルバートの会話だ。
今とは逆、ソーニャが敬語を使っていた。そして感情の表し方も全く逆。
砕けた物言いで表情豊かなギルバートに対し、ソーニャは単調で無感情。

どちらが本来の彼らなのか、あの時は他の団員たちの目を欺く為に演技していたと見る方が自然だ。
だが舞姫ソーニャとも王女ソーニャとも違うあの雰囲気。

(何だか化かされているみたいだ)

そう思ったハーディスは自嘲気味に笑う。

桃嵩国の王女と名乗っていても、まだ何も確認出来てはいないのだ。
真実がわからない状態で安全を約束するもないだろうに。

(まあ私はこの澱んだ皇城さえどうにかなれば、ね)

変化を求めているのは自分。そして目の前の娘は水面に波紋を生み出す布石となるかもしれない。

思ったよりもソーニャの存在に期待しているらしい自分を理解し、益々自嘲の笑みを浮かべるハーディスだが、気を取り直し扉に向き直る。


「では、よろしいかな?姫君」

改めて扉に手を掛けた。

「はい」

ハーディスの元まで歩み寄るソーニャ。
今度は従者も何も言わない。

手を組み、小さな扉を見つめる娘の目の前で、僅かに軋む音を立てて扉は開け放たれた。

薄暗かった壇上の隅が、扉の向こうから漏れ出た灯りに照らされ、ソーニャの横顔を美しく浮かび上がらせる。
光の中に立つソーニャは、厳かで敬虔な聖職者のようだ。

それはまるで、新たな運命が開かれたような不思議な光景で、ハーディスは思わず見とれた。


(変わるかもしれない)


無意識に確信する。
手の中の羽根の装飾がやけにはっきりと伝わってきた。


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