第七章
[02]疑惑@
「こちらへどうぞ、舞姫殿」
かしこまった優雅な所作でハーディスは広間の隅、トゥーリ旅団の団員たちがいた壇上からほど近い場所に蒼を誘う。
そこには壇上を区切るための分厚い布が天井から吊り下げられていた。
今回のような舞踊ではなく、演劇などを披露する際に幕代わりに使われるものだ。
葡萄色より少し明るい光沢のある布地が、ヒダの一つ一つまで美しく整えて壁際に纏められている。
ハーディスはその布の後ろの壁を指していた。
「何ですの?」
愛らしく首を傾げる、蒼扮する舞姫ソーニャ。
しゃらっ
桜色の耳朶を飾る長く垂らした金鎖が首を傾げた拍子に肩口に触れ、純度の高い金が鈴の音のような音を奏でる。
「先ほど話した、秘密の場所だよ」
口元を柔らかく笑ませ、ハーディスがゆっくりと布を横にズラす。すると。
「!」
蒼は口元に手を充て目を見張った。
そこには屈まなければ通れないような、小さな扉が隠されていた。
ツァイス伯爵追悼の宴は、一通りの催しを終えると自然に人が減っていきお開きとなった。
皆これから、宴の合間に繋ぎを取った相手との本格的な会談に入るのだろう。
宴がお開きになっても、広間に出席者がいる限り演奏を続けなければならないトゥーリ旅団員たちは、のんびりした足取りの最後の一人を送り出し、やっとお役目終了となった。
宴が終われば後は帰るだけ。団員たちは各々楽器や小道具などの片付けを開始する。
舞姫ソーニャも派手な衣装の上に落ち着いた群青の肩掛けを纏い、置き楽器の弦に保護用の布を掛けるなど他の団員たちを手伝う。
と、そこへ。
「舞姫殿」
横合いから低く落ち着いた声が掛けられた。
「はい?」
内心ではいつ来るかと待ちわびていた蒼だったが、勿論表情になど出さない。
代わりに不思議そうな様子を作って声の主を振り返る。
「・・・・・どなた?」
思ったよりも近くに佇んでいたのは地味な服装の青年。
黒髪黒瞳。風貌に取り立てて特徴はなく、まるで目立たない。
だが、それがこの青年の強みであるのか、旅芸人の中にあっても不思議と浮いていない。
蒼の周りの団員たちも数人が振り向いた以外は青年の存在に気付いていないようだ。
「ハーディス様の使いの者です。舞姫殿にこちらをお渡しするようにと」
流れるような動作で青年が差し出したのは、上質な紙で作られた小さなこより。ハーディスからの手紙だ。
「・・・・・これは」
こよりを受け取る蒼。
その瞳に僅かに戸惑いの色が浮ぶ。
蒼は使いの青年に目もくれず、手のひらに乗せたこよりを食い入るように見つめる。そして形を確かめるかのようにその縁を長い指でなぞった。
手紙を受け取ったことではなく、こよりになっていたことに蒼の関心は引き寄せられたようだ。
こよりは可憐な花の形をしていた。
「・・・・・ハーディス様は物知りですのね」
沈黙の後、蒼はゆっくりと顔を挙げ青年を見る。そして内心の動揺を悟られないよう注意しながら慎重に目を合わせた。
「このこよりは桃嵩国の風習。親しい方に宛てる手紙はこのようなこよりにして、相手や自分の好きな花をかたどります」
「・・・・・」
青年は応えない。ただその瞳の照準を蒼に合わせたまま微動だにしない。
こよりを両手で包み込んだ蒼は、少々ぎこちなかった顔に微笑みを浮かべる。
「懐かしいものを見せて頂きありがとうございました。確かにお預かりしましたとハーディス様にお伝えくださいませ」
「・・・・・」
その返答に青年は無言で会釈をすると、踵を返し立ち去っていった。
扉に向かって歩く青年の後ろ姿を見かけた団員たちが、そこで初めて舞姫に来客があったことに気付く。
「また凄い達人がいたもんだね。貴族じゃないから誰かの従者?」
自分の楽器をしまい終わり、床に敷いた東方風の敷布を丸めていたギルバートが声を掛けてくる。
青年の存在には最初から気付いていたようだ。
「達人?」
ギルバートの反対側、不器用であまり団員たちの役に立っていなかったサイクレスが訝しげな顔をする。
特に片付ける必要もない黒い長剣は、邪魔にならないよう背中に背負われている。刃が鋼ではなく黒檀と確認されてからは、布も巻かずに剥き出しのままだ。
「サイス君気付かなかった? あの彼、あんなに地味な服装なのに、こんなに派手な集団の中で全く違和感なかったでしょ?」
「・・・・・!」
数瞬遅れて思い当たるサイスことサイクレス。
剣技の達人である筈なのに相変わらず微妙に鈍い。
「・・・・・ハーディス皇子の使いですよ」
こよりを眺める舞姫。だが中身はすっかり毒操師の蒼だ。
「へえ、くせ者な皇子様は部下も普通じゃないのね」
ギルバートは青年が出て行った扉を見つめて軽く息をつく。
「・・・・・ホントに」
蒼も賛同して呟く。
こよりは完全に予想外だった。
目にした瞬間、自分が一体どんな反応をしたのか思い出せない。
そしてそれが桃嵩国の王女として正しかったのかどうかも。
青年は全く表情を変えなかった。ただじっと目の前の舞姫を観察していただけ。僅かながらも見せてしまった動揺を、青年がどう受け止めたのかはわからない。
エナルでは日常的に羊皮紙を使う。その為手紙は細く丸めるのが一般的であり、また繊維で作られた紙の場合は封書にする。
文章を書いた紙自体を折るなどという習慣はない。
となると国交のほとんどない桃嵩国の風習をハーディスは知っていたことになる。
そしてまるで蒼を試すかのように使ってきた。
「侮れない人ですね」
蒼には珍しく抑揚のある声音は感心したような、自嘲しているような複雑な響きを帯びていた。
薄紅に染められたこよりの花は五枚の花びらを模して繊細に折られ、咲き初めの春の花を摘んできたかのように鮮やかだ。
手紙であるのだから解かねばならないのだが、ほんの少し惜しい気持ちがよぎる。
そしてそれを自覚した蒼は小さく首を振る。
感傷に浸っている場合ではない。
「ソーニャちゃん?」
「そ・・・ソーニャ殿?」
ギルバートとサイクレスが手元を見つめたまま黙ってしまった蒼を振り返る。
「どうしたのだ?」
心配そうなサイクレスの声。蒼が姿をガラリと変えてしまったときは戸惑っていたサイクレスだったが、今やすっかり舞姫の外見に感化され、か弱い女性として認識してしまっている。
単純なサイクレスらしい。ある意味順応性が高いとも言える。
「ソーニャ殿?」
長い睫毛をふせ、物思いに沈んでいるような蒼。
だが暫くして一度眉間にぎゅっと力を入れると瞼を開いた。
現れた青い右目にはもう動揺の色など微塵もない。いつもの蒼だ。
そして改めて握っていたこよりに目を移すと長い指を使って器用に開いてゆく。
緻密に折られた花はほどけるように、忽ち一枚の紙になった。
そこには流麗な少し気取った装飾文字で、短い文章が書かれていた。
さっと目を通す蒼。数行の簡潔なものだ。一瞬で読み終わる。
「・・・・・皇子からのお誘いです。今から半刻後、この場所に来いと」
口調もいつもの通り、淡々無感情。
「さすがソーニャちゃん。皇子様をうまくたらし込めたみたいだね」
ギルバートが口笛の吹きマネをし、実に楽しそうに目を細める。
ハーディスとのダンスの後、蒼は宴の合間を見て二人に事情を話していた。
姫館魅煉で打ち合わせた当初の計画もあるが、灰の元で働いているギルバートは飲み込みが早い。
「じゃ、俺は予定通りお姫様の従者ね」
丸めた敷物を器用に紐で括り、近くの団員に預ける。
「ちょっと外見弄っておくよ。あんまりチャラいと疑われるでしょ」
自分の金茶の癖毛を摘み、へらっとチャラい笑顔を見せるギルバート。
従者のイメージには程遠いが、この男もかなりのくわせ者。恐らく完璧な従者になるに違いない。
「お願いします。出来る従者って感じがいいです」
「了解」
目尻のタレた片目を瞑り、ギルバートは団員たちの方へ戻っていった。
残されたのは王女ソーニャと、黒褐色の肌の異国の戦士サイス。
何故か戦士はあらぬ方向を見て気まずそうな顔をしている。
「・・・・じゃ、じゃあ俺は、護衛・・・・・」
「王女の恋人」
うわずり気味に役割確認をしたサイクレスに、蒼の平坦な声が被さる。
「うっ・・・・・」
息を詰まらせるサイクレス。額にジワリと冷や汗が滲む。
「貴方と恋仲になった為、王女は駆け落ちをし、放浪ではいずれ捕まると踏んでエナル皇国に亡命してくる脚本でしたね。貴方は異国語がわからなくとも王女を愛し、守り抜くと決意した辺境の剣士。その役割は非常に重要です」
「・・・・・」
淡々とまくし立てられ益々汗が吹き出るサイクレス。今、自分にはまるで縁のない単語が羅列された気がする。
「計画はお話したでしょう?」
「・・・・・」
した、聞いた、だが理解と納得は別ものだ。
「貴方の王女を愛する態度で今後の皇城の動きが変わってくるのです。精一杯、私ソーニャ王女を愛してください。私も貴方を愛し抜きます」
愛の告白なのにあまりに棒読み。そして追い詰められる獲物のような恐怖。
「・・・・・・・・」
「ここで踏ん張らないと状況は好転しませんよ。審議会まで後2日ちょっとしかないのですから」
「!!」
途端サイクレスの顔が引き締まる。汗が一気に引く。
「・・・・・努力する」
「命がけの恋ですよ? 元より死ぬ気でやってください」
努力などと言う言葉では到底追いつかない。
「・・・・・わかった」
画して、皇城を去るデイロン団長とトゥーリ旅団のみなに別れを告げ、本格的な潜入が始まったのである。
一抹の不安を抱えながら。
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