第六章


[05]潜入A


バタバタと騒々しい足音が扉の向こうから近づいてくる。

「・・・・・どうやら準備が整ったようですね」

口の端に張り付く、不適で不穏な笑みを消し、蒼はカフェテーブルに置かれていた金細工の髪飾りを自らの髪に差す。

金の鎖が複雑に連なった髪飾りが、しゃらんと涼しげな音をたてた。

「随分怒っているようだが?」

呆れたように溜め息をつく灰は、空になったカップに気付き、新たなお茶の準備をする。

その間も足音はどんどんと近づく。
そして間も無く、騒々しい音とともに重い扉が開かれた。

「蒼殿!」

怒気をはらんだ低い声。普段の礼儀正しい彼ならば、決して忘れないだろうノックも入室の挨拶もない。

ざかざかと小路を分け入ってくる様は、そこここに置かれた無数の鉢を蹴倒さんばかりだ。

「蒼殿っ!」

最後の樹木の葉を払いのけ、サイクレスは温室の奥に設置された応接間に足を踏み入れる。

その顔は、怒りで赤く染まって・・・・・は見えなかった。

「ほう、随分見違えたではないか」

サイクレスの正面、一人掛けの椅子に座る灰が、新たな客人の為にカップにお湯を注ぎ温める。その白い面には、感心したような笑みが浮かんでいた。

「あっ!、か、灰殿。いや、あの、これは、し、失礼しましたっ」

猪突猛進で爆進してきたサイクレス。灰の存在を完全に失念していたらしい。冷水を浴びせられたかのように、怒りに上っていた血が一気に冷める。

慌てて下げた高い頭の横で、瑠璃の耳飾りが大きく跳ねた。

「黒髪も似合うではないかサイクレス殿。それならばどこからみても東方の貴公子だ」

カップの湯を捨て、薫り高い紅茶を注ぐ灰の言葉に、サイクレスは益々赤くなったが、やはりよくわからない。

「か、からかわないでいただきたいっ」

羞恥に横を向くサイクレス。

その顔は、見事に黒く染まっていた。

色素の薄いサイクレスの白い肌と銀の髪とはまるで対照的。肥沃な大地を思わせる黒褐色の肌に黒い髪。トーガと呼ばれるゆったりした東方の衣服を纏う姿は鮮やかに変貌を遂げ、サイクレスを知る者さえ気付けるかどうか疑わしい。

元より整った容姿には気品があり、異国の王族と言っても通用しそうだ。

だが、本人にとっては不本意だったらしい。
染められて黒々した柳眉を逆立てている。

「蒼殿っ。これは一体どういうことだ。
浴室から上がってみれば肌は変色している、突然愛姫たちに群がられて髪は染められる、耳に穴は開けられる、挙げ句にこの衣装。これでは変装ではなく仮装だっ。第一こんな目立つ格好ができるか!!」

まくし立てるサイクレス。肌の色が黒くなければ真っ赤になっていたことだろう。

対して蒼は、サイクレスに背を向ける形で配された長椅子に座ったままだ。
その傍らで先程から蒼の髪を梳き、結い上げていた愛姫の一人が、淡い色の紅を蒼の形の良い唇に差す。

「出来ましたよ」

やや年嵩な愛姫は、落ち着いた様子で蒼に鏡を差し出した。

「とても綺麗」

うっとりと微笑む愛姫から鏡を受け取り、蒼はそこに映る自分の顔を検分するように眺める。

「ふむ、美しい髪型ですね。アウラさん、あなたはとても腕がいい」

そして、自分の出来映えではなく愛姫の腕を褒める。蒼は本当に女性への心配りに余念がない。

「いやねぇ。あたしの腕はそれほどじゃないわ。元がいいのよ」

立ち上がって謙遜するアウラ。よく見ると、彼女の纏うゆったりとしたドレスの腹部が柔らかく膨んでいる。

髪を結うのが得意な愛姫アウラは妊婦だった。

「いえいえ、謙遜なさらず。私の髪は結構な強情っぱりですからね。癖が強いし絡みやすいしで、私など普段は櫛も入れてませんよ」

「まるでお前自身のことのようだな。髪の先まで一緒とは気が滅入る」

蒼の言葉に、向かいの灰が嫌そうに首をふる。例によって鼻の頭には皺が寄っていた。

「灰、それはいけませんね。今度リラックス効果の高い薬を届けてあげます。眉間の皺にもきっと効きますよ」

気を使ったふりをして毒を吐く蒼に、灰は益々嫌そうな顔になる。

「それはそうとアウラさん。お世辞ではなく、あなたは本当にいい腕です。これなら髪結いとして立派にやっていけます」

普段ほとんど感情を表に出さない蒼だが、その言葉には慈愛の響きがあった。

アウラもそんな蒼の心を感じたのだろう。膨らんだ腹を愛おしそうにさすりながら、ほんの少しはにかんだ微笑みを返す。

「そうね。もうすぐ生まれてくるこの子の為にも頑張らなきゃ」

その顔は既に子を持つ母だったが、一方で初々しい少女のようでもあり、彼女の正面にいたサイクレスは一瞬怒りも忘れ見とれてしまう。

「そうです。母は逞しくならなければ。自信を持ってください。
・・・・それはそうと、サイクレスさん。よく似合ってますよ」

アウラを励ます片手間で褒めた。思いやりを感じるアウラへの余韻は全くなく、いつもの淡々口調だ。

「・・・・・はっ、な、何故こんな格好をしなくてはならないっ」

「・・・・・貴方、完全に呆けてましたね」

背を向けたままの蒼は、鏡に映るサイクレスの黒い顔に向かって溜め息にも似た息を吐く。

「そんなことはないっ」

慌てるサイクレス。まさかアウラに見とれて思考が止まってました、とは言えない。

「今、はっ、てなったくせに」

「う、うるさいっ、だ、大体なんなのだ、この格好はっ。普通変装は目立たないようにするものだろう」

力説するサイクレス。その腕にも首にも金の装飾品が連なり、動く度に高い音を奏でる。

確かにこの上なく派手だ。

「貴方、そんなガタイで目立たなく出来るとでも思ってたんですか?
そんなの、どうやったって無理です。だったら思いっきり派手にした方が逆に怪しまれません」

鏡の中のサイクレスに話し掛ける蒼は、髪飾りを差した頭を振る。呆れたような様子だ。

「貴方の肌を染めているのは、肌の色素そのものに作用する薬液です。専用の解毒薬がないと半月は落ちません。髪も同じ。カツラでは不十分ですからね。貴方は演技なんて出来そうにもありませんし。そこまでやらないと直ぐバレてしまうでしょう」

「うっ、じゃ、じゃあこの服は?これでは怪しまれて皇城へ入れないだろう」

両手で自分自身の胸を叩くサイクレス。首もとが大きく開いている以外露出度はさほど高くないが、ビラビラとして動きづらい。

「何言っているんですか。正面から堂々と入れますよ。何せ客人として招いて頂くのですからね」

しゃらん

長椅子から立ち上がる蒼。金鎖が絡んだ精緻な髪飾りが、動きに併せて涼やかにゆれる。

蒼もサイクレスと同じくトーガを纏っている。だが、腕や首の付け根が後ろから見えている辺り、サイクレスよりも露出が高い。
また色使いは、派手に思えたサイクレスよりも更に煌びやかだ。

「私たちは東方よりの旅芸人。ですが実は、旅芸人に扮して亡命してきた王族という筋書きで、国を挙げてのもてなしを受けるんです」

話しながら振り返る蒼の、繊細に結い上げられた髪が、朝日を浴びて輝く。
光を纏う黒髪の巻き毛には、金の筋が絡んでいる。

蒼の髪色が戻っていた。

「!!」

吸い込まれそうな金目銀目の瞳に掛かる睫毛までも、細かな光の粒子に煌めいている。
蒼はサイクレスのように肌を染めていない。だがその薄く化粧が施された顔は気品に溢れ、異国の姫君、いや、中性的な雰囲気が少年のようなあやうさを放っている。

サイクレスは息を飲んだ。怒りも憤りも一瞬で忘れ去り、天から降りて来たような朝日を纏う美しい人の前で、ただただ立ち尽くしていた。

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