第六章


[13]潜入I


「私は今宵、セルシウス兄上の代理として参上したんだよ」

蒼の手を取り、踊る人々の隙間を上手にくぐり抜けながら、ハーディスは口の端を上げる。

「代理、ですか?」

首を傾げる蒼。その割に随分と派手な登場だった気がする。

「そう、意外かな? これだけ皇位継承紛争が白熱していると、当事者の私たちは仲が悪いように思われても仕方がない。まあ確かに、全く確執が無いと言えば嘘になってしまうが」

そう言って笑うハーディスが誰を指しているのかはわからない。だが、にこやかな顔に苦いものが滲んだのは気のせいではないだろう。

五年に渡る紛争で兄弟間に捻れが生まれたのは間違いない。

「セルシウス様とは仲が宜しいんですの?」

ハーディスの変化に気付かぬフリをして尋ねる蒼。しかしハーディスの方はそれに気付いたらしく、僅かに目を細めた。

「そうだね。年が近いせいか一番交流があるよ。もっとも、セルシウス兄上は私と違って気質の優しい人だから、兄弟みな分け隔てなく接しているけどね。今回もツァイス伯爵は兄上の後見として昔から親しかったから相当落ち込まれていたし。なのにこんな宴が催されて兄上には耐えがたいことだろう」

さらりと話してはいるが、その奥にセルシウスに対する愛情が見える。きっとハーディスはすぐ上の兄が好きなのだろう。

「兄上想いでいらっしゃいますのね」

特に作ることもなく、蒼の顔が綻ぶ。素直に微笑ましいと感じたのだ。

一方ハーディスは少し驚いたような顔になる。どうやら蒼の反応は予想外だったらしい。

「私が、まさか」

自嘲気味のハーディスに蒼は小さく首を振る。

「いいえ、ハーディス様は兄上を思って代理を勤められたのでしょう。もしかしてご自分から言い出されたのではないですか?」

「・・・・・」

図星らしい。

言葉に詰まり、ばつの悪そうな顔になったハーディスは蒼と目が合うと照れたように笑い出した。 その無邪気とすらいえる笑顔は何の含みもないように見え、ハーディスという人間をわからなくさせる。

広間に流れる長い曲が終盤を迎え、より軽やかに盛り上がる。人々のステップもそれに併せて早くなり、皆くるくると回り出した。
そんな中、色合いの異なる青い衣装を身に付け、手を取り合って微笑む蒼とハーディスは一幅の絵のように人々の目に映った。



「君は不思議な子だね」

ひとしきり笑った後、改めて蒼を見つめるハーディス。その瞳には先ほどまでの珍しいものに対する好奇心はなく、好意とも言える感情が浮かんでいる。

「さっきは全くの無表情で辛辣な事を言っていたのに、今はまるで花のような笑顔を見せてくれる。初めは演技だと思っていたけど、君を見ているとそれも違う気がしてきたよ」

蒼がハーディスを伺っていたようにハーディスもまた蒼を観察していたのだ。
やり取りをしっかり聞かれていたことに内心ヒヤリとしたが、今更ごまかせない。蒼は開き直ることにした。

「・・・・・私にもよくわかりませんわ」

ちょっと困ったような顔を作る。

「わからないとは?」

片眉を器用に上げるハーディス。
今度は蒼が自嘲の笑みを口元に履く。

「私は、私という人間を形作る要素が非常に曖昧なのです。舞を披露しているときは紛れもなく舞姫の私ですが、それが本質かと言われると自信はありません。また舞を舞っていない私は私ではないと思う反面、舞姫ではない別の私も存在している」

毒操師の自分も同じ。群青のフードの中は外界からひどく遠く感じ、全ては青い帳の向こうの出来事。紗が掛かった視界。
だが、毒操師の蒼は紛れもなく自分。年齢も性別も人としての形すら曖昧な、毒を操るもの。


また舞姫ソーニャとしての自分は偽りである筈だが、仕草もその思考も蒼とは微妙に異なり、独立した一つの人格を形成している。
蒼自身、ソーニャの存在を演技だとは言い切れない。

「益々不思議だ」

ハーディスは菫の瞳に舞姫を捕らえ、露わになっている青玉のような右目に一体何が宿っているのか読み取ろうと、左手をその頬にのばす。

「美しいだけの舞姫ではない君をもっと知りたいな。例えば、その円盤の下には何があるのかとか」

しゃらっ

金鎖が涼やかな音色をたて、ハーディスの長い指に絡みつく。

「ハーディス様のような高貴な方に語るものなど、何も持ち合わせていませんわ」

誘っているようなハーディスの態度を笑顔でかわし、指に絡ませた鎖を解く為手を重ねる蒼。

「謙遜を。君はそこにいるだけで十分魅力的な存在だし、深い洞察力もある。それに他人にへつらわない強い意思の力。
そう君はまるで王族のようだ」

蒼の手からするりと逃げるようにハーディスの指が頬から顎へ移動すると、顎を掴み上を向かせた。

「紛れもない皇位継承権をお持ちであらせられる皇族の方が何を仰られますか。私など取るに足らない芸人です」

真っ直ぐ見つめてくる蒼の青い瞳に逆に捕らわれてしまったような錯覚に陥るハーディス。芸人だと言い切るその顔には気品が漂い、媚びなど欠片も見つからない。
そのまま見つめていると海の色にも似た瞳に溺れてしまいそうだ。

ハーディスは敢えて視線を外すことにする。

「いや、皇位に興味がない私には、君ほど決意に満ちた顔は出来ないさ」

「え?」

興味がない?

「はは、また意外だったかな。そう私には皇王を継ぐ気はないし、例え選ばれても辞退するつもりなんだよ」

話題を変えたことで自分の調子を取り戻したハーディスは、不思議そうな顔をする蒼と繋いだ手をそのままに広間をクルクルと回る。その視線は背後で踊る出席者たちへと向けられている。

「君も気づいているだろう? この会場内を渦巻いている策略や陰謀の流れ。みな私たち5人をそれぞれ養護しているようで、実際は自分の利益しか考えていない。我々などすっかり置き去りだ」

綺麗な笑顔を見せるハーディス。だがそれはついさっきまで蒼に向けていた照れた笑みでも、親しみを込めた好意的なものでもない。

「この人間模様、素晴らしい茶番劇。作り物の劇なんかより余程面白い。自分たちが関わってさえいなければね」

ハーディスの菫の瞳は笑っていない。端から見ればさも楽しそうに舞姫とダンスに興じる酔狂な皇子だが、相対する蒼はうなじの毛がぞくりと逆立つのを感じた。

見た目の華やかさや軽さとはまるで違う、触れれば切れそうな冷気にどれだけの人間が気づいているだろう。

だが一方でセルシウスに気遣いを見せ、蒼に興味と好意を持つ。それは人々の親しみやすいという皇子の評価を裏付けるものだ。

気紛れな切れ者、蒼は自分の評価が思ったよりも正しかったことを確信した。

「そういった方々も確かにいらっしゃると思いますが、ハーディス様を本当に気遣われ、支援される方々もいらっしゃるのでしょう?」

例えばあの砂漠の黒牙グレイ=オーファンとか、男臭いの園、国境警備軍とか。

言いたいことを察したのか、ハーディスは冷たかった目元を和ませた。

「確かにうっとおしいくらい熱いのもいるね」

「それでも、皇位はお継ぎになりたくないと?」

本気でハーディスに皇王になって欲しいと願う人間からすれば、腹の立つ話だろうに。

「私を理解している人間ならばとっくにわかっているよ。でも彼らは態度は変えないでいてくれる。私が皇王でもそうじゃなくてもね」

ハーディスを支持する貴族連は、国境警備軍という絶対的な武力への支持と同義だ。他国を牽制する対外武力である国境警備軍は周辺騎馬民族を取り込み、今や革命すら起こせるほど強大になりつつある。
そこには伝説的な存在グレイ=オーファンの名も一役買っているに違いない。

しかし担がれている当のハーディスに皇王を継ぐ意思がないとは初耳だった。

思い返してみると昨晩会った国境警備軍下士官の二人、ラトウィッジにギディオンは派閥争いに興味を持っていないようだったし、ハーディスに合わせたがっていた気がする。

ハーディス支持派も国境警備軍事態も一枚岩ではないのかもしれない。

ソーニャの中の蒼が目まぐるしく思考を巡らせる。


(面白い、継承者たち全員が皇位に血眼になっているわけではないのなら・・・・・)


蒼はこの皇子を自分たちの協力者にすることを決意した。




そう、蒼と灰の策略は始まったばかりなのだ。


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