第六章


[12]潜入H


広間の中央には、出席者たちの視線を浴びて優雅に踊る一組の男女。

曲はエナル皇国のダンスによく使われる定番だ。リズムが取りやすく踊りやすい。
しかし広間を存分に使って踊る二人のステップは周りの人々とはまるで違って見える。
それは恐らく、二人のダンスが優れているというだけの理由ではなかった。



「君は異国の出身だろう?エナルのダンスも随分と上手なんだね」

笑みを浮かべるハーディスの豪奢な金髪が、幾千もの灯りに照らされて光をはらむ。相対する蒼はその眩さに露わになっている右目を細めた。

長身を黒と青の夜会服に包み、菫の瞳に楽しそうな色を浮かべるハーディスはまさに皇子と呼ぶに相応しく、そこにいるだけで人々を惹きつける華があった。

そして、そんな生粋の貴公子である一国の皇子がこうして芸人とダンスを踊るなど普通は有り得ない。
幾ら蒼の舞が卓越していようが、姿が美しかろうが所詮は旅芸人。芸を楽しむ以外の存在価値などないのだ。

だが、ハーディスは会場中の視線を浴びても全く動じず踊り続けている。図太い神経とくだけた性格の持ち主だ。

「私は土地を、国を巡る旅芸人。それぞれの国の文化である舞やダンスは一通り身に付けておりますわ」

くるりと優雅に回転し、羽衣をひらめかせる蒼は笑顔を絶やさない。
軽やかに身を踊らせる度、結い上げた金と黒の巻き毛が金鎖を連ねた煌びやかな髪飾りよりも希少で複雑な輝きを放つ。


踊るハーディスの夜会服と舞姫の衣装は様式が異なり、決して似合いではない。
だがハーディスの蜜色の金髪と蒼の黒金髪、青黒の夜会服と刺繍の施された薄藍の衣装。

異なるのに共通点のあるその不均衡さが危うい魅力を作り出し、周りの者たちは引きつけられて目が離せないでいた。

「なるほど、情報通なのもそのせいかな? でも随分と踏み込んだ話題みたいだったけど?」

蒼の引き締まった細い腰に腕を回して身体を受け止めるハーディス。

「あら、そんなことありませんわ。私たちは追悼の宴に招かれた身、多少の興味は当然というもの。それでなくとも御国の皇族の方々の紛争は他国でも有名ですから」

間近に迫ったハーディスの顔を見上げ、薄く染めた唇を意図的に吊り上げて蠱惑的な表情を作る蒼。

しかし勿論内心は顔ほど穏やかではない。

この男、一体どこから話を聞いていたのか、探りを入れようにも迂闊な事は口に出せない。
こうやって親愛の情を示されたかのようにダンスしているが、間違いなくこの皇子はくわせ者だ。

見た目優雅で絵に描いたような貴公子ぶりが貴族連の紳士淑女に好感を持たせ、気さくさと喰えなささとクセのある雰囲気に鍛え抜かれた抜群の体格が国境警備兵たちのような男臭い騎馬民族出身者にウケるに違いない。

(気まぐれな切れ者)

蒼はハーディスをそう評価した。

「殿下は今日ご出席のご予定でしたの?周りの皆様方は随分と驚かれたみたいですけど」

話題を逸らす狙いも含めて、気になっていたことを訊いてみる。

壇上でハーディスの姿が発見されてからというもの、会場は大変な騒ぎになった。
特にハーディスが「じい」と呼んだゴマ塩頭の老人は憤怒の形相で驚いた。






「私と踊ってくれませんか? 美しいお嬢さん」

ハーディスがそう言って甲に口づけたのは、正に「じい」の目の前だった。

遠目からは灰色にも見えるゴマ塩の太い眉を大きく動かし、目をむく老人。はしばみの瞳が限界まで開かれてる。

「ハ、ハーディス様っ、踊り子に、てっ、手を出されるとは何事ですか!」

如何にも無骨で昔堅気な老人にとって、目の前の光景は破廉恥極まりない行為だった。

「いやだな、じい、人聞きの悪い。私は純粋にダンスを楽しみたいだけだよ。ツァイス伯爵は洒落者で舞踏好きだったろう?」

つい、と蒼の手を取ったままハーディスは会場全員にその姿が見えるよう壇上の上で両手を広げる。

「弔いは華やかに賑やかに。それが我がエナルの風習。皆で大いに故人を偲ぼうじゃないか」

芝居がかった仕草もハーディスがすると不思議と嫌みに見えない。それどころか出席者の人々は驚きを感嘆と賞賛に変え、場内に拍手が巻き起こる。
しかもハーディスが手を取っているのは、高貴な貴族の令嬢などではなく旅芸人の舞姫だ。しかしハーディスのそんな行動は、人々にとって日常茶飯事。元より騎馬民族の気質も備えたハーディスは身分などまるで気にも留めていないのだから。

心の底から自由人、それがハーディスだった。


「ほら、じい、皆も賛成しているじゃないか。そんな仏頂面はしまって、じいも楽しめばいい」

人々の反応に我が意を得たりとばかりに肩を竦めて見返すハーディス。
対する「じい」は物も言えない様子だ。

「さあ、お嬢さん、行きましょうか」

甲を上にした蒼の手を軽く持ち上げ、壇上を降りて広間へと誘う。

後には立ち尽くす「じい」、サイクレス、ギルバートと旅団の団員たち。
彼らは完全に取り残されていた。


「あの、よろしいのですか?」

感情が表に出ない蒼には珍しく、声が僅かに上擦っている。
展開が早くで付いていけていないのだ。

ハーディスは相手を自分のペースに乗せる天才だった。

「じいのこと?ほっといていいよ。古代の人間だからね。女性と肩が触れ合ったり手を握るだけで、まるで路上で押し倒したみたいに騒ぐのさ」

確かにそれは過剰過ぎる。

「まあ、悪い人じゃないんだよ、私の師匠だし。あー見えて70過ぎなんだけど今でも勝てる気がしないんだ。
・・・・・音楽をっ」

最後は壇上前列の楽団に向けたもの。気づいた団長デイロンが慌てて指揮をする。

途端、人々のざわめきが残っていた広間に軽やかな曲が流れ出した。

広間の中央に進み出てゆっくりとステップを踏み始めるハーディス。
蒼も遅れないよう薄い衣装の纏わりつく足を動かす。

「随分逞しい・・・おじい様ですわね。騎馬民族ご出身の方ですの?」

見ればわかることだが、小首を傾げて問い返す蒼、いや舞姫ソーニャ。

「そうだよ。知らないかい? グレイ=オーファン、騎馬民族の元進撃隊長さ」

さらりと答えたハーディスの発言に蒼は軽く目を見開く。

「まあ、グレイってあの、砂漠の黒牙と言われた・・・・・」


アドルフ王を助け、周辺騎馬民族の統合にもっとも尽力したといわれる、砂漠の黒牙。
その伝説的存在を知らぬものはいない。彼の奇襲は砂嵐のように唐突で苛烈を極め、幾百幾千もの騎馬民族の戦士たちがその刃の上に散っていった。

エナル建国史上、もっとも血に染まっている人物と言われている。

「そう、その名を渓谷砂漠中に轟かせた恐怖の大王、砂漠の黒牙、それがじいさ。建国後は伯父の下で周辺諸国の牽制に勤しんでいたから、片手間で私に剣を教えてくれたんだよ」


ハーディスの伯父、イディオン=ルファはアドルフ王の妾妃でありハーディスの母ディアの兄だ。

イディオンは今でこそ皇城近辺に居を構えているが、建国から数十年は国境警備軍を指揮して、隙あらば攻め入ろうと画策する周辺諸国や統合されなかった他の騎馬民族と渡り合ってきた。
エナル皇国の政治経済が安定するまで、国境付近での小競り合いが絶えなかったからである。

その下でもっとも尽力したであろう黒牙グレイに手解きを受けたハーディスの腕前は一体どれほどなのか。

蒼はこの上もなく美しい笑顔の下で、ハーディスの真意を量ろうとしていた。


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