第六章


[10]潜入F


しゃらん

涼やかな音色。

後を追うように続くのは軽やかな足音。

複雑なステップを踏みながらあでやかな衣を翻し、広間の中央で舞う一人の舞姫。
露出が高くない衣装にも関わらず、肌に張り付く布の薄さが、しなやかな身体を浮き上がらせ、まるで何も身に着けていないかのような艶めかしさを演出している。
しゃらしゃらと音を立てて手足にまとい付く羽衣は生きているようだ。

舞姫の衣装は出席者の女性たちと異なり、レースやフリル、ドレープなどないシンプルな作りだ。しかし地には金糸銀糸で華やかな図柄が描かれ、照明があたる度にきらめいては人々の視線を釘付けにする。

そして何より、あでやかな笑みを浮かべる美しく整った顔。その左側を覆う金の円盤も眩く、舞姫の容色を損なうどころか、より神秘的に引き立てていた。



二部になり、会場を移動した宴では、トゥーリ旅団による催し物が出席者に供されていた。

旅芸人風に変装していても芸が出来ないサイクレスは、一番後ろで極力目立たないよう気をつけながら参列する。
しかし、舞の披露がされてからというもの、周囲の事などすっかり抜け落ち、蒼から一時も目を離すことが出来ない。

初めは、幾ら見た目が美しくとも毒操師、本職の芸人ではない。そんな不安感からハラハラして見守っていたのだが、いつの間にやら引き込まれ、今やすっかり魂ごと鷲掴みの放心状態だ。

それとともに、こういった芸事に全く詳しくないサイクレスでさえ、蒼の舞が一朝一夕のものでないとわかる。

これは、しっかりとした基礎の上に成り立っている一流の芸技。

一体何者なのだ。

蒼に対して益々謎が募っていく。


「ソーニャちゃんは若いのに大したもんだねぇ」

ふいに横合いから声が掛かり、我に返るサイクレス。
見るといつの間にか隣にギルバートが目を細めて立っている。さすがに灰の部下、気配が感じられない。

そんなギルバートは二人の付き添いとして潜入している。灰から特別な指示がないからか、万事楽しんでいる風で常に笑みを絶やさない。
また、優れた技量を持つ弦楽器もさほど熱心ではなく、今のように適当なところで勝手に抜けたりしている。

そんなギルバートは二十歳を幾つか超えたくらい。老け顔のサイクレスより上だが、まだまだ十分若い。

それが蒼を若いとは。

「そう・・・・ソーニャ殿の年齢を知っているのか?」

心なしか更に小声なのは純粋な興味はあるものの、女性の年齢をおいそれと聞いてよいものか逡巡したから。

だが実際、素顔を一度垣間見ているとはいえ、日の光の下で改めて見た蒼は、思ったよりもずっと若かった。
普段の物言いと豊富な知識から、自分より遥かに歳上であろうと思っていただけに、サイクレスはかなり驚いたのだ。

「んー、詳しくは知らないけど、肌見ればわかるでしょ?」

わかったら尋ねるか。

女好きギルバートと同じ芸等が出来るわけはない。まあもとより朴念仁。サイクレスには高度過ぎる技だ。

「わかんない?張りと肌理と色から判断するんだけど。
多分ソーニャちゃんの場合、十代だよ」

「えっ!!」

予想外の答えに思わず出た声は思ったよりも大きく、広間全体に響いた。


「・・・・・・」


慌ててギルバートがサイクレスの足を踏みつけるがもう遅い。
何事かと思った人々の目が、一斉に舞姫の後ろの団員たちに向く。

幸いにして参加者全員舞に集中していた為、誰が声を上げたのかは気づかれなかったが、注目を浴びているのがビシビシ伝わってくる。
何十対もの視線に晒されて冷や汗が止まらないサイクレス。勿論参加者の中には知り合いもいるのだ。
その他大勢として紛れ込んでいれば気付かれなくとも、凝視されればバレる可能性は高い。
特殊な薬液で染めた肌は汗くらいで色落ちしたりはしないが、気が気ではない。

蒼の年齢のことなど吹っ飛び、サイクレスは固まったまま参加者たちと対峙した。

そのとき、団員たちの前にふわりと人影がよぎった。

「!!」

羽衣を揺らめかせた蒼だ。

後ろを見ないまま僅かに口を尖らせて、終盤を迎えた曲により一層力を入れて舞いきる。

勿論、サイクレスを隠す為の行動なのだが、端から見れば注目を取られたことに対して腹を立てた舞姫が、自分に注目を取り戻しにきたかのように見える。

演技は功を奏し、人々はサイクレスの奇声を忘れて再び舞姫ソーニャに釘付けとなった。



そして終焉。

最後は床に伏して動きを止めた舞姫の、細くしなやかな体を追うように、羽衣がゆっくりとたゆたいふわりと被さる。
薄い衣は皮膜にも見え、まるで舞い踊っていた妖精が住処に帰ったかのようだ。


一瞬の沈黙。

次いで割れんばかりの拍手が広間を覆い尽くす。

潜入芸人、蒼は見事にその役目を演じきった。




「実に素晴らしいっ」

絶賛の言葉を紡ぐのは豊かな黒髪と翠の瞳を持つ壮年の公爵、ハウエル=ヒューレット。

宴の主催者はアドルフ皇王だが出席はしない為、皇王の側近であるヒューレットがこの場を仕切っている。



アドルフは数年前から、公式の式典以外姿を現すことが極端に少なくなっていた。
一部では健康状態の懸念が取り沙汰されているが、真相は不明である。ただ、式典には必ず出席しており、国政も人事面以外は特に問題が無いことから、決して表に出られない事情があるわけではないらしい。

その側近ヒューレットは公爵の地位だけでなく、政務長官という役職を持つ、国家の重鎮である。

ヒューレットこそが、皇王の意志を余すところなく国内外に伝え、エナル皇国を守り治めている、国政では皇王に次ぐ立場と言っても過言ではない。

そして、ヒューレットは皇位継承権を派閥に別れて争う貴族連とは一線を画し、中立の立場を取っていた。


「非常に美しい舞だった。礼を言うぞ、デイロン。それにしても初めて見る舞姫だな。他にも見慣れない顔が幾人もいる。団員を増やしたのか?」

目を細めて蒼を見つめた後、隣に控えている団長デイロンに問い掛けるヒューレット。

「はい、美しい舞姫を新しく入れましたので、閣下には是非ご覧頂きたく、ウェスティン様に少々無理を聞いていただきました」

トゥーリ旅団が懇意にしている政務次官はヒューレットの副官だ。
その政務次官ウェスティンは堅物そうな中年で、ヒューレットの隣に控えている。
だがデイロンに話を向けられても、およそ芸人には興味が無いといった様子で、とても旅団と繋がりを持っているようには見えない。真っ直ぐなグレーの髪と薄青い瞳がより冷たさを増幅しているように見える。

「そうか、ウェスティンは余りこういった場に出席しないのだが、そのような経緯があったとはな。
いや、だが今日はお前たちを呼んで正解だった。美しく華やかだがどこか神聖で、まるで奉納の舞を見ている気分だった。追悼の宴に相応しい」

感慨深げなヒューレット。

自然神信仰国のエナルには、神への奉納などという儀式は殆どない。
だがヒューレットの瞳は懐かしそうな色を湛え、僅かに揺らいでいる。
蒼の舞で、エナル皇国建国以前の幼い記憶が呼び起こされたようだ。


騎馬民族が信仰する神シンセレンは風を司る自由な神。舞踏を愛すとしても伝えられている。

騎馬民族にとって、踊ることは娯楽であるとともに、神への感謝の祈りにも等しいものだったに違いない。

国を統べるものの側近として貴族となり、騎馬民族時代とは似ても似つかぬ暮らしをしている筈のヒューレットだが、根底に残る血は変わらず、戦う者、なのかもしれない。

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