第五章
[09]罠G
サイクレスの母クレディア=ティスは二代目の神官、巫女となった。
「母に、祖父の後を継ぐ意思があったのかはわからない。だが、もとより逃れられるはずもなかった」
サイクレスと同じ美しい銀髪に、透き通る青の瞳を持ったクレディア。
彼女の巫女姿は、信仰心の薄いエナルの人々でさえ、神々しいと思うほど繊細な美しさを讃えていたという。
また、クレディアは父から建築の知識も学んでおり、その方面でも後を継ぐこととなった。
莫大な費用が掛かることから、水を引かずにカラ堀となった外城壁と内城壁の間に、現在の近衛連隊兵舎を始めとする様々な機関を設計したのもクレディアだ。
巫女であり建築家でもあるクレディアは、その仕事ぶりと外見も相まって、人々の人気と尊敬を集めた。
こうして、エナル皇国の神官位継承は、サグラの惨殺という凄惨な事件の後にも関わらず、人々にすんなりと受け入れられたのだった。
新たな事件が起こるまでは。
巫女となった時、20代半ばのクレディアだったが、仕事に熱中するあまり未だ独身で恋人もいない状態だった。
だから周囲は驚いた。
巫女クレディアの懐妊に。
「巫女となって一年程のこと。母の変化に一番最初に気付いたのはリュシアンヌ皇妃殿下だった」
アドルフ皇王の正妃リュシアンヌ。彼女の産んだ長子がリャドル皇太子である。
アドルフ皇王より三つほど年上のリュシアンヌは、この時子育ての大半を終え、国政に関わる事もなく静かな暮らしを送っていた。
そしてそんな彼女から離宮の改装の為、クレディアに設計が依頼されたのである。
リュシアンヌの希望は離宮の一角、子供の遊び場として装飾を行わず空けていた空間に、小さなサロンを作りたいというのだ。
「大袈裟なものじゃなくて、開放的で明るい感じがいいわ。
ここは子ども達の遊び場として中庭とも繋がっているから、中庭に植物を沢山植えて、季節の折々を眺めながらお茶会が出来たら素敵ね」
美と才覚には秀でていなかったリュシアンヌだが、万事控え目でおっとりとし、慈愛に満ちた彼女は皇城の女性たちや他の妃に敵意を持たれるということがあまりない。
皇城内の勢力争いにいがみ合う妃や女官達も、リュシアンヌと接しているときは表面上とはいえ、敵意を剥き出しにすることはなかった。
また、例え皇太子リャドルが次代皇王とならなくとも、アドルフの正妃という立場に変わりがないリュシアンヌ。もとより権力争いになど興味がない。
結果、リュシアンヌの住む離宮は暗黙のうちに中立地帯とされ、一時の平穏を求める人々が度々訪問し、人が絶えることはなかった。
となれば、客の為、お茶会や小規模な晩餐会を開くのは主の勤め。
こうして一番下の息子が手を離れたのを機に、改装計画が実行されたのである。
「母はリュシアンヌ皇妃殿下の希望を聞く為、離宮を訪れる機会が多くなった」
クレディアは皇城の一角、内城壁に面して作られた神殿に住んでいた。
そこから離宮まではかなり距離がある。
滅多に外には出ることがない皇城の女性たちだが、皇城内を移動する時は馬車や輿を使う。
だが、クレディアは人の手を煩わせることが厭わしく、いつも男のように徒歩か馬を使って、呼ばれれば何処にでも出掛けていった。
その日は朝から雨だった。
クレディアとは午後のお茶の時間に約束をしていたリュシアンヌだが、昼過ぎから雨足が強くなってきた為、またの機会に延期しようと神殿に使いを出した。
早馬の使いは、通常ならばクレディアが神殿を出る前に着き、伝言を伝えられる筈だった。
しかし、その日クレディアは内密に水路の調査を予定していた為、昼前には神殿を出たという。
使いは役目を果たせずに戻ってきてしまった。
そうこうするうちに雨足はどんどん強くなり、外はもう前も見えない程の土砂降りの雨。
リュシアンヌは気をもんだ。
地下通路の存在はリュシアンヌも知らない。その為、クレディアがこの豪雨の中にいると思うと気が気でなかった。
脳裏に浮かぶのはクレディアの父サグラの惨殺。まだあれから一年しか経っていないのだ。
それにクレディアは・・・・・。
恐ろしい考えを振り切り、リュシアンヌは警備兵に神殿から離宮までの道を隈無く捜索させた。
「間も無く母は祖父のときと同じように、隠された地下通路の入り口付近で発見された。衣服を血に染めて。
しかし、母は襲われたのではなかった」
兵の一人が発見したとき、クレディアは小路の傍に植えられた樫の木に、体をもたれるようにして倒れていた。
長く真っ直ぐな銀髪が雨で濡れて広がり、まるで蜘蛛の糸のようにクレディアの全身に絡んでいた。
そして白い神官衣の腹部から下が、薄紅色に染まっていた。
「水路の一部から水が漏れていることを発見した母は、その程度を確認する為、雨が降るのを見計らって調査を行った。
しかし、予想よりも雨による増水は激しく、足を滑らせて水路に落ちてしまったのだ。
発見されたとき、自力で別の入り口から這い上がって来たものの力尽きて、扉を隠した後、気絶してしまったそうだ」
警備兵によって離宮に運ばれたクレディアを見るなり、リュシアンヌは血相を変えた。
「医師と薬師を早くっ!それに、ラナイを呼んで!」
普段のおっとりした彼女からは想像もつかない程、その声は切迫していたと言う。
ラナイとは、リュシアンヌの三人の子供を取り上げた、産婆の名であった。
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