第五章


[08]罠F


蒼は、宿舎に来るまでに聞いたサイクレスの話を反芻する。




音の反響する地下水路。
走りながらでも、サイクレスの声ははっきりと蒼の耳に届く。

「俺の祖父、サグラ=ティスは建築家であり、エナル皇国の初代神官だった」

走っているとは思えない程、その声は静かだった。



「神官、ですか? ですがエナルは・・・・・」

後を追う蒼の足音は羊革の靴の為、余り響かない。お陰でそれほど声を大きくしなくても問題なく会話が出来る。

「そうだ、自然神信仰のエナルに神官は存在しない。祭事も議会が取り仕切る」

商業国時代、民の多くが無神論者だった。商人の支配する商業至上主義国だったのだ。無理もない。

商人たちも形ばかりは交渉の神クロシードを祭っていたが、信じるものは己の富とばかりに信仰とは程遠い状態だった。

アドルフ皇王は民の思想をまとめる為、宗教改革にも着手した。

騎馬民族が信仰するのは風と水の神シンセレン。日々、天候に左右される騎馬民族とは縁が深い神だ。

しかし、穏やかな気候と実り豊かなエナル皇国に、自由気ままで時に恐ろしいシンセレンは根付かなかった。

エナル建国以前からこの地に住む人々にとって、風は海から運ばれる息吹きであり、水は常にそこにあるものだった。

何より、民は悟っていたのだ。神では自分たちを救ってくれないと。
土地は豊かでも、醜い欲がある限り貧富の差は埋まらない。そしてそれをもたらしているのは神ではなく、人間なのだと。


「陛下は停滞した宗教改革の打破の為、祖父に世情調査を命じられた。当時、ハイルラルドの都市開発に携わっていた祖父は、民の思想を調査するのに適任だったのだ」

「アドルフ王は民を治める為、この地に適した神を見つけ出そうとしたのですね」

神の捉え方は国によって千差万別。その為、自分たちの暮らしぶりに合った神を信仰するのが慣わしなのだ。

「都市開発に掛かった十年近い歳月の半分を掛けて祖父は調査を行った。だが、結局エナルの民に合う神を見つけ出すことは出来なかった。
人々の心は信仰とは遠く、唯一民が崇めるもの、それは神ではなくアドルフ皇王陛下その人だったから」

民を支配していた商人たちを一掃し、苦しみから救い出してくれたのは神ではなくアドルフ皇王だ。
改革が進み、暮らしぶりが豊かになるにつれて、民の意識は益々皇王に向かっていった。

王が民に愛され、崇拝されることは国家として理想。

だが、自らを神と称するのは余りに危険で愚かな行為だ。
厳しい騎馬民族の暮らしの中で自然の偉大さと神の貴さを学んでいたアドルフが、自分と神を同等に扱う筈はない。


サグラの報告を受け、アドルフは決めた。

エナルは特定の神を定めず、森羅万象、自然全てを神とし、日々感謝の祈りを捧げよと。

こうしてエナル皇国は単独の神を奉らぬ、原始的な自然神信仰国となったのだ。


「そして祖父は陛下より神官の任を授けられた。他国のように、ただ神を祭るだけを生業とするのではなく、建築という仕事を持った祖父が神官になることで民の尊敬を集め、改革がより進むと考えられたのだ」

入り組んだ水路。時に狭い穴のような横道に入るサイクレスの足取りには迷いがない。

「・・・・貴方のお祖父さんが初代神官になられた経緯はわかりました。しかし故それがこの地下通路に繋がるのです?」

暗い通路は足元が殆ど見えない。ヒタヒタと塗れた石床を意識しながら、蒼が疑問を口にする。

「・・・・・この皇城を設計したのも、祖父だ」

「えっ?」

サイクレスの声が一段と低くなる。

「祖父は、陛下の希望の城を建設した。地下道の隅々まで把握しているのは祖父だけ。図面も地図も存在しない」

「・・・・・それは」

どれほどの秘密だろうか。
王の危機、国の危機に使われる脱出路。その全貌を知る人物。アドルフ王にとって己の命を預けるに等しい。

「神官に任じられたのはいざという時、陛下を始めとする城の人々を先導する為でもある」

豊かになるにつれ、周辺各国から虎視眈々と狙われるようになったエナル。建国より十数年、いつ何時そのような事態に陥っても不思議はない。

「エナルにとっての神官とは、神ではなく、王と通ずるものだった」

サイクレスの足音が水路に響く。

「そろそろ瑠璃の門の真下に来る。しかしここから門へは繋がっていない。宿舎の倉庫に通じる地下道に移る」

水路の壁には先程と同じ仕掛けの抜け道があった。やはり目印などは見当たらない。
それとも道を知る者のみがわかる標べがあるのだろうか。

「貴方のその記憶は、お祖父様から引き継いだものなのですね。では、ティスの姓とは・・・・」

ガコン

壁石を元に戻すサイクレスは、立ち上がりながら蒼を見つめる。

天井からもれる光が深い藍の瞳に反射した。

「・・・・・・」

蒼は一瞬黙った。これまでのサイクレスと全く違うように見えたのだ。

若いくせに眉間に皺を刻んだ普段の苦悩顔とも違う、感情の判らない顔。

「・・・・ティスは神官の姓となる、はずだった・・・・」

サイクレスは語る。彼の祖父、母方の一族に何が起こったのか。





サイクレスの祖父、サグラ=ティスは神官としてアドルフ皇王に仕えた。

しかし彼の地位は長く続くかなかった。

余りに重要な役と秘密を持つことになったサグラは、その重圧に堪えきれず、年を経るごとに病に体を蝕まれるようになる。

神官位について十数年。日に日に弱って行く体。サグラは神官の役目が果たせなくなる前に、皇王に地位の返還を申し出た。

だが、親子程も年の離れた臣下であり、誰よりも信頼するサグラを、アドルフ王は生涯側近から手放すつもりはなかった。

サグラが退任するには、アドルフ王の信頼を勝ち得るに足る、神官位を継ぐ者が必要だった。

しかし、それから間も無くサグラは命を落とす。そしてその原因は病ではなかった。



ある朝、隠された地下道の入り口の一つに座り込む、サグラの姿が発見される。

朝日を浴びるその全身は真っ赤だった。


首から流れ尽くす己の血に染められて。

何者かに首を切られていたサグラ。しかし、彼が寄りかかるように体を預けていた地下道への扉は堅く閉じたまま。

襲った何者かは、そこが扉と知ることはなかったに違いない。


どういった理由で殺されるに至ったのか、真相は遂に解明されなかった。

だが、サグラの死により、地下道の秘密を知る者はサグラの娘でサイクレスの母、クレディア=ティスへと移ることとなったのである。




巨大迷路にも等しい、皇城に造られた複雑な地下道。

エナル建国以前の戦乱で妻を亡くしていたサグラは、どこに行くにもクレディアを連れ歩いた。
危険な場所だろうがサグラは気にしない。その為、建設中の城や地下道はクレディアにとって格好の遊び場だった。

ほんの小さな子供のときから出入りしていた地下道の地理は、クレディアの体に染み付いている。
後継者が見つからないままだった神官の位。クレディアが引き継ぐのは必然だった。

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