第三章


[08]策略B


「これを見てください」

蒼が蓋付きの透明なガラス瓶を、どこからともなく取り出した。群青のローブ兼外套は脱いで壁のフックに掛けている。
それなのにどこから取り出したのかわからない。

どこまでも奥が深い人物である。


瓶の中は薄青い液体で満たされていた。

「それは?」

「浴槽の水ですよ。酒を入れる前のね」

目の高さに持ち上げながら、サイクレスの質問に簡潔に答える。

「風呂の水?酒?何のことだ」

気を失っていたサイクレスには事情がわからない。

しかし、その場にいたラトウィッジには閃くものがあったらしい。

「酒を入れる前・・・・・というと、この坊ちゃんの毒を中和する前ってことか?」

「そうです。私が毒の揮発防止剤を入れた水です。まあ正確にはお湯でしたが。
ですから、この中にはサイクレスさんの衣服に付着していた、分解される前の毒薬が含まれています」

そんなもん、いつの間に取ったんだよと、ラトウィッジは疑問に思ったが、何分得体の知れない女だ。自分たちの目を盗み、目にも止まらぬ速さで掠め取るなど雑作もないに違いない。

ちゃぽんと揺れる瓶の中。
薄い青が室内の灯りに照らされ、ゆらゆらと波紋を描く。
極薄い色なのに目が離せない程、神秘的だ。

しかし、情緒が欠落気味なギディオンは特に何も感じなかったらしく、

「なあ、でも風呂桶の水ってそんな色してたっけ?」

と、率直な疑問を口に出した。

「・・・・蒼殿。それはもしかして・・・・」

話の流れを掴んだサイクレスにも思い当たる節があった。

「サイクレスさん、貴方なかなかいい勘してますよ。そう、この水は既に毒薬制作者特定の為、私が着色判定をしました」

揺れる青い水。何十倍と薄められているにも関わらず、判定液に反応している。

「しかし、青は・・・・・・・」

サイクレスが壁に掛けられた蒼の外套に目をやる。深い群青、蒼の称号だ。

「そう、青は私の色。つまり判定液は私が入れた揮発防止剤にしか、反応を示さなかったのです」


毒操師にとって色は自分の存在そのもの。色を持たないということは存在を許されていないのと同義だ。

だから毒操師たちは製造した毒薬に自分の色を付ける。

勿論、規約で定めらていることもある。
しかし、何よりも己が製造した毒薬への絶対の自信と誇りがあるからこその着色なのだ。

「例えば、緋が制作した毒薬なら、二つの色が混ざり合い水は紫になります。他の毒操師が制作した場合でも、必ず青色に変化があるはずです」

口の部分を持ち、クルクルと瓶を回す蒼。
液体には小さな渦が巻き起こっていたが、色が変わる様子などは見られない。

「つまり、製造者の特定はできないと」

液体を目で追いながらサイクレスが呟く。

「少なくとも製造者が毒操師であることはありませんが、まあそういうことです」

ほんの少し、不機嫌そうな色を滲ませる蒼。

「よくわからんが、何で色がついてないと毒操師じゃないんだ?
ワザと付けないとか、付け忘れたとかあるかもしれないだろ?」

横から口を挟むラトウィッジ。
毒操師の製造責任の規約や、製造者の判定方法などは一般に知られていない。わからないのも当然だ。

事情を知っているサイクレスでさえ、人に仕えず自由を好む毒操師たちに、この規約はどれほど有効なのか疑問であった。

「蒼殿、確かにその可能性も・・・・・」

「ないと言い切れます」

サイクレスを蒼は一言の元に切る。

「我々は規約の厳しさを誰よりも知っています。時にはどこの国の法律よりも優先される」

蒼の口調には揺るぎない何かがある。

「では今回の毒薬、一体誰が・・・・・」

「それは私も気になります。ですが、問題なのはこの毒薬の効力です。
髭子爵さんは、貴方の足止めが目的でした。しかも緋の発言により、ジュネス皇女の失脚を確信して撤退しようとしていた。ですが、」

ちゃぽん、液体が跳ねる。

「この毒薬、致死量は極めて微量です。そして遅効性。これは、サイクレスさん、貴方への明らかなる殺意と死体の早期発見が目的と見られるのです」

蒼の発言はサイクレスに重くのし掛かった。

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