第三章


[05]皇都D


「私には派閥争いのことはわからないですが、あなた、この人のことを殺したい程憎いですか?」

蒼はまた湯の張られた浴槽に瓶の中身をあけながら、ラトウィッジを見る。

ラトウィッジは前髪に隠れて見えない目に、射すくめられているような錯覚を覚えた。

「・・・・・・いや、軍内部の過激派ならやるかもしれんが、俺自身はこのお坊ちゃんが、ただ気に入らないだけだよ」

近衛連隊は基本的に貴族の子弟で構成されている。

最近は後継者争いによるジュセフへの反発で、貴族連の入隊希望者は減っているが、良家の令息が集まっていることは間違いない。

まして中隊長ともなれば、由緒正しいご血統と保証されたようなものだ。

建国から五十年、貴族として絢爛豪華で優雅に暮らす人々がいる一方、騎馬民族であることに固執し、街の暮らしを拒絶する人々もいる。

豊かで住みやすい国、エナル。しかし、急激な改革の歪みともいうべきものがこの国には残っていた。





「では、サイクレスさんの命を救う為、力を貸してくださいますか?」

蒼はラトウィッジに向き直り、改めて問いかける。

「まあ、気にいらない奴だが、目の前で死なれちゃ目覚めが悪いからな」

「俺も、腕が立つと噂の近衛のあんちゃんとは、一度手合わせしてみたかったし」

ラトウィッジが皮肉げに唇の端を吊り上げる一方、ギディオンも頬傷の顔に笑顔を作って応えた。
二人ともかなり剣呑で凶悪な笑みである。

「では急ぎましょう。ラトウィッジさん、浴槽に酒を注いでください。全部です」

「これを?」

主人が運んできた樽を指差す。

「そうです。全身の皮膚と血管に入り込んでいる毒を消毒し、身体を温める必要があります」

醸造酒はアルコール度数が比較的高い。
勿論、飲んで身体を温めるのであれば蒸留酒の方が適しているが、全身を浸すとなると刺激が強すぎてしまう。

「これ、上等な酒だぜ? 勿体無い」

「安い酒は混ぜものが多いので、適していません。さあ、早く」

促され、ラトウィッジは樽を開けると、渋々中身を浴槽に注ぎ始めた。

醸造酒は透き通った金色で、流れはまるで黄金の滝だ。

傍らのギディオンが物欲しそうにそれを眺める。

「ああ、俺も浴びてみてえ。だけど、やっぱり勿体ねぇ」

ひと抱えあった樽の中身が全て注ぎ込まれると湯船から湯が溢れ、灰色の石床にやや薄くなった金色の水溜まりを作る。

湯は随分緩くなってしまったが、薬の効能か酒風呂のお陰か、サイクレスの顔に赤みが刺してきた。

それと同時に脂汗は引き、代わりに運動時にかくような自然な汗が額に浮かぶと、次々と玉をなして流れ出す。

「薬の効果も切れたので、血流が熱で早くなっています。先程毒素を排出し、発汗を促す薬と念の為、流れた毒薬を揮発させない薬を湯に入れました。みなさん、アルコールでかなり効力は落ちていますが、ウッカリ切り傷など作りませんよう」

蒼の言葉に、傷だらけのギディオンは主人の視線を感じ、にやっと笑う。

「これは昔の傷。すっかり治ってるぜ」

「御心配な方は後で抗毒薬を差し上げますよ」

蒼はそう言うと、木綿の袖を捲り上げて湯の中に手を突っ込み、サイクレスの太ももに触れる。

厚手の黒い下衣が数センチ裂けており、その下の皮膚に、ほんの一センチにも満たない切り傷が出来ている。

にじんでいたかもしれない血も今は完全に止まり、怪我と言える程のものではない。

きっと必死に馬を走らせていたサイクレスは、気づかなかったに違いない。
麻痺毒で動けなくなっていた、ルース子爵一行とは別の方向から矢が飛んで太ももを掠めたことを。


刺客は二組いた。


しかも、そちらは賑やかに気配を発していたルース子爵に比べ、格段に優秀だった。

息を殺し、身を潜めて蒼たちの周囲への警戒が弱まる瞬間を密かに狙っていたのだ。

そしてルース子爵から緋の情報を聞いた瞬間、確かに自分もサイクレスも気を逸らしてしまった。

刺客はその機を逃したりしない。あの瞬間に矢を放ち、気付かれない程度の傷をサイクレスにつけたのだ。

遅効性の毒を矢尻にタップリと塗って。


「随分まあ、挑戦的なことをしてくれる」


毒操師である自分の目の前で毒を使うなど、黙っていられることではない。

元来、毒操師は非常に誇り高いのだ。


「何だって?」

そばにいたラトウィッジが、蒼の呟きを聞き咎めた。

「何でもありません」

抑揚のない声で答え、サイクレスの顔色を窺う。
どす黒かった皮膚の色は元に戻りはじめ、血管の浮き出しも目立たなくなってきた。

「大分毒が抜けてきましたね。後は手持ちの毒消し薬で大丈夫でしょう」

蒼は壁に掛けてあった麻布で腕を拭うと、袖を元に戻す。

「大したもんだ。あんな状態だったのに治せるのか」

感心したようなギディオン。

一方ラトウィッジは顎に手を当て思案顔だ。


「なあ、あんた、もしかして毒操師か?」

ラトウィッジの唐突の質問に、壁を向いていた蒼がゆっくりと振り向く。

「なぜそう思われるのですか?」

淡々とした口調。感情は読み取れない。しかし、前髪の奥で何かが光った気がした。

先程よりも強い視線を感じる。

だが蒼は肯定も否定もしない。ラトウィッジの方が落ち着かない気持ちになる。

「いや、薬師ってのは毒の知識もあるが、こんな荒療治見たことなかったし。まあ、勘なんだが」

「そうですか。私も勘でした」

「え?」

蒼は宿の主人を促し、浴室の出口に向かう。

「ご主人、浴槽を提供くださってありがとうございました。後はこの方々が綺麗に掃除してくれるそうです」

「は?」

「ええっ!」

思いもかけない発言に国境警備軍の二人が驚いて声を挙げる。

「おや?手伝うと仰いましたよね」

しゃしゃあと蒼。

「そりゃ言ったが、この坊ちゃんのことだけだぜ」

ラトウィッジの抗議にも全く動じず、

「治療はまだ続いています。彼を湯から上げて着替えさせ、二階に寝かせてください。
それと湯の後始末ですね。そろそろアルコールで毒が中和されます。普通に排水しても問題ありませんよ」

あっさり言うと浴室の扉をくぐる。

「おい!あんたっ」

出口に近かったギディオンが呼び止める。

「あ、申し遅れましたが、私、毒操師の蒼と申します。以後お見知りおきを」

さらっと名乗り、二人の目の前で扉が閉められた。

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