第三章


[04]皇都C


ギディオンが二階の一室をくぐると、屈み込む群青の外套の向こう、ベッドに横たわる背の高い銀髪の青年が見えた。

袖のない薄いシャツに黒い下衣、長靴は脱がされベッドの端に置かれている。

青年の全身には、びっしりと脂汗が浮かび、肌の色は日焼けではなくどす黒い。

瞼を堅く閉じたまま眉間には深い皺が刻まれ、その剥き出しの腕や首筋、こめかみに血管が浮き出している。
青紫色の血管は中を流れる血液の黒さを感じさせ、ギディオンは鳥肌が立った。

「おい、こいつ、もしかして・・・・・・」

「ええ、毒に犯されています。遅効性の血液毒です。この毒は血管に入り込むと体中を巡り、血管の硬化、血液と皮膚の変色を引き起こします」

たじろぐギディオンに作業を続けながら蒼が手短に説明する。

蒼は自分の荷物である麻の袋を開け、小瓶を幾つか取り出していた。

「あんた、薬師か?」

広く薬全般を取り扱うのが薬師である為、ギディオンのような勘違いは多い。

「そのようなものです」

説明が面倒だったのか蒼は適当に流した。

「こいつ、治るのか?」

青年、サイクレスは見る限り意識はない。しかし気を失っても苦しみは去らないのか、食いしばった歯の隙間から時折呻き声が零れている。

「治ってもらわないと困りますね」

蒼は小瓶の一つを青年の口元に持っていき、瓶の中身を飲ませようとした。

しかし、両顎はがっちり噛み合わされ、とても飲み込める状態ではない。

小さく舌打ちをした蒼は、小瓶を煽り、サイクレスに口移しで無理矢理に飲ませる。

「!!」

更に動揺するギディオン。

勿論、恋人同士の甘い口づけなどではないことはわかりきっている。

ギディオン自身、国境付近の小競り合いで傷を負い、意識を失った仲間に人工呼吸を施したこともある。

だが、先程のラトウィッジの言葉を思い出し、意識にせずにはいられない。


[面白そうなねぇちゃん]

ラトウィッジがそう言ったとき、ギディオンは耳を疑った。

確かに顔は見えず、身体の線もわからない為、その可能性がないとは言いきれないのだが。

「あいつ、酒樽軽々持ってるぜ?それに女臭さが欠片もしねえ。普通あんな女いるか?」

宿までの道々、そう否定したギディオンにラトウィッジは、

「まあ、俺の勘だけどな」

と、勘を外さないくせに、ニヤリとした。

もっさりした前髪の下から見える鼻先、小さくも大きくもない唇、細い顎。
特徴から言っても女性的ではある。

だが、今回ばかりはラトウィッジの勘が外れたと思いたい。


「大体、女ってのはもうちょっと、こう・・・・・・・」


「ギディオンさん。こっちに来てください」

置かれた状況も忘れ、両手のひらで曲線を作りながら、そんな事を口走っていたギディオンに、蒼の指示が飛ぶ。

「えっ、あ、ああ!」

我に返り、慌ててベットに駆け寄るギディオン。

「もう、気休め程度の血管緩和剤では効きません。早く毒を抜かなくては。
今、血流を一時的に鈍くする麻痺毒を投与しました。暴れませんからギディオンさん、この人を風呂場まで運んでください」

飲ませた薬の効き目か、青年の表情が少しだけ和らいだ気がする。

「わ、わかった」

ギディオンは青年の仰向けになった背の下に腕を差し込むと、力のない身体を担ぎ上げた。

そのとき、間近に見た苦悶に歪む、だが整った顔に何やら見覚えがあった。

「あれ?こいつ、どっかで・・・・・・・・」

「ギディオンさん、急いでください」

頭の中に浮かびかけた記憶が、蒼の一声で散り散りになってしまう。

蒼は既に部屋を出て、階段から呼びかけている。

「・・・・・うーん、思い出せん。
ま、いいか。今行く!」

サイクレスを肩に軽々と担ぎ、ギディオンは階段を下っていった。







風呂場では控え目な主人と、鋭い顔立ちに好奇心を浮かべたラトウィッジが二人を待っていた。

ラトウィッジは外套と上衣を脱ぎ、身軽な格好になっている。

「そいつがご入浴頂くお客様か?」

「ええ、よろしくお願いします」

向けられた皮肉もサラリとかわし、蒼はギディオンに青年を浴槽に入れるよう指示する。

「脱がさなくてもいいのか?」

「ええ、衣服に付着している毒も流したいので」

ちょっと意地悪そうに口元を歪めたラトウィッジに、蒼は淡々と返す。

「毒?」

途端、ラトウィッジから笑みが消えた。冷淡で厳しい顔が戻ってくる。

また、毒と聞いた宿の主人はあからさまに後退った。

「心配いりません。傷口から入り込む類の毒薬なので、空気中に漂うことは恐らくありませんから」

主人を安心させるように落ち着いた口調で説明する。
が、断言はしない。

主人は浴室を飛び出さないまでも、腰が完全に引けている。蒼の言葉にも全く安心していない。

しかし構っている暇はないと思ったのか、ギディオンを促した。

「さあ、お願いします」

ギディオンは荷物のように肩に担いでいた青年を下ろし、ゆっくり浴槽に腰掛けさせる。

そのとき力のないサイクレスの首が傾き、覗き込んでいたラトウィッジにも顔が見えた。

ラトウィッジの顔色が変わる。真剣な表情に凄みが増した。

「おい、こいつぁ、サイクレス=ヘーゲルじゃないか」

「ああっ、そうだ!!。どおりで見覚えがあると思った」

ギディオンが手を打つ。

「お知り合いですか?」

上から持ってきた瓶の中身を浴槽に開けながら、蒼は手元に集中しているのか無関心に聞く。

「知り合いも何も、近衛の中隊長殿でジュセフ皇女の腰巾着だ。国中知らない奴はいないぜ」

ラトウィッジの物言いにはあからさまな敵意が見えた。作業に没頭していた蒼が顔を上げる。

「随分な言い方ですね。国境警備軍支持の継承者は、やはりハーディス皇子ですか」

騎馬民族出身が大半を占める国境警備軍では、アドルフ皇王継承者5人の中で、同族の婚約者ディアを母に持つハーディスを支持している。

この派閥は貴族連とは違く、男臭い集団で構成されていた。

「まあ、俺たちはそれほど熱烈じゃあないがな」

「ジュセフ皇女だって、騎馬民族の血筋でしょうに」

ジュセフは女族長ネイシスの孫、つまりは騎馬民族の娘の子だ。ハーディスと同じ立場である。

だが、騎馬民族の男たちには譲れない理由があった。

「ネイシスは娘を差し出し、戦わずにアドルフ陛下に統合された。騎馬民族の誇りのない者の子孫など、支持出来ないというのが軍内の考えだな」

つまりは、そういうことであった。

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