第一章


[02]暗殺者A


「近衛連隊第一中隊長であり、皇族のディオルガ・ローゼン=ヴァン=エナル様が、5日前の建国式典にて、突然意識を失われたのだ」

心中の苦悩を表すかのように、サイクレスの眉間の皺が一層深くなる。

「ディオルガ様は皇王陛下がご入場される際、陛下の輿に護衛として馬にて付き添われていた・・・・・」

脳裏に蘇るのは、春霞に淡くけぶる青空と鮮やかに翻る深紅の国旗。

通りに面したそこかしこの家から、咲き初めの春の花が雪のように振り撒かれ、道の両脇には晴れ着を纏った民たちが詰め掛ける。一糸乱れぬ行進を披露する近衛連隊に大きく手を振る彼らの顔は、みな歓喜に輝いていた。

華やかで晴れやかな心踊る光景。自身の率いる第二中隊の隊列に乱れはないかと確認しつつも、つい賑やかさにつられて頬が緩みそうになる。

それもそのはず。今年の式典は建国五十周年の節目。例年とは比べものにならない程、盛大で華燭に満ちたものだった。









十五歳にして建国の覇者となった皇王、アドルフ・ローディン=ヴァン=エナルは実に五十年もの間、エナル皇国を他国の侵略から守り抜き、大陸に数多存在する大小の国々の間に、確固たる地位を築き上げてきた。

エナル皇国は西側が海に面し、北から東側をなだらかな丘陵地帯に囲まれ、南は大陸を二分する渓谷砂漠が横たわるという南北に長い形の中規模国家だ。

しかし気候の変化の激しい山脈からは遠く離れ、海から吹く風は神に祝福されているかのように柔らかい。年間を通して安定した温暖な気候は、豊富な海産物と良質な農作物を生み出す。

また西の海岸線には波を和らげてくれる大きな湾が存在し、船による流通貿易が盛んだ。エナル経済の中心を担っていると言ってもいい。

そしてエナルの数ある特産品の中で、湾内にて取れる良質な真珠は特に高値で取引され、国庫は常に潤い、国力が増すばかりであった。

奇跡のように美しく、また強大な経済力を持つエナル。隣接する周辺各国はその存在に脅威を抱く一方、溢れるばかりの豊かさに羨望の眼差しを向け、攻め入る隙を虎視眈々と狙っていた。

そんなエナルを現在に至るまで揺るぎなく守ってきたのが、皇王アドルフである。




国家の父にして守護神アドルフは、エナルの南方、渓谷砂漠出身の騎馬民族だった。

小競り合いの絶えない小民族の密集する砂漠地帯では、男子は十歳にして戦に出る。

しかし族長の子だったアドルフは更に若い、僅か八歳で戦を経験し、十二歳のときには既に最前線を任される将として戦場を駆け巡っていた。

砂漠を吹き荒ぶ疾風の如く、敵陣営を分断せんと切り込む先陣部隊の強さは驚異的であり、彼らが通り抜けた後は朱色の砂塵が舞うとさえ言われていた。

そしてそれを率いるアドルフ少年の存在は、渓谷砂漠全土の騎馬民族たちを震撼させた。

次々と砂漠に散らばる騎馬民族を併合吸収したアドルフの部族は、僅か数年で丘陵砂漠の端、大陸の中央部まで統一を果たしたのである。

アドルフが、族長である父の死により部族を継いだのは十四歳。このとき既に、渓谷砂漠最大の騎馬民族へと成長していた。

しかし、部族を拡大したところで不毛な砂漠地帯。小競り合いの減少により平和は訪れたが、暮らしは一向に楽にならない。

寧ろ戦で命を落とす人間が激減したことから人口は増加し、渓谷周辺のオアシスでは人々を養い切れなくなっていた。

族長として部族を守る義務のあるアドルフに残された手段。それは、豊かな土地を求めての西への侵攻であった。



当時、西の海岸沿いを治めていたのは王ではなく、強欲な商人たちが支配する商業議会だった。

商人にとっては政治も金儲けの一つ。民から様々な名目で税金を搾取し、国交のある周辺諸国の輸入品には多額の関税を掛け、自国の商品は値を釣り上げるなど、富の集積ばかりが著しい腐敗しきった議会政治が横行していた。

勿論、経済を牛耳るのも商人。

結果、国中至るところで裏金や袖の下が慣例となり、私腹を肥やす大小悪徳商人が跋扈。治安は乱れ、富と権力が比例する激しい格差社会と化していた。

しかし、元より温暖で豊かな暮らしやすい土地。奪われるばかりであっても、外海や丘陵砂漠に出て危険な目に遭うよりはと、民は圧制に堪え必死に税を納めるしかなかった。

また周辺各国にしても、海沿いを支配する商業国は多数の港を抱えた貿易の要。ここを通らなければ他国との取引が成立しない。となれば、如何に自国に不利な足元を見られた取引であっても、切り離すことは出来なかったのである。

商業国はその莫大な富により市場経済を操作する、大陸一の経済大国として確固たる地位を築いていた。

しかし、驕慢に満ちた無秩序な商業の発展は、国に貧富の差だけでなく、堕落と退廃をも蔓延させる。

どんなに土地が豊かであろうとも、個々の利益ばかりを追求し、国としての機能が麻痺している状態で、アドルフ率いる一糸乱れぬ合の力による攻撃に対抗出来るはずもない。

勿論、商業国でも軍は存在する。それどころか議会は金にモノを言わせて多数の傭兵部隊を雇い入れ、国全体を守護させていた。

また大商人ともなれば、折角稼いだ大事な財産を奪われてはたまらないと、私財を投入して私兵団を作るものも多い。

結果、荒くれ者と紙一重な一攫千金を狙う粗雑でがさつな傭兵たちが街を闊歩し、治安は守られるどころか益々悪化していたのである。

だが、それこそがアドルフの狙いであり、この国に攻め込む足掛かりであった。

アドルフは部族の一部を傭兵団に化けさせ、真っ正面から堂々と乗り込む作戦に出た。

厳しい砂漠を踏破できる騎馬民族の屈強な戦士と、金さえ貰えれば敵味方関係なく簡単に雇い主を鞍替えする、烏合の衆のような流れの傭兵団では何もかも比較にもならない。

戦士一人一人の力もさることながら、その統率の取れた一個師団にも及ぶ兵力は瞬く間に話題となり、真珠の売買を一手に引き受ける国内でも有数の大商人との契約を取りつけるに至る。

勿論、全てはアドルフ筋書き通り。

議会に実力を示す為、残してきた部族に偽装襲撃まで行わせて着実に功績を挙げる手腕は、騎馬民族の戦士達も舌を巻くほどだったという。

そうして潜入から凡そ一年。商業国攻略の為だけに作られた即席の傭兵団は、国境警備の指揮を任される、事実上国の正規軍となったのである。





そもそも商人たちに愛国心などといった感情は欠片も存在しない。彼らが優先するものは常に自分であり、守るべきは己の富。

戦による儲けは計算しても、自ら討って出るなど愚の骨頂。そんなことは闘う以外何も出来ない傭兵にやらせればいい。金さえくれてさえやれば何の問題もない。商人たちはみなそうタカを括っていた。

アドルフの戦略はそうした商人たちの真理を見事に突いたのだ。

富の集中著しい商業国には、軍はあれども優れた軍師はいない。議会員はみな商人で、商売上の駆け引きは得意でも軍配は全くの不得手。ズブの素人である。

一方アドルフは丘陵砂漠最大の騎馬民族を治める長。闘いの都度増加する部族の戦士たちを余すところなく活用してきた歴戦の将。

則ち国境警備を手中に収めてしまえば、国境攻略で兵力が弱まることなく国攻めの最難関を突破したも同然。

そして国内に入ってさえしまえば、後は散在する傭兵団を各個撃破するだけ。先陣を切って戦場を駆け抜けてきたアドルフにとっては馴染み過ぎている単純な闘いだ。基より、烏合の衆など敵ではない。

国境警備を任命された時点で、国取りの計画の大半は達成だった。

そして勿論、その機会を逃すはずもない。

早速待機させていた別動隊を国境内に引き入れ、首都まで一気に攻め込んだのである。

数多存在する傭兵団は初めこそ抵抗する部隊もあったが、大半は形勢が不利と見るや散り散りに撤退。また金の匂いを嗅ぎ付けて、したたかにアドルフ側へ寝返るものもいた。

何より大軍にも関わらず、商人と軍隊以外には危害を加えない騎馬民族の戦手法は国民から徐々に支持を得、首都攻略が間近になる頃には物資の支援を申し出る者も現れていた。

こうしてアドルフたち騎馬民族は、呆気ない程簡単に資源豊かな商業国を手に入れたのである。




皇王に即位したアドルフは、名のない海岸沿いの商業国にエナルと名付け、乱れた国内の改革に乗り出した。

真っ先に着手したのは商人至上主義国家に於ける特権階級の撤廃。

独占的に市場を支配していた一部の大商人から商業資格を剥奪し、貯め込んだ富を没収したのである。

個人の所有とは到底思えぬ巨万の富は国庫を瞬く間に潤し、その後の国家運営に大きく貢献した。

没収した財を街の整備、道の整備、水道の整備といった大規模な公共事業に次々と投入したのである。

自分たちはもう騎馬民族ではない。家を持ち、道は馬で進む必要がなく、水は常に清潔なものをと。

そんなアドルフの願いは次々と実現され、瞬く間に形を成していった。

建国から十年も立たずして、エナルは商業国時代からでは考えられない美しい都市へと生まれ変わっていた。

そして、生産業者たちの保護と地位の向上も重要な課題であった。

仲介の商人たちとの交渉権を与え、足元を見られることが無いよう相場は常に開示された。

また、アドルフは周辺諸国からの防護にも余念がなかった。

丘陵地帯には他国の侵略を防ぐ為、果てしなく長い城壁が作られ、一里に一つ見張り塔を建てると、街への移住を拒んだ部族の男たちを国境警備軍として常駐させた。

こうして大規模な改革を行っては成功を修めるアドルフを、国民が心酔しないはずがない。

富国をもたらした覇王は、改革者であり堅固なる守護者。民たちはその庇護下で、身も心も安らげる日々を得られたのである。

そんなアドルフの治世は以後も揺るぐことなく、永劫続くものと誰しもが思っていた。



泥沼と化す後継者争いが勃発するまでは。











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