第八章


[05]隠蔽C


「貴方の兄上、クラウド・ティス=ヘーゲルさんは、皇城内で王を救った英雄と語られているそうですね」

事件の概要を話す蒼の声は全く普段通りで何の抑揚もない。

だが、それが却って事実をありのまま突きつけられている気がする。

牢までの地下通路は城壁のときと違い、天井に灯り取りの隙間がほとんどない。そのため直ぐ前を歩くサイクレスの広い背中すら、はっきり捉えることは出来ない。

進行方向を見据える黒く染められた顔は、闇に溶けてしまいそうなほどだ。

蒼の話に相槌を打つこともなく、黙りこくっているサイクレス。
だが、振り向きもしない顔には、辛い記憶に耐えているような苦悶の色が浮かび、ギュッと眉根を寄せ唇を噛んでいる。


「・・・・クラウドさんが命を掛けて手に入れた解毒薬でアドルフ王は一命を取り留め、緋の解析から毒薬はジャルド産であることが判明しました。あの国では、鉱物に含まれる毒素を精製した毒薬が数多く作られていますから、緋ほどの毒操師なら特定は難しくなかったでしょう。
しかし、生産地から即ジャルドの陰謀と断定するには、いくつか謎があった」


「・・・・・・・・」


通路には軍靴の規則正しい靴音と、足音がたたないよう工夫された布靴の床を擦る音が、まるで話の間を取るように響いていた。





毒操師たちがレシピと呼ぶ毒薬の調合方法は、実に千差万別である。

毒操師の称号は、必要資格を取得した者にだけ与えられる、一代限りのもの。毒操師の毒薬は全て己れが一から作り上げる。

稀に、師匠である毒操師の元で知識を習得し、世代交代のように色を継ぐ者もいる。その場合、資格を得たと同時に師匠である先代は、毒操師を剥奪されてしまう。
それでもよいと思える程の師弟関係を築いている毒操師など、ほんの一部だ。

となれば成分を分析することで、同じ効能の毒薬でも製造者の特定が可能なのである。

また材料も身近なものが多い。毒操師の能力によってストック数は異なるが、新米の毒操師でも数百保有し、多いものでは数千種類に及ぶ。その為、余計に地域色が出る。

もとより、毒操師の手による毒薬ならば色を調べれば済む話。

だが、アドルフを苦しめた毒薬の製造者は未だに明かされていない。










少しの沈黙の後、蒼にしては珍しく、慎重で様子を伺うように話し出した。


「・・・・・まず一つ目は、アドルフ王暗殺の目的、つまり動機です。当時ジャルドとの独占取引は武器だけでなく多岐に渡っていた。これがもしジャルドの差し金であるならば、その関係と引き換えにしてもいいと思える程の何かがなければおかしい。
最高の取引先であるエナル王を暗殺して、利益があるとは思えませんから。
次に、誰が実行犯かという問題です。
国が安定してからというもの、アドルフ王は皇城の外にほとんど出なくなりました。ごく稀に城下町へ外出するときも、側近や国家警備軍に厳重に守られている。
外部の人間が王に毒薬を仕込むのは非常に困難です。
或いは、私が森で使用したような散布型の毒薬なら可能かもしれませんが、勿論不特定多数の犠牲者が出てしまいます。
正確にアドルフ王だけを狙うには、毒矢を使うか、直接飲ませるしかない。ですが、外で周囲に気付かれず毒を盛るなど到底不可能。となれば必然的に犯行は皇城内、それもアドルフ王に近しい人間となる」

サイクレスは歩きながら無意識に己の太ももを撫でた。そこに紛れもなく命を落としかけた傷がある。しかし、元々ほとんど目立たなかった傷口は、肌を染めてから全くわからなくなってしまった。


本人も気付かないほど小さな傷で死に至らしめる、それこそが毒薬の威力だ。
いくらアドルフが厳重に警護されているはいえ、壁に囲まれているわけではない。

となれば、自分のように隙を狙われる可能性がないとは言い切れない。だが、自分とアドルフ皇王では立場も状況もまるで違う。

アドルフ王が皇城を出るときには馬車か天蓋付きの輿が用いられ、大衆の面前に姿を晒すことはない。ましてや一人で出歩くなど皆無だ。

確かに犯行は皇城内と見るのが妥当だった。


「・・・・・」


黙り込んだままのサイクレスをそのままに話続ける蒼。しかしその実、サイクレスの反応をつぶさに観察していた。

語らない背中を見つめ、蒼は僅かに息をつく。


「そして・・・・・最後の疑問は、貴方のお兄さんです。緋を中心に、八方手を尽くして解毒の方法が探索されていました。そんな中、当時一介の近衛隊員だったクラウドさんは、どこで解毒薬を見つけ出してきたのでしょうか」


「・・・・・・・」


サイクレスの背中が硬直したように伸びる。

嘘のつけないサイクレス。言葉よりも雄弁に、そこに深い事情があることを示した。


「・・・・・考えられる理由は幾つかあります。ですが、それは後に回しましょう」


暗がりであっても、サイクレスの変化ははっきり捉えられたが、蒼はそう言うと壁に手を付き後ろを振り返った。


歩いてきた地下通路は複雑に枝分かれし、途中幾度も分岐を曲がってきた。いくら夜目が利く蒼でも、もうどれだけ進んだかわからない。

手探りに近い暗い通路を正確に辿れるサイクレス。幼い頃からの訓練があるからといって、誰もが真似出来るものではない。

単純と思われるほど素直だが、頭は悪くない。何より実直で勤勉だ。きっと昔から変わらないのだろう。

また整った容姿を持つサイクレス。冴え冴えとした珍しい銀髪に神秘的なほど深い藍の瞳と相まって、子供の頃はさぞ大人たちに可愛がられたに違いない。

父親であるアーネスト=ヘーゲルは、今でこそ隠居生活を送る世捨て人だが、クレディアが存命だった頃は財力実力ともに備えた大貴族の一人だった。

サイクレスは何不自由なく育てられた、恵まれた子供だったのである。




では、父親の違う兄クラウドは、この弟をどう思っていたのだろう。

そしてサイクレスはどこまで事情を知らされているのか。



蒼は姫館魅煉で読んだファーンの調査報告書を思い返していた。



様々な人物の証言に時折登場する近衛隊員クラウド。

年齢に不相応なほど物腰は柔らかく、穏やかな口調に明晰な頭脳と高い身体能力。
外見は焼き菓子のような茶色の髪と紫がかった灰色の瞳の、優しい面差しの青年とある。

母クレディアともサイクレスとも異なった色彩を持つクラウド。

調書から読み取れる人物像は完璧だ。聖人君子といってもいい。

だが、その伏せられた出生と、ずば抜けた能力を持ちながらヘーゲル家の跡取りではないなど、背景には暗い部分が多い。

サイクレスの話から、クラウドの父親が皇王アドルフであることは間違いない。しかし、当時そのことは全く伏せられており、世間ではクラウドは神官だったクレディアの私生児と認識されている。

クラウド自身はどうだったのだろう。己の出生を知りたいとは思わなかったのだろうか。



(・・・・今はそれを考えても仕方ないか)



没頭しそうになる思考を切り返えて、蒼は話を続ける。



「さて、アドルフ王を窮地に追い込んだ毒薬がジャルド産であることは判明しました。ですが、騒ぎ立てて糾弾しようものならジャルドと戦になり、中規模国家のエナルなど簡単に滅ぼされてしまう。
そこで、アドルフ王は秘密裏に使者を出した。裏切り者を探す為に」


事件は皇城の内部で起きた可能性が高い。となれば、必ずジャルドとエナルを繋ぐ者がいる。



「・・・そして、使者がどのような手段を講じたのかはわかりませんが、ジャルド王と何らかの取引があったのでしょう。毒薬の件を不問にする代わりに、王は裏切り者の名を明かしました。それが・・・・・・・」


「・・・・・オークス=ヴォルテール・・・・・」



アドルフ王の側近であり、かつての英雄。その大いなる裏切り行為は、エナル最大のスキャンダルとなった。







(・・・・アドルフ王が差し向けた使者は、ジャルド王の命を狙う刺客だったのだろう)


目には目を。暗殺には暗殺を。

勿論、本気で殺すつもりはなかっただろう。そんなことをしても何の得にもならない。

だが、常に豊かな土地を求めて領土争いにひしめきあう周辺各国と違い、寒冷地で気候の厳しいジャルド。大陸一の軍需大国でもある。

そんなところに、わざわざ危険を冒してまで攻め込む国は無い。
その油断を狙った刺客だ。恐らく、ジャルド王の寝首をかくところまで入り込んだに違いない。


そして、ジャルド王は己の命と引き換えにオークスの情報を差し出した。

情報は信憑性が高い。
もとより暗殺に加担した件を不問にする取引だ、嘘をつく必要もない。



取引を成立させ、驚異的な早さで帰還した使者から報告を受けたアドルフは、すぐさま国境閉鎖の命を下し、オークスの屋敷に兵を差し向けた。

屋敷は国境の目と鼻の先。イディオン率いる国境警備軍がすぐさま屋敷を包囲した。

アドルフが毒薬に倒れたことは一般国民に伏せられ、勿論その後回復したことも、ジャルドに使者がたてられたことも極秘だ。

その情報のどれもが、隠居生活をおくるオークスに掴めるはずはない。

だが、国境警備軍が屋敷へ突入したときには既にもぬけの殻。使用人一人家畜一匹残ってはいなかった。




唯一得られたのは、オークスの書斎に置かれていた、一通の封書。

オークスが好んで使い、ヴォルテール家の紋章ともなった、盾を持つ獅子の意匠でしっかりと封蝋されたそれは、羊皮紙ではなく折り目も美しい上質な紙だ。


そして、流麗な筆跡で書かれた宛名は、敬愛する覇王殿。

オークスがアドルフへの最後の手紙だった。




かつての戦友が残したそれを、イディオンは開封せずにアドルフの元へと持ち帰った。


逃亡の報告とともに渡された封書。毒薬の後遺症でまだ床から離れられなかったアドルフは、麻痺と憤りに震える手で封蝋をきった。

傍に控える誰もが口を閉ざして見守る中、薄い紗幕が掛けられた寝台から、紙の擦れる微かな音が漏れる。



痛い程の沈黙。



居並ぶ者たちの息遣いさえ聞こえてきそうな静寂に、呼吸することすら憚られてくる。

沈黙の長さに、みな身を包む空気が水に変わったのではないかと疑い始めた頃、アドルフの絞り出すような細い溜め息が聞こえた。



カサリ



手紙をたたむ音に、その場にいた全員が耳を傾ける。










「・・・・・この件、今後一切禁忌とする」



掠れた声。



年老いて尚、艶を失わなかった張りのある為政者の声が、毒薬ですっかり灼かれている。



だが何より、その発言に全員が驚き、自身の耳を疑った。




「・・・・・禁忌」



王の正面で、礼をとったまま控えていたイディオンは、顔を上げ紗幕を見つめる。


だが、寝台に横たわるアドルフは沈黙したまま。

再び口を開くことはなかった。



そして、様々に未解決の問題を残し、真相は闇に葬られた。





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