第二章 動きだす運命
[11]第二七話
「このあと1961年にニクソン・ショックが起きたわけだが、これは…………ん? 如月か」
教室前方の扉が開かれたのに気付いた教師が手を止めた。
黒板の方を向いていたクラスメイト達は、一斉に扉の前にいる如月に視線を向ける。
「気を失ったので保健室に行ってました」
寸分違わぬ事実の一部を淡々と述べると、政経の教師は、
「そうか。気分が悪くなったらすぐに言えよ」
それだけ言うと、席に着くよう目で促す。
恐らく真相は知らないはずだ。
如月は、「分かりました」と言うと、普通の足取りで自分の席に座った。
如月の座席はちょうど窓側の前から三番目で、左斜めから外の風景が眺めれる。
そんな事には気も止めず、隣の席にいた女子からテキストのページを教えてもらうと、早速授業に集中し始めた。
すると、時折妙な視線がこちらに送られて来ている事に気がつく。
ある者は奇異の目で、またある者は心配そうな目で如月をチラチラと見てくるのだから、集中しづらい事この上ない。
ちなみに奇異の目を送っているのは、真相を知りたがる男子諸君だろう。だが、一部の女子もそんな視線を寄せている。
逆に、心配そうな目を送って来るのは女子達である。
ただ、こちらにもご多分に漏れず、男子が混ざっている。
心配派の男子は、その大半が如月と親交の深い者達で、もちろん事故の当事者も含まれている。
どうやって質問の嵐をやり過ごそうかと頭の片隅で適当に考え始めた。
政経は暗記分野だから板書を写すだけで十分である。
次第に思考は授業から逸れて行った。
教師が黒板に書く内容でノートの空白を埋めながら考える事に専念する。
すると、休み時間をどう過ごすかという事より深層心理内での事に焦点が移った。
自分とネルの監視。
黒崎アリアと名乗る少女はほぼ間違いなく昨夜の襲撃者だろう。
だが、何のためなのか。
如月はここ最近の出来事を思い返した。
最初の襲撃は暗殺目的だと推測する。
あのフードの男は「始末する」と言っていた。
昨夜の襲撃はリュウ・セイラン個人への復讐だ。
今のところ二つの襲撃に接点はない。
だとするとおかしい点がある。
なぜアリアが自分達を監視するのかだ。
セイランへの仇討ちをしたければ、如月とネルフェニビアがいない時を狙えばいい。
だからセイランだけを監視すれば良いのだ。
それなのに、どうして自分達なのか。
まるで紐を解こうとして逆に絡めてしまったかのようだった。
これ以上考えると混乱しそうになるので一時的に授業へ集中し始める。
しかし、幸か不幸か丁度終わりを知らせるチャイムが鳴る。
「中途半端だが、今日はこれまで。来週の月曜に小テストをやる。しっかり復習しろよ」
教師はそう言うと、さっさと教室から出て行った。
授業の始まりは礼で始まるが、終わりは礼で終わらない。
そんなスタイルを取るあの三十路とは思えない熱血教師は、けっこう生徒から評判がある。
如月は軽く伸びをした。
誰からも話しかけられないようにどうしようかと考え始めた時、
「如月、大丈夫だったか?」
加治が声を掛けてきた。
その口調には心配というものは感じられない。
よほどの事がない限りは大丈夫だと思っているのだろう。
だから如月もそれを踏まえて言葉を返す。
「大丈夫じゃなければここにはいない」
「だろうな」
加治はニヤリと笑った。
「剛田のやつが幽霊でも見たと言わんばかりに青ざめてたぜ?」
「それなら無事だと一言伝えて来るか」
「あー、それは待て」
椅子から立ち上がろうとする如月を加治は手で抑えた。
それから加治はテストの時以外では珍しく困った表情を浮かべた。
そしてすぐに深刻な顔になって声を低める。
「あいつの周囲をさり気なく見てみろ」
加治の言葉通り、事故の起因者、剛田武憲(ごうだたけのり)の方に目を向ける。
彼の席はちょうど廊下側の一番後ろ、すなわち教室の後ろの扉に一番近い位置にある。
一見分からないが、注意深く眺めていると状況が分かり始めた。
後ろの扉を利用する女子達が、妙にそそくさと歩いているのだ。
まるで嫌なものを避けて通行するかのように。
そのせいで、剛田の周囲の雰囲気だけが異常だった。
視線を教室の黒板に移して如月は呟く。
「なるほど」
「だろ? 女子連中が下らない事をするからこうなるんだよ」
加治は壁にもたれた。
如月は黒板から加治へとさらに目線を移す。
そして、こう言った。
「剛田があれでは可哀相だ。やはり俺は行く」
「だから待てって」
二度も押し止どめられ、如月は少しきつい視線を加治に向けた。
加治は動じる事なく、逆に溜め息をついた。
「いいか。今あいつの所に行ってみろ。間違いなく剛田は女子達の批判の矢にさらされるぞ?」
「なぜだ? いや、そもそも女子云々の問題に発展する必要性がないはずだ」
如月の発言に、加治は唖然としたようだ。
口をぽかんと開けたまま三秒間静止した。
「どうした? 主観的ながらも、一応客観性を持たせたはずだが」
加治は大きく溜め息をつくと、一言。
「昼休み、屋上に来い」
妙に憎悪のこもった言葉だった。
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