第八章
[09]隠蔽G
堅く重い扉の奥、目指すべき人物は、備え付けの机から身じろぎもせずに待っていた。
来訪者を確信して。
「サイクレスさん、もし貴方が非常に警戒している人を捕らえた場合、この牢のどのあたりに収容しますか?」
「え?」
唐突な質問に面食らうサイクレス。ファーンの居場所を推測出来ると言った蒼だが、すんなり教えてくれるわけではないらしい。
だが、今は蒼の言葉を信じるしかない。
というわけで、とりあえず答えを考えてみる。
「・・・・・警戒しているんだから、当然独房だろう?」
考えてはみたものの、捻った答は見つからない。そもそも、その為に独房はあるのだ。警戒度の薄い受刑者を独房に入れる必要などないのだから。
大概の人間は、外界から隔絶された独房に長く拘留されると、孤独と暗闇に耐え切れず、精神に異常をきたす。
日が経つにつれ、みな奇声を挙げて暴れたり、逆に黙り込んで自閉症になるなどの異常行動を起こすのだ。自傷、自害する者もいる。
それ程に、人との接点がないとは精神に負荷を掛けるもの。
独房は、牢内で問題を起こした者への懲罰として一定期間使用される以外、死罪を言い渡されるような重犯罪者にしか使われていない。
となれば尚のこと、警戒している犯罪者は独房に入れれば済む話だ。
だが、そんなサイクレスの答に蒼は小さく首を振る。
「確かにその通りですが、私が聞きたかったのは、独房のどこに収容するか、です」
どこ?
サイクレスは思わず廊下の端まで首を巡らせる。
ぽつぽつと明かりの灯る廊下の左右に、整然と並ぶ扉。多少の誤差はあるだろうが、等間隔に違いない。
それは、部屋の大きさが皆同一である証拠。
「何処も同じじゃないのか?俺なら手っ取り早く一番手前の空いている牢を選ぶが・・・・」
場所に何の意味がある。部屋の大きさは同じで、扉は皆廊下に面している。後はせいぜい廊下に並ぶ明かり取りから、近いかそうでないかくらいの差しかない。
だが、蒼はまた首を振る。
「いいえ、同じではありません。少なくとも此処が無人でない限り。貴方の行動では、非常に警戒しているとは言えません」
「・・・どういう意味だ?」
ちょっと憮然とするサイクレス。警戒出来ていないも何も、架空の犯罪者だ。それに、地下牢が無人でないなど承知の上。
サイクレスの不機嫌さが伝わったのか、蒼は僅かに肩を竦めて見せた。
「いいですか?ゼルダンさんはフレディスさんに対しこれ以上ない程警戒しています。それこそ他の受刑者を巻き込んで暴動を起こす、と思うくらいには」
確かに、ファーンが大人しく捕まったままでいるとはサイクレスも考えていない。これがもし一般牢ならば、確実に何か画策しているだろう。
だが、独房では如何にファーンが優秀でも、暴動を起こすのは無理だ。
そう、率直に言ってみる。それが、サイクレスを含む一般的な認識である。
しかし、長年ファーンを敵意の眼差しで見てきたゼルダンの見解は異なるようだ。
「ゼルダンさんの不安は、独房の分厚い壁と扉に囲まれていても同じなのです」
蒼の言葉に再び考えを巡らすサイクレス。
漠然として根拠の無い不安。それが独房に収容するだけでは消えないというのなら・・・・。
「・・・・・ゼルダンの不安は、受刑者との接触。・・・・接触、会話・・・・・。そうか、両隣を空室にするということか」
サイクレスの閃きに、暗闇の中に佇む蒼の口元が僅かに上向いた。
ゼルダンはファーンを目の敵にすると同時に、その地位と才能を相当妬み羨んでいる。
妬む、は、裏を返せば認めている、と同義。
すなわち、三拍子オヤジことゼルダンは、無意識下で、ファーンならば脱走も暴動も出来ると評価してしまっているのだ。
「そう、収容の目的は孤立。恐らく両隣だけではなく、牢内から声が伝わる範囲は全て空にされているはずです。向かい側も。つまり、フレディスさんの独房は他の受刑者からかなり分離していると考えられるのです。
まあ、その為に昨晩の逮捕劇で、フレディスさんの権力と、近衛連隊への影響力を最大限に活用したのですが・・・・・」
「えっ?」
予想もしていなかった発言に驚愕するサイクレス。
そのために? では蒼は、自分が牢に来ることを前提に、近衛連隊にフレディス副長の見送りをさせたというのか。
「・・・・」
もう絶句するしかない。
この人は本当にどこまで先を読んでいるのか。戦略を立てることが苦手な自分には全く想像もつかない。
驚愕するサイクレスに対し、蒼は事もなげだ。
「そんなに驚くことではありません。フレディスさん自身も考えていましたから。でなければ連行を観念した人間が、ああも人を小ばかにした態度に出るはずがありません。あれは明らかにゼルダンさんを煽るのが目的。余裕な態度を見せつけて、もしや策があるのではと勘繰らせる。また、ご自身の権力も誇示してましたから、私たちが手を回さなくても、ゼルダンさんの恐怖心を増幅させる為、近衛を利用するつもりだったのでしょう」
「・・・・では、副長も蒼殿と同じことを考えていたと言うのか?
だが、何故居場所を知らせる為にそこまでする必要がある?猜疑心や警戒心など、持たれずに越したことはないだろう」
サイクレスには二人の意図がわからない。
ゼルダンは、自分から見ても俗物的で取るに足らない小者だ。普通、ああいった手合いは油断させておくに限る。欺くにしてもその方が後々都合がよいもの。
それなのに、二人はあの男に焦点を宛てて策を練っている。
真意が読めない。
しかし、蒼はそんなサイクレスの疑問に直ぐには答えず、優雅に香炉を回しながら、ゆるゆると歩き出した。
立ち上る煙が音もなく、一番手前の扉の隙間から侵入する。
煙は扉に触れるとすぐ霧散するが、甘酸っぱく残る睡眠毒の香は先程と同じだ。
一拍の後、独房を覗いてみる蒼。
今度の受刑者は床に大の字になって倒れていた。
睡眠毒の効き目は問題なさそうである。
確認が完了すると、また同じ要領で煙を振り撒いていく蒼。
「おい、ちょっ、待て」
解決されない疑問を顔に張り付かせたままのサイクレスは、後をついて行くしかない。
そうしてしばらく歩くと、振り返りもせずに蒼はその形の良い唇を開いた。
「警戒心を抱く人間の行動は、2つのパターンが考えられます。一つは、厳重な監視をつけて行動を逐一監視観察すること。もう一つは、周囲の人間に害を及ぼすことを恐れ、外界から隔絶することです。そして今回のゼルダンさんは、後者となった。それこそが、私たちの目的と知らずに」
全ては、ファーンの独房を他の受刑者から遠ざける為の布石。
「・・・・・隔絶させることが目的。それは、副長の場所を把握する為?」
空き部屋に囲まれていれば嫌でも目立つ。毒操師の力なら潜入することも容易い。
ゼルダンはファーン捕縛の責任者であるが、しょせん即席の第四室長。大した権限はない。
地下牢への収容は審議会上層部の命令だろうから、他へ移送することは許されない。
となれば、孤立無援だけがゼルダンに取れる最良で最大の策だったのだ。
そう説明する蒼。
ファーンと蒼の二人にとって、ゼルダンの行動予測など、出来合いの物語を読む程に容易い。
「多少はその狙いもありますね。ですが、それだけの為にあの有能でないゼルダンさんを利用する労力は使いませんよ。その必要があったのです」
「必要?」
「ええ、隔絶してもらうことで、奇しくもゼルダンさんが危惧していることと同じ行動に出られます」
ゼルダンの危惧。
それはファーンが牢に居ながらにして他の受刑者と交流すること。
ファーンは暇を持て余したからといって、何気ない世間話をするような人間ではない。
あの人の会話には必ず目的がある。すなわち、会話そのものが策なのだ。
「ゼルダンさんは、フレディスさんが他人と交流することを恐れ、隔離対策を講じました。これにより、私たちとフレディスさんとの接触は容易に出来る。そして我々の会話は誰にも聞かれない。他でもない、ゼルダンさんの計らいによってね」
「・・・・・・・」
淡々と告げる蒼。まるで特別なことは何もない、当然の行動だと言わんばかりに。
だが、サイクレスは声もない。
全てはこの目的の為。捕縛が避けられないならば、状況を最大限に操作し利用する。
サイクレスにはもう、蒼の一挙手一投足全てに意味があるような気がしてならない。そしてそこで初めて、ファーンが真相の究明を蒼に託した理由がわかった気がした。
本来、面倒臭がりで働くことが大嫌いな蒼だが、一度引き受けた仕事は何があろうと完済する。決して疎かにしない。
実際、今の状況は毒薬と何の関係もないはずなのに、蒼の行動に躊躇はない。
サイクレスはファーンに聞かされるまで、毒操師蒼の存在を知りもしなかった。だが、ほんの数日伴に行動しただけで、蒼の頭脳明晰さを知るには十分だった。
これで毒操師として優秀でないはすがない。
そして、蒼がそうまでして暴こうとする真実。
サイクレスは直感した。
もはや自分一人が口をつぐめばよい話ではないと。
何もかもが白日の元に晒される日は、すぐそこまで来ている。
「・・・・・あなたには、もうわかっているのか?
・・・・全てが」
今まで人の口に上る話ではなかった。禁じられていたことは勿論、誰も関わりたいと思わなかったから。
だが、何もかも繋がっているかのように吸い寄せられていく。
兄が一体何をしたのか。そして事件の真相に何が隠されているのか。自分が知っていることだけではとても説明し切れない。
繰り返される十年前の事件という鍵。それをもっともよく知る人物の一人。
それが兄の親友、ファーン=フレディスであった。
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