〜第5章〜


[51]2007年7月20日 午前4時29分B


凍結した世界に、二人の影があった。
そこは、音楽室や図書室、美術室がある校舎別館の屋上であった。
銀盤のように滑る地面を歩く、少女。
その少女は紫のオーバーオールを着ていた。

「助かったよルネス君。ボクがこうして呪縛から解き放たれるのも、キミのおかげだからね」

少女が口を開いたが、聞こえた声は爽やかな好青年のようなもの。幼い少女の外見からはとても釣り合っていない。
少女は紅の瞳で少年を一瞥する。銀髪、そして青みがかった透明のブーツを履く少年を。


「ありがたいお言葉……」

ルネスは丁重に頭を下げる。

「さて……この隙間から入るみたいだけど、ふふふ……ボク達が入ることは、あまり歓迎されてないみたいだ」

少女がため息混じりで言うと

地面がひび割れる。
そこから伸びる無数の手。
三流のホラー映画みたいな光景。

だが二人は微動だにしない。

「汚いなあ……ここはこんなに寒くてキラキラしてて、美しいというのに」

少女は、泥水色の群れに、ゆっくり自分の手を伸ばす。

泥水の大群は、更にひび割れることで、徐々に頭、肩、腰、そして足を出す。
氷の中から出てきたとは思えない、泥人形の群集。見るだけで嫌悪の念を抱いてしまいそうだ。

少年は息を吐いた。
少女は嗤い、周囲の空気を細波のように微動させる。

無数の手が不規則にうねりを重ねるなか、二人の様子は異様に静か。

「ルネス君。この出来損ないを始末してくれるかな? 凍てついた青銅の校舎を彩るには些か礼儀を知らないようなのでね」

少女の口からはやはり、青年の声が響いた。

ルネスは右手を、おもむろに挙げた。
指を鳴らす。
ぱちん。
小さな音。

すると、ルネスの指先から青白い光が放たれ、拡散する。
泥の触手を射抜き、そこから血のように赤黒い液体を噴水のように吹き出した。
手先の指は痙攣し、中指だけがピクピク動いている。そのほかの手も例外なく蒸発を強制させられる。

少女はまだ嗤う。
あの少し太い手は、あの白銀の少年のものだろうか……。
あのやや小さな手は、あの眼鏡の少女のものだろうか……。
そしてあの、細い指の手は、あの……黒髪と外套を空へ流す玲瓏かつ華麗な少女のものだろうか。
オーバーオールの少女は血のように紅き瞳を、力つきた泥の手に視線を向ける。


あの時の……剣士の姿が目に浮かぶ。
戦姫にとっての最大の汚点。

オーバーオールの少女(の中にいる青年)は、あの時一種の快楽を覚えた。
使命を帯びた瞳。決意に満ちた瞳。復讐に燃える瞳。絶望から這いあがった瞳。その全てを彼女は持っている。
その彼女を、再起不能にするまで叩き落とし、二度と瞳が輝けなくするようにするのが……彼の嗜好である。

だから、笑いは止まらないのだ。

-----あれは清奈の手だ。

力尽きて敗北し、無残な姿で倒れ、手足を痙攣させている。

面白い。とても面白い。清奈のその姿が、脳に流れ込む。



オーバーオールの少女は、口元を歪め笑った。

―――――――――


置いてけぼりにされちゃった……。
でも、清奈、ひとりで行動するのは危ないってのに。

《安心してください。セイナは単独行動をするつもりではありません》
「そうなのか?」
《ええ。恐らくセイナは<単独で中に入ろうと見せかけて>いるだけです》
「見せかけ?」
《ネブラ、そして今回の相手は、セイナは単独行動を好むと思っています。その心理を逆手に取るのです》
「ということは……」
《ほら、フェルミから通信が入りましたよ。ユウの脳に直接伝達します》

すぐにテレパシーのように清奈の声が届いた。

「どうやら凍結しているのは、外部だけみたい。停電してて明かりが無いけど、通行に支障はないわ」
「じゃ、じゃあ僕はどうしたらいい?」
「……なに、私一人で先に向かえって言うの?」
「い、いやいやいや! そんなことないって! ダッシュでそっちに向かうから、待ってて」
「ああ、ちょっとまって。悠に少しやってほしいことがあるの」
「うん?なに?」
「よく聞くのよ。はじめに……」

―――――――――


ふふ。 悠っておもしろい。あの慌てふためきよう……。



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