暴走堕天使エンジェルキャリアー
[01]天使のゆりかご
雨空に教会の鐘の音が響いていた。
まばらな人影は皆顔を伏せ、その手には小さな聖書が握られていた。
その人影の中に、少年の姿があった。着馴れない正装姿の少年は、ただじっと正面の十字架を見つめていた。
少年は鬱屈した日々を過ごしていた。退屈な毎日、日常と云う名の惰性。
友達と呼べる仲間も無く、孤独に過ごす日々。
将来と云う保証の無い明日に怯え、過去と云う柵に鬱ぐ。少年の願いは、ただ今日と云う日が早く終わること、だった。
だが、長かった一日が終わりベッドに入っても、そこに安息は無かった。
少年は少し心を病んでいた。
過去の人間関係から人との繋がりを嫌い、極力他人と接さない生き方を選んだ。
自身の心を守る為に選んだそんな日々が、更に少年を鬱屈させている事に気付きながら。
少年の名は煤原九十九。
それは親からもらった名では無い。物心ついた頃から彼は、同い年くらいの少年少女、そして、年老いたシスターと暮らしていた。
そしてシスターが亡くなった時に、彼は他の者と離れ自立する道を選んだ。
それから数年が経ち、現在に至る。
某大国の経済が破綻して数年。大国に依存していたこの国の経済も危うい状況だった。
街は活気を失くし、割れた街灯の下は家も職も持たぬ者で溢れ、モラルを失った者達による犯罪が横行していた。
九十九は安い時給で生計を立てていた。このご時世、職があるだけまだマシだった。だが人付き合いが少ない彼には、少ない収入で充分だった。
その日も九十九は暗い地下鉄のホームを歩いていた。壁にはスプレーの落書き。少し前ならストリートアート等と評される事もあったらしいが、今となっては荒れた時代を象徴するものでしかない。
そしてその落書きを描いた者も、荒れた時代に生きている。
九十九は改札を出、外へと通じる階段へ向かう。
階段の壁には「座り込み、寝泊まり禁止」の掛け札。そしてその掛け札の前で寝転んでいる男。
九十九は目を合わさぬように、俯いて歩いていく。
階段を登りきる手前で、誰かが肩がぶつけてきた。
相手は若い男数人。これも時代なのだろう、見るからに柄の悪そうな男達だった。
「痛ぇな、コラ。」
男の一人が振り返り、九十九に口汚く言い放つ。九十九は振り返り一瞬だけ目を合わし、何も言わずにまた歩きだした。
「待てよ、コラ!」
男が九十九の襟首を掴む。九十九は右肘を男の脇腹に打ち込む。男は噎せ返り、その場にしゃがみ込んだ。
「てめぇ!」
直ぐさま男の仲間に囲まれる。多勢に無勢。だが九十九はそれすら無視し、男と男の間を通り過ぎようとした。
その九十九の喉元に、男の二の腕がめり込む。九十九は倒れ込み、喉を押さえて噎せていた。
そんな九十九に、男達は容赦なく蹴りを入れる。
誰も助けには来ない。階段に居た男も、面倒はごめんだとばかりにそそくさと逃げていく。
一通り殴り終えた男達は、九十九のポケットから財布を取り出した。
「やめろ…」
九十九は男の足を掴むも、その手を蹴り返されてしまう。
そんな九十九を見て男達は笑いながら姿を消していった。
九十九は暫く伏せったまま動かなかった。
やがて、痛みが少しずつ引いていく。足をぶるぶると震えさせながら、壁に寄りやっとの思いで立ち上がる。
「畜生…」
九十九は壁に背を付けたまま、その場にしゃがみ込んだ。
「痛ぇ…」
九十九は呆然としていた。だが、ここでふてくされていても何もならない。
九十九が立ち上がろうと床に手を突いた時、地面が轟音を立てて揺れた。
「のぁっ!?」
地下鉄の入り口が音を立てて崩れる。
終わった。
九十九はそう思った。それはネガティブな気持ちからでは無く、退屈で鬱屈な世界から解放される、そんな希望にも似た気持ちからだった。
やがて九十九の意識は遠退いていき、心地よい脱力感が体中に広がっていく。
だが、期待とは裏腹に九十九は意識を取り戻した。
瓦礫は九十九を避けて崩れていた。それが運が良いのか悪いのか、九十九には分からなかった。
九十九は瓦礫の隙間を這って地上を目指す。途中、露出した鉄筋で傷を負うも、なんとか地上へ出る事ができた。
たが目の前に広がる景色は、想像もしていなかった様相だった。
「何だよ、これ…」
空を覆っていたビルの大半は消失し、縦横無尽に渡された高速道路は崩れ落ち、夕時には早い空が真っ赤に燃えていた。
そして崩れたビルの陰から、巨大な四肢を持つ「何か」が現れた。
その「何か」は瓦礫を踏み荒らしながら、市街地へ向かっていく。さながら巨大ヒーロー特撮の敵役のように。
そこに、機体側面に赤い丸印を携えたヘリが数機現れた。自衛軍の攻撃ヘリである。
鼻先の機関銃とミサイルで「何か」を攻撃するも、「何か」は全く怯まない。
そして、「何か」の腕(らしきもの)が一機のヘリを叩き墜とす。墜とされたヘリは黒煙を上げながら、九十九の居る方向へ向かってくる。
「マジかよ…」
ヘリは九十九の真正面に墜落し、爆発した。その爆発で地面が崩れ、九十九は再び地下へ落ちていく。
「何なんだよ…畜生…」
瓦礫が楯となって直接爆炎は喰らわなかったものの、九十九の身体はボロボロだった。
落ちた先は地下鉄の線路の上。だが、普段乗り慣れた地下鉄の線路より横幅が広い、何か巨大な土木機械や荷物を運ぶような、見たことも無い幹線だった。
九十九は瓦礫の奥に非常灯の明かりを見つけた。九十九はのろのろと明かりを目指し瓦礫の山を歩いていく。
地上ではまだ軍と「何か」の攻防が続いているらしく、地下にはズシンズシンと轟音が響いていた。
非常灯の下に辿り着いた九十九は、にわかには信じられない物を見つける。
僅かな非常灯が照らすそこには、地上に居た「何か」に似た巨大な人形が、輸送用の貨物車の上に横たわっていた。
「これ…上に居たアレか…?」
そこに一際大きな振動が起き、天井から大小のコンクリ片がぼろぼろと落ちてくる。
九十九は生物の本能に従い、人形の陰に身を隠す。
更に振動が伝わり、非常灯が落下してきた。九十九は頭を抱え縮こまっていた。
死にたくない。
生物としての本能がそう悲鳴を上げる。矛盾した感情に気付く余裕もあるはずも無く、九十九は恐怖にボロボロと涙をこぼす。
ドクン。
どこからか鼓動が聞こえた。そして暖かく心地よい感覚が九十九を包む。
軍のヘリは一機を残し、全て墜とされていた。そして最後の一機も、「何か」に墜とされてしまった。
再び進行を開始した「何か」の足下が、突然轟音を上げて粉塵を吹いた。
そしてそこから、地下にあった人形が現れる。
有機的な3次曲線と白い肌を持つそれは、颯爽と「何か」の前に立ちはだかる。
「死にたくない…死にたくないんだっ!」
九十九は崩壊した景色を写すモニターに囲まれ、真っ直ぐに「何か」を―
「自身の生命を脅かす敵」を睨みつけていた。
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