第五章
[11]罠I
「やっと出てきたな、ファーン=フレディス近衛連隊副隊長殿」
ニヤリと笑うゼルダン審議会弾劾部第四室長。
夜明けも近くなった時刻、宿舎を取り囲む国家警備軍のただ中、ファーンは一人足を踏み出した。
「悪あがきをしたところで貴様は終わりだ、フレディス君。貴公はジュセフ皇女共々消える運命なのだよ」
チビでデブで帽子の下はハゲなゼルダンは、似合わない長い上衣を夜風になびかせ、高らかに笑う。
ひしゃげて歪んだ顔は愉悦に浸り、完全に酔っている。
「醜いな・・・・・・」
ぽつり、と呟くファーン。
「んん?」
ゼルダンは予想に反して平然とした態度のファーンに怪訝な表情を向ける。
もっとみっともなく怯えた様子を想像していたのに、何だか余裕に見える。第四室長はご不満が募った。
「貴様・・・・なんだ?その態度は。・・・・・そうか、状況がわかっていないのだな」
この突然の包囲。無理もない。
ファーンの反応の薄さを、恐怖の為の放心と受け取り、悦に入るゼルダン。
赤旗の意味は重いが、扱う人間の脳は何処までも軽い。
「第四室長・・・・お粗末な役職だ。私を捕らえる為に急遽創設したか。
借りて来なければ兵もないとは、陣容は貴公だけか?」
そう言ったファーンの表情は、松明の下でもそれとわかるほど蔑んでいる。
効果的な間の作り方も見事だ。
「貴様ぁ!」
ゼルダン第四室長、余裕の笑顔が一瞬にして消え、みるみるうちに松明よりも赤くなった。
「おおっ!見事な猿芸」
パチパチと拍手し、更に煽るファーン副長。
「このおおおぉぉ」
ゼルダン室長、怒りのあまりブルブルと震え出す。
と、その時、夜風が一陣全員の間を吹き抜けた。
ヒョォォォーーい
「!」
「!!」
「!!!!!!!!!」
吹き飛ばされ、月光に照らされる・・・・・・ゼルダン第四室長のお帽子。
空に高く高く舞い上がり、宿舎の屋根まで飛んでいった。
「・・・」
「・・・・・」
「・・・・・・・・・」
沈黙。
予期せぬ出来事に挑発も忘れるファーン。
あまりの出来事に怒りも吹っ飛び、思考が止まるゼルダン。
ハゲはわかっていたがあまりのタイミングに、笑いたいのに立場上堪えねばならず、究極の腹筋鍛錬を余儀なくされる国家警備兵たち。
各々事情は様々だが、重い沈黙が宿舎を包む。
その全員の足下、城内を縦横無尽に走る地下通路では、蒼とサイクレスが息を潜めて様子を窺っていた。
「・・・・・静かになったな」
怪訝な顔のサイクレス。
「ええ、引き上げたわけではなさそうですが」
不思議そうに上を向く蒼。
沈黙の原因が、月光に輝くゼルダンのハゲなどとは知るべくもない二人は、突然の沈黙に新たな事態かと耳を澄ませる。
と、
「ぶはははははっ!!!」
「!!?」
「はははははははは」
突如、沈黙を破って高らかに響く笑い声。
かなりの爆笑。
「・・・・・・副長?」
サイクレスはその異常とも言える笑い声が副長とわかり、目を見開く。
暗闇でよくわからないが、口もポカンと開いている。
それくらいファーンが笑うことは珍しい。
冷笑や皮肉な笑みは何度も見ている。だが爆笑など記憶にない。
極力感情を面に出さない、それがファーン=フレディスという人物なのだ。
「・・・・・・・・」
かなり長い間、ファーンは笑っていた。
体を曲げ肩で息をし、時折呼吸がおかしくなるのか、ひっひっと奇妙な息を漏らす。
あまりの様子に周囲も呆気に取られ、当のゼルダンですら黙ったままだ。
もしや副長は精神疲労が祟って、錯乱されたのか?
サイクレスがそう心配になるほど全力な笑い声が、ふいに止まる。
始まったときと同じくらいに唐突だ。
そして再び静寂が訪れた。しかし、今回は長くない。
「あー、笑った」
ファーンは抑揚のない棒読みな台詞とともに、くの字に近い体勢の身体をゆっくり起こした。
その顔は爆笑していたとは思えない程、平静だ。
「相変わらず無様だな、ゼルダン。しかし、お陰で気が楽になった」
近衛連隊副隊長ファーン=フレディス捕縛という輝かしい瞬間、格好良く決める予行練習までしていたその大事な時を、己のハゲで台無しにしたゼルダン第四室長は、何も言えないままだったが、その言葉に我に返る。
「なっ」
「貴公が役に立つ日が来るとは。今のですっかり吹っ切れた。
じゃ、さっさと連行してもらおうか」
何だかすっきりした顔のファーンはそう言うと、傍らの兵士が持っていた捕縛錠を勝手に奪い取り、カシャンカシャンと自分の手首に嵌める。
「おいっ」
ファーンの全く連行される人間らしからぬ行動に、ハゲ衝撃から立ち直るゼルダン。
「何だ? 私を捕まえるんだろう。それとも取り消しするのか?」
しゃあしゃあと言い放つ。
また血が上って来たのか、赤い顔で叫ぶゼルダン。
「まだ罪状の読み上げを行っておらんっ。貴様何の罪かわかっているのか?」
そして、動揺と怒りのあまり口を滑らせた。
ファーンは唇の端を吊り上げる。
冷笑、いつもの顔だ。
「ほう、私の罪をわざわざ教えてくれるのか? 普通、犯罪者なら自分の罪くらいわかっている筈だが?
それが本当に私の罪ならな」
「うっ」
ファーンの突っ込みに、呆れるほど分かり易く反応するゼルダン。
「それとも私の知らないところで起こったのか? そしてそれが私の罪状だと貴公は言うのか?」
「そんな、わけ・・・」
弱々なゼルダン。優位な筈なのに、逆に追い込まれている。
「流石な方ですね、フレディス副長殿は」
あっという間に形勢逆転。周囲を自分のペースに持っていった。しかもよくわからない攻撃で。
「貴方が丸め込まれたのもわかります。まあ貴方の場合、副長殿じゃなくとも乗ってしまったでしょうが」
上の状況はよくわからないが、ファーンという男抜け目がない。
これなら例え牢に入っても心配はなさそうだ。
「あれだけ強ければ、薬にも簡単には屈しないでしょう」
「蒼殿?何を言って・・・・・・」
薬?
しかし、蒼は天井から漏れる松明の灯りを見つめたまま応えない。
「・・・・・そ」
「行きましょう、サイクレスさん。ここにいても何も出来ません。遣らねばならないことは山ほどあります」
再度尋ねようとするサイクレスに背を向け、蒼は足音を立てないよう気をつけながら、来た道を戻っていく。
事態はどんどん動いている。
相手の狙いはまだわからない。だが、今度はこちらから仕掛ける番だった。
暗闇に蒼の黄金の左目が不敵に輝いた。
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