第五章
[07]罠E
「副長っ!これ以上は抑えられません。扉が崩壊しますっ」
宿舎の扉を開けようとぶつかってくる外からの力に、数十人の隊員たちが必死に支える。だが、いくら頑丈とはいえ限界は近い。扉自体が二つに割れるのは時間の問題だった。
部下たちの悲鳴の中、焦る気持ちを抑えながらファーンは目の前の毒操師と対峙する。
厚く降りた前髪で殆どわからない顔は、ファーンを真っ直ぐ見据えていた。
得体の知れない人物。そこに存在しているという以外、何も情報がない。だが、醸し出す雰囲気に不思議と裏は感じない。
恐らくそれは、この毒操師が何も気負っていないから。
何の含みも思惑もない等身大の姿が、近衛連隊一用心深く頭の切れるファーンの警戒心を緩める。
「あなたを待っていた、毒操師殿。私は近衛連隊副隊長、ファーン=フレディス。私が依頼主だ」
「・・・・・毒薬の製造、ですね」
確かめる口調。ファーンと対峙している蒼は、騒ぎなど聞こえていないかのように静かな空気を纏っている。
一方、隣のサイクレスは毒薬の発言に慌てて周囲を見回す。
だが幸いにして警備軍との競り合いに気を取られ、誰も聞いていなかった。
「暗殺を計画されたとか。でも、どうやら失敗に終わりそうですね」
地下道を通ってきたサイクレスと蒼にも外の三拍子オヤジこと、審議会弾劾部第四室長ゼルダンの話は聞こえていた。
彼らの目的はファーンとサイクレスを捕らえること。
となれば、例え暗殺が成功しても今度は配下に掛けられた容疑が残り、ジュセフ皇女の立場が完全に回復することはない。かといって、ここで逃亡を図れば疑惑を重ねるだけだ。
今の状況では暗殺など全く無意味になってしまったのだ。
「殺人の容疑は計画されたもの。殺されたのは恐らくジュセフ皇女に対立する一派の重鎮・・・」
蒼はいつもの口調だ。
ファーンのように感情を抑えて平静を装っているのでもない。
相手の動きが見えてきたことで逆に頭が冴え、蒼は状況を冷静に分析していた。
ジュセフ皇女に対抗する派閥・・・・・聖銀鎖騎士団を持つ皇太子リャドルに皇妃が産んだ他の二人の皇子。国境警備軍が支持する騎馬民族の子ハーディス。
いずれも派閥は一つではなく一枚岩でもない。
その中で重鎮と言っても様々だ。
「あなたが計画した人物である可能性は?」
慌ただしい緊迫した空気の中、ファーンも目まぐるしく思考を働かせる。
「・・・・・その可能性はない。私の計画が他に漏れることはないし、誰にも予期できない」
キッパリと言い切る。
顎に手を当てて、俯き加減になる蒼の形のよい唇が独り言めいた呟きになる。
「となれば・・・・・・あなた自身を捕らえることが目的なのですね。
恐らくサイクレスさんの方はついで・・・・・・あなたは彼の素姓も知っているようですし」
ファーンを見上げた蒼の前髪の隙間、見たこともない金色の光が閃いた気がした。
妙な迫力と雰囲気に飲まれるファーン。
蒼の方はまた考えに没頭していく。
「この策略を練っている策士は、サイクレスさんが私の元を訪れたことを知っています。殺人には恐らく毒薬が持ち出されたことでしょう。
そしてあなたを捕らえる目的は、サイクレスさんという有益な駒を利用できる人物を排除したいから」
「俺を?なぜ」
自分が中心にあるような言い方をされ、サイクレスは理解出来ない顔をする。
その様子に、蒼はため息をつく。
「貴方は自分の立場が分からなさすぎです。私がこの場にいるのは全て貴方のお陰ですよ?」
「それは・・・・・」
口ごもるサイクレス。
水路での道々に語った自分の出生。だが捨てたと認識している名を持ち出されても、困惑するばかり。
「もう関係ない。今更蒸し返す者などいやしないのだから」
「そう思っているのは恐らく貴方だけです。
灰は貴方のことを知っていた・・・・・今更な話を彼女が持ち出すわけがない。今でも十分通用する話題だからこそ、灰は敢えて貴方をああ呼んだのです」
サイクレス・ティス=ヘーゲル。サイクレスが捨てたというティスの姓。
灰はサイクレスに思い出させる為に名を口に出したのだ。
「私を嵌める罠。毒殺。サイクレスの持つ力。
まるで不揃いで断片的なパズルのようだ」
蒼とサイクレスのやり取りで事情を察したファーンは、上着の隠しから何かを取り出した。
「これをあなたに託す。毒操師殿。私の計画もジュセフ隊長と緋殿の嫌疑も、あなたなら解き明かせるだろう」
ファーンが差し出したのは小さな鍵。先程閉めた、執務机の引き出しの鍵だ。
「私は容疑を掛けられている以上、逃亡すれば連隊長の立場を悪化させるだけ。サイクレス、君は帰還を確認されていない。その頭の中の地図があれば逃亡は容易い筈だ。私が出て行って時間を稼ぐ間に、毒操師殿と逃げろ」
ファーンは決意の表情を浮かべ、二人を見やる。
一方サイクレスはその言葉に激しく動揺する。
「そんな、副長。冤罪を被るつもりですかっ。でしたら私が行きます。計画を立てられた副長が居なくなっては、ジュセフ様はどうなるのですか」
食い下がるサイクレス。
しかしファーンは頑として譲らない。
「君という力、今度はその毒操師殿が使うことが出来る。今、力事態を無くすわけにはいかないのだ」
「私はまだ、あなたの依頼を引き受けるとは言っていませんよ。
副隊長殿」
宿舎の内と外で兵たちの激しい攻防が繰り広げられている中、もはや猶予はない。だが、うやむやのままに依頼を押し付けられる訳にはいかなかった。
蒼はあくまで契約を重視する。
「蒼殿、このような事態にあなたはっ」
責める口調のサイクレス。
「契約は毒操師を召喚する為に必要なのです。私たちは私心で動くことを禁じられています」
蒼の見えない瞳に見つめられたファーンは、その切れ長の瞼を閉じる。
「毒薬の依頼は取り消す。私はあなたに、この馬鹿げた騒ぎを止めて欲しい」
静かな口調だった。
バキーーーッ
「副長ーーー!!」
扉が二つに割れる音が響き渡った。
「・・・・・・・」
蒼は溜め息をついた。
「すっかりドツボにハマりましたね。私」
了承の合図だった。
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