第三章 迷い〜そして戦場へ〜
[03]第三九話
科学省の近くの公園に、二人の男女がいた。
その二人は木漏れ日が降り注ぐ森の中を歩いている。
「如月大臣から事情を聞きました」
「……………」
ネルフェニビアが話しかけても如月は無言で前を向いている。
その顔はひどく沈鬱なもので、普段から平静を装っている彼からは想像できないものだった。
「お友達だったんですね」
ネルフェニビアがそう言った時、如月は不意に立ち止まった。
「………俺は、あいつを傷つけたくなかった。なのに、あいつを殺しかけた。それなのに……!」
すぐそばにあった木の幹を思い切り拳で叩きつけて如月は言った。
「お友達を傷つけてしまうのは苦しいことです。ですが、あの状況ではそれしかありませんでした」
「違う。そうじゃない」
ネルフェニビアの、如月の心情を配慮した言葉はいとも簡単に否定された。
彼女はそれに何の変化も見せる事なく、如月の次の言葉を待っている。
「俺は、ただ昔のようにはなりたくないんだ………」
幹に殴った腕を延ばしたまま身体を支えるような態勢をとりながら、如月は言った。
もしかしたら、私が傷つけているのかもしれない。
ネルフェニビアは、心の傷を抉る覚悟で尋ねた。
「その話、聞いてもいいでしょうか?」
◇◆◇◆◇◆◇◆
昔、一人の少年がいた。
彼を挟むように、父親と母親がいた。
誰がどう見ても幸せな家庭だった。
少年の両親はある研究所に勤務する研究員で、父親が研究チームの班長だった。
そしてある日。
両親が夜遅く、リビングで真剣な雰囲気の中、何かを話し合っていた。
「お前に、話しておきたい事があるんだ」
「………もしかして、一昨日の?」
「ああ。詳しくは言えないが、例の政府系組織の件だ」
母親の不安気な問いに、父親はひどく深刻な顔をして言った。
「やっぱりあの噂はそうなのね」
「噂? それは一体何なんだ?」
父親はソファから身を乗り出して尋ねた。
母親は呆れたように溜め息をついた。
「本っ当にあなたは疎いのね。それだから耀も疎いのよ」
「ぐ……。耀をダシにして批判するのは止めないか? あいつが可哀相だろう?」
母親の地味に心を抉る攻撃に、父親は嫌な顔をして抗議した。
しかし、そんな抗議は軽く無視されさらに槍が降り注ぐ。
「せめてあの子は恋心に気付いてくれるようになればいいのだけれど」
「……………」
父親は、完敗したと言わんばかりにうなだれた。
何か暗いものが彼の周囲に漂っているのは、部屋の窓がカーテンで締め切られ、明かりさえもがついていないからだろう。
「何してるの、あなた?」
父親が心の中で泣いている事を知っているのか分からないが、母親は冷めた口調で言い、真面目な口調に切り替えた。
「噂っていうのは、次元世界とその世界の情勢不安についてなのよ」
「そんな噂が……? それはマズいな」
「あくまでも噂よ。そんなに過敏に反応する必要はないはずよ」
「いや、この問題ばかりは違う。次元世界の存在が明るみに出れば、この世界は混乱する。しかも向こうは高度な文明だが社会情勢が不安定だ。粛清が起こるかもしれない」
「粛清、ねえ」
母親は少し小難しい表情をして考え事をしているようだった。
父親は湯飲み茶碗にいれたお茶を飲み干した。
それはとてもぬるかった。
「とにかく、噂は抑えてくれないか?」
「分かったわ」
母親はしっかりと頷くと、
「それで、その組織の用事は何だったの?」
「…………」
父親は急に無言になり、ガラス張りの机に目線を向けた。
母親は何も言わず、父親の言葉を待っている。
やがて父親はゆっくりと口を開いた。
「次元世界との戦いが起きた場合に備えての、生体兵器開発だ」
直後、母親の息を飲む声が聞こえた。
「それは……!」
「分かっている。倫理上の問題から、国際法で禁じられているのは分かっている。だが……!」
「………知ったからには、殺されてしまうのね」
「ああ。拒否すればな」
「じゃあどうするつもりなの?」
「自分だけの手が汚れるのならそれで構わないさ」
「でも、耀は? あの子はどうなるの? 心臓病で倒れて、まだ昏睡状態なのよ?」
「………それは、何とかする」
「あなたがそう言うのなら、信じるわ」
「すまないな」
再び両者の間に長い沈黙が流れる。
先に口を開いたのは母親だった。
「製造の件だけど、法の穴を突くしかないわね」
「生体化学兵器に関する禁止条約の抜け穴?」
「そうよ。倫理の問題は残るけど、公表されなければ良い方法」
「………人間の、遺伝子操作か?」
「あら? 知ってたのね」
「提唱者は君だからな。しかし、そこまでの技術はないぞ」
「大丈夫よ。卵子は私のを使えばいいわ。それに、人工子宮はプロトタイプが完成してる」
「だが……!」
「諦めなさいよ。世界を救う事と自分達の身を守る事を両立するにはこれしかないのよ」
「分かった。君がそう言うなら」
「あなた、愛してるわ」
「ああ。わたしもだ」
二つの影が寄り添って、一つになった。
後日、病院から危篤状態との連絡が入った。
だが、力を尽くした治療の甲斐なく、逝ってしまった。
それから二年後、研究所で一つの生命が誕生した。
母親と父親は、かねてから決めていた名前、すなわち耀と名付けた。
さらに数年後。
運命の日が来るまで、秘密は守られてきた。
それまでは、何の脅威もない平穏な日々が続いていた。
深夜、呼び鈴が鳴らされたその夜から、狂いは始まった。
謎の集団が突如押し寄せて来たのだ。
母親は地下倉庫に自分の息子を隠すと、父親とともに抵抗を図った。
だが、多勢に無勢。しかも相手は暗殺のプロ。
一瞬の隙を突かれ、一瞬でその場に崩れた。
謎の集団は家に火をつけると、どこかへ消えた。
その様子の一部始終を、少年は見ていた。
そして、そこで悟ったのだ。
自分の存在そのものが、両親を傷つけてしまったのだと。
その十字架は命が尽きるまで重荷として背負うものだと。
数時間後、消防による決死の消火活動で鎮火した。
少年は、如月慶喜という男に引き取られたが、少年の安否は世間に公にはされなかった。
両親は、遺体は発見されず行方不明として警察が捜索を始めた。
そして少年は、他人を傷つけてしまう事をひどく恐れ、自分がどんな状況であろうと決して傷つけはしないと胸に誓った。
その目には、母親と父親を亡くしてしまった事に対する後悔と懺悔の涙の跡が残っていた。
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