序章・・
[02]毒操師
視界から群青の布が取り除かれると、長机の向こうに人影が現れていた。
勿論、物音一つしていない。忽然と湧いたかのようだ。
青年は何だか化かされた気分になる。
しかし人と言っても人相も性別も年齢もまるでわからない。
それはほとんど布の塊だった。
全身を頭巾と一体化した簡素な形の外套がすっぽり包み、完全に着膨れている。かろうじでわかるのは、男性にしては少し小柄で、女性と言うには少々背の高い身長くらいだろう。
とは言っても、たっぷりした布で手も足も見えず、俯いているのか頭巾の影で顔もわからない。
もっさりとはみ出している前髪は艶の少ない黒髪だが、染めているのか生まれつきなのか金の筋が幾本も混じっている。
外套の色は群青。
まるで先程視界を覆った布が人の形をとったようだ。
「あなたが、毒操師、蒼殿か?」
青年は警戒を解かずに尋ねる。しかしもう懐の長針には触れていない。
生まれついての頭髪以外、全身黒ずくめな青年と、群青の塊が対峙する。
訪問客と家の主である二人だが、どちらも室内の長閑かな雰囲気に全くそぐわない。
「やれやれ、本当に困ったお客さんですね」
群青の人物は呆れたようにまた溜め息をつく。
淡々とした口調は、天井から降ってきたものと同じだ。だが、先程に比べ格段に響きがよい。
天井からの声は場所が特定できず、どこか曖昧だったのに比べ、明らかに目の前の人物から発せられているのがわかる。
声音は高低があまりはっきりしない。女性のように高くないが男性ほど低くもない。それでいて男性にも女性にも思える不思議な響きだ。
例えるなら、初期の変声期を終えた少年のといった感じだろうか。
「こんな物騒な物を、私の家に持ち込まないで頂きたいですね」
塊が不意に小さくなる。床に広がる布に屈んで手を伸ばしたのだ。
布の袖から腕が覗く。
青白く痩せた腕。血管が透けて見える。だが華奢と言うほどでもなく、無駄な肉が無く引き締まっている。
長い指が、布の固まりから先程青年が放った長針をつまみ出す。
「麻痺毒・・・・」
「!!」
つまんだ針をじっと見て呟く主。動揺する青年。
もっとも頭巾と前髪で全く表情が見えない為、本当に見えているのか怪しいものだが。
つと主が袖からもう一方の腕を出した。指先に手の平に修まるような茶色の小さな瓶を掴んでいる。
両手に長針と瓶を手にしたまま長机に向かう主。
干物の入ったすり鉢を脇へ退かし、傍らに置かれた透明な硝子製の深皿の中に長針を立てかけた。
「何を・・・・・」
無臭で無色透明の麻酔毒を見抜かれた青年の瞳が、動揺に激しく揺れる。
例え毒操師でも見ただけではわからないと言われていたのに・・・・・。
しかしそんな青年の内心などまるで気にする様子もなく、淡々黙々と作業を続ける主。
小瓶には栓がされている。それを空いた手で摘むように抜くと、深皿の中の長針に向かって静かに瓶を傾けた。
「!」
小瓶から流れたのは透明な液体。
しかし針に触れた瞬間、一瞬にして鮮やかな赤へと変貌を遂げた。
「・・・・・なるほど。緋、が作ったものですか」
「!!」
深皿の底、紅玉を溶かし込んだような鮮やかな液体を眺め、ぽつりと呟く。態度も声色も特に変化はない。
しかし、青年の方は目を見開き顔色を変えた。
「な、何を」
動揺を隠すため口を開きかけるが、深皿を眺める主はやはり気にもとめない。
「私たち毒操師には商売を営むにあたって、いくつかの決まり事があるんです」
淡々と説明をし始めた主は、話しながら深皿をそのままに、今度は壁の棚から瓶を一つ手に取る。
壁一面の瓶はどれも茶色い硝子製で、表面に何も目印がない。青年には皆同じにしか見えない。勿論、中身などわかろうはずもない。
「いわゆる製造責任というやつです」
瓶を長机に置くと、今度は机の内側から蓋のない透明な広口瓶を取り出した。
どうやら内側が棚になっているらしい。
「これもその一つ。扱う商品が商品だけに、製造者の特定が必要なんです」
先程の小瓶を置くと、深皿に目をやる。
深皿に入れられた針の先からは染み出すように赤い色が流れ、底の液体を色濃くしている。
「このように、一見無色なものも、我々毒操師だけが調合できる薬液で必ず染色されています」
主は棚から取り出した瓶の栓を抜く。それを左手に持ち、右手に傍らの小瓶を取った。
「色は称号。そして毒操師の証です。色を持たない者は単なる毒屋でしかない」
ゆっくりと左手の瓶を傾ける。
透明な液体が糸のように細く流れ、広口瓶に注がれた。
「私は毒操師、蒼(そう)。青い毒薬を扱うものです」
右手の小瓶からも先程と同じく透明な液体が流れる。
二つの液体は流れを一つにした瞬間、劇的な変化を遂げた。
交わった二つの液体が、目も覚めるような青色に変化したのである。
まるで魔法のような鮮やかさ。広口瓶の中は透明感のある青色で充たされていく。
明るい室内の柔らかな日差しに反射する青い流れが、まるで本物の宝石のようにキラキラと輝いていた。
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