第43章


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<――さん、――さん! 気を――に、落ち着いて! これは、まさか――>
 狂気に引きずり込まれゆく意識の中で、懸命に俺に声をかける彼女の姿が目に入った。
 ああ、そうだ、彼女だけでもここから逃がさなければ。朦朧とする意思に置かれながらも
そう思い立って俺はふらふらと彼女に向かって手を伸ばした。
<……! やめて! ――アーク! この――は、敵なんかじゃ――!>
 急にハッとした様子で彼女は悲痛な叫び声を上げて何かを止めようとした。
しかしその声は届かず、後方からの風を切る音と同時に俺の背に深々と鋭い痛みが走った。
一瞬で全身の力が抜けていくのを感じ、俺は前のめりに倒れ込む。その瞬間、
血と腐肉に覆われたおぞましい世界は霧散した。
――俺が見ていた恐ろしい光景は全て幻、作り出された幻影だったんだ。
とあるポケモンの手によってね。
 背からだくだくと何かが流れ落ちていく感覚と共に、意識はどんどんと薄れていった。
ぼやける視界の先で、黒い毛並みをした人間程の大きさもある二足歩行の獣が
真紅の長い鬣を靡かせながら、彼女に素早く駆け寄った。
そして、獣は何か気遣うような言葉を掛けながら彼女に手を差し出す。
彼女はそれを悲憤した様子で払い除け、涙をぼろぼろと零しながら俺の傍にへたり込んだ。
 その光景を最後に、俺の視界と意識は完全に暗闇へと堕ちていった。

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