第三章 迷い〜そして戦場へ〜
[12]第四八話
二十年前―――――
上穂自然公園に二人の男女がいた。
一人はマティルダという女性で、もう一人はベルクという男性だった。
どちらも二十代そこそこの外見だが、ベルクは樹の幹に背を預け、血の気の失せた顔をしている。
「ベルク、しっかりして! もう誰にも狙われない場所に来たのよ?」
「そう、か……。がはっ…!」
「ベルク!」
マティルダは、愛する彼が口から血を吐いた事に、悲鳴じみた声を上げた。
「だい、じょうぶだ……」
ベルクは荒い息遣いでマティルダの肩を抑えると、天を仰いだ。
緑に囲まれた世界から見上げる空は、いつもに増して青く澄んでいる。
さっきまで身体を苦しめて痛みは、なぜかゆっくりとひいていた。
きっと……自分が戦いに身を投じた時から感じていたものが近付いているのだろう。
初めの頃は、それは恐ろしく冷たい、残忍なものにしか見えなかった。
だが今は、それがとても当たり前のもので、自身の道の最終地点なのだと感じられる。
そして、なぜかこの胸は満ち足りていた。
ただ、唯一気掛かりなのは、最愛の人だけだ。
「マテ、ィルダ……」
「はい……!」
「そろそろ、皆のもとへ逝く時が来た、ようだ……。最後に、君に言いたい事が…ガハッ! ゴホッ!」
咳き込むと同時に、大量の血がベルクの胸元に飛び散る。
さらに飛散した血はマティルダを赤く汚した。
「もう、何も言わないで! 私が助けるから、じっとして!」
契りを交した相手がいなくなる事に恐怖を覚え、完全に混乱したマティルダは半狂乱に首を振った。
ベルクはそんな彼女の肩に手を置いて、こう言った。
「生きるんだ……。苦しみに耐えて、悲しみに耐えて、皆を……希望を守るんだ」
「ベルク……!」
「ああ、マティルダ……」
彼女の肩に置かれた手は、ゆっくりとその頬を撫でた。
すくいとられる血と涙。
ベルクは弱々しく笑った。
「君の、笑顔が…見たかっ………」
ゆっくりと腕が垂れ下がり、目が静かに閉じると同時に地面に落ちた。
「そんな…………ベルクーーーーーーー!」
深い悲しみの叫びが、森に響いた。
それからどれくらい経っただろうか。
愛する人の死に直面し、恐怖と悲しみ、絶望の縁に立たされた彼女はベルクの手を胸の上で結び、ベルクが以前から愛用していた両刃の剣を手に取った。
目を閉じ、剣の切っ先を喉元に突き付ける。
そして、腕を少し動かすだけで意識は消える――――はずだった。
「馬鹿者がっ!」
男の鋭い声とともに手にしていた剣が空中を舞った。
剣は柔らかい地面に深く突き刺さり、マティルダは声の主に容赦なく頬を叩かれた。
「何をしている! お前の愛すべき者は何と言った!」
男の姿は、目から溢れる涙が邪魔をして見えない。
自分の願いが遂げられなかったマティルダは地面に突っ伏して喚いた。
「なぜ私を置いて逝くの? どうしてなのベルク!」
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