第八章
[07]隠蔽E
「・・・・・兄の遺体が発見されたのは、俺が教えた地下通路の出入口付近だった。扉が閉ざされていた為、皇城の者たちには気付かれていないが、兄が通路を使用したことは明白だった」
自責の念に囚われるサイクレスの声には、深い後悔の色が滲んでいる。
顔を見ずとも、眉間に深い皺が刻まれていることは容易に想像できた。
「・・・・・決して漏らしてならない秘密、そう母に教えられていた。にもかかわらず、俺は禁を破った。兄を殺したのは俺も同然なのだ」
余りに必死で真剣だった兄。その願いを断ることなど出来るはずもない。
いや、そもそもそんなこと考えもしなかった。
尊敬する兄に一人前の男として扱われ、嬉しくて有頂天だったのだ。また期待されていると思えばこそ、兄の役に立ちたかった。
何と未熟で浅はかな、子供の考えなのだろう。
個人的な感情に流されて国家機密を軽んじたのだ。何故秘められねばならないのか、その意味さえ考えもせずに。
「・・・・・目に焼き付いているのは、周囲を朱に染めて倒れている兄の赤黒い顔と、傍らで膝をつき、呆然とする母の白い顔。俺は・・・・・自分の犯した罪が途方もなく恐ろしかった」
頸動脈を切られていた兄クラウドの首からは、きっと勢いよく血が噴き出したのだろう。
憩いの場の至る所に、まるで赤い雨が降ったかのような血痕が飛び散り。澄んだ水を湛えていた中央の池は、見るも無惨な血色に染め抜かれていた。
視界を埋め尽くす紅に、朝の清涼な空気を塗り替える、濃い血臭。
今でも鮮明に思い出されるその光景。そしてその度に沸き上がる絶望感に苛まれる。
「俺は自分の罪を皇王陛下に告白しようとした。結果はどうあれ、重大な犯罪を犯したことは事実。そして何より、俺自身がのしかかる罪の重さに耐えられなかった・・・・」
子供のしたこと、では済ませられない大罪。それを告白することで、罰を受けたかったのかもしれない。
「・・・・・・」
サイクレスの話を黙って聞いている蒼。隠されていない端正な顔には表情がなく、その思考を読み取ることは難しい。
だが、腕を組み顎に手をあてている様は、何か考え込んでいるようだ。
「・・・・確かに、地下通路の秘密は国の命運が掛かっていると言っても過言ではありません。しかし、貴方の兄上がアドルフ王を救ったこともまた事実。となれば、貴方が告白したところで罪を咎められるはずもないでしょう」
今日、エナルがこうして存在しているのは、アドルフが皇王として君臨し続けているからだ。
国の守護者アドルフの存在は、国内外に大きな影響力がある。
そして十年前のエナルは皇位継承紛争以前。アドルフが精力的に国家運営を行っていた時代である。
より一層、その存在は大きい。
「貴方の兄上の行いは国を救いました。そして地下通路の秘密は貴方が言うように国家機密。一般には公開されていない。となれば、尚のこと罰するなど出来ないでしょう」
国の犯罪を取り仕切るのは審議会だ。
すべての人間に平等な裁きを行う国の司法機関であり、その水準は大陸全土に誇れるほど。
だが、現在の審議会は、皇位継承紛争の影響で貴族連の巣窟となってしまい、一体どれほど正当に審議が成されているのかはわからない。
しかし、それより以前は全ての罪が白日の下に晒され、犯罪者は審議会によってのみ裁かれていたのである。
そして、審議会全体が決定した決議は、例え皇王でも覆すことは許されない。
他でもない、アドルフ自身がそう定めていた。
「貴方を罰するということは、すなわち国の機密を大衆に知らせるということです。そう簡単に全貌が把握できる地下通路ではありませんが、自らの首を絞めかねないような行為を、あの狡猾なアドルフ王がするとは思えません」
脱出路というものは大概において、どの城にも造られているものだ。
だが、王が城を棄てる用意をしているなどという情報は国民に知らせるべきではない。
他国に攻め入られるような緊急時には、守るべき国民こそが最大の脅威に成ることもあるのだ。
アドルフはそれを熟知している。
商業国時代、議会がもう少し国民に意識を向けていたならば、ここまで簡単に乗っ取れはしなかったに違いない。
「何れにせよ、貴方の罪の意識など、国家保護の観点からすれば、取るに足らないものです」
「・・・・・・」
厳しい物言いだが、正しい指摘だ。十年前、母に言われたことと同じに。
(個人の正義ではなく、国の為、みなの為の正義を貫きなさい)
毎夜悪夢にうなされ、寝台の中で泣きながら兄に謝る自分に、母はそう諭した。
そして、最後までその言葉通りに行動したのだった。
(・・・・・母上)
黙り込むサイクレス。見つめる蒼。
左目の黄金そのもの輝きが、僅かに細められている。
「・・・・・貴方はまだ、明らかにしていない事があるのですね」
「!!」
「ですが、それはフレディスさんに話を聴いてからにしましょう」
「・・・・・」
淡々としていても、蒼の言葉が溜め息交じりであることはわかった。だがそれでも、サイクレスは安堵の表情を浮かべずにいられなかった。
サイクレス自身、未だ心の整理がついていないのだ。
兄と母が自分の為にしてくれたこと。話せていない事実。その全てに結論が出ていない。
何より、自分が何を為すべきなのかも。
サイクレスの心は、幼子のように不安定なまま、闇の中をさ迷い続けていた。
「・・・・・ここだ」
足を止めたのは、特にこれといった標もない通路の途中。
だが、サイクレスの視線の先にある通路の壁をよく見ると、床から天井まで煉瓦積みされた石がブロック一つ分だけ、転々と斜めに張り出している。
「階段・・・ですか」
ブロックは壁と同じ材質の上、足場の幅がつま先ほどしかない。目の錯覚を利用した仕掛けだ。
ろくな明かりもない暗い地下通路では見つけるのは非常に困難である。勿論、意図的に造られたものだ。
試しに、一番地面に近い足場に乗ってみる。
バランスを取るのはちょっと難しいが、意外と頑丈に出来ている。蒼一人の体重ではびくともしない。
「面白いですね」
城壁から地下通路に入ったときも感心したが、サイクレスの祖父サグラは優秀な建築家だったらしい。
階段状のブロックは天井まで続いているが、見上げても扉のようなものは何もない。
「天井に仕掛けがあるのですね」
「そうだ」
今度はサイクレスが石の階段に足を掛ける。蒼と比べ、身体は縦横ともに大きいが、危なげなく天井に手が届くところまで登っていく。さすがに慣れている。
サイクレスは天井に片手を付き、落ちないよう体を支えながら、以前壁を開いた時と同じ要領で、天井と接しているブロックの一つを引っ張った。
カコッ
床と違い重量が掛かっていないブロックは軽い音をたてて苦もなく抜け、サイクレスの手に落ちる。
外れた箇所を見ると、そこだけ天板の石が嵌っていないらしく、天井に手が入るほどの穴がぽっかりと開いていた。
サイクレスは下にいる蒼にブロックを手渡すと、躊躇なく穴に手を差し込んだ。そのまましばらく天井を探る。
すると。
ガコッ
何かが外れる音が、先程よりも大きく通路内に響いた。
音を確かめた後、サイクレスは体勢を変えて両手で天井を押し上げるように力を加えていく。
「あっ」
天井が動いた。
正確には、天井に嵌め込まれている天板の一部が上にズレたのだ。
ガツ
天板の厚さ分持ち上がったところで、何かに当たる音がした。
「くっ!」
狭い足場で、何とか腕を動かすサイクレス。
「ほぉ、なるほど」
ズレた天板が横に滑り、スルスルと天井裏に引き込まれる。
出入り口の完成である。
「行くぞ」
そのまま天井の穴を潜ろうとするサイクレス。
しかし。
「ちょっと待ってください」
蒼が呼び止める。
「・・・・何だ?」
穴の縁に手を掛けていたサイクレスは、そのままの姿勢で首だけを巡らせた。
「その入口は、使われていない地下牢横の倉庫に通じているのですよね?」
確認する蒼にサイクレスが首を捻ったまま頷く。
「正確には倉庫内の床下収納だな」
「なるほど、では準備をいたしましょう」
そう言うと、蒼は冷たい石の床に片膝をつき、持ってきた小さな包みを開き出した。
「?」
中から出てきたのは金属製の小さな入れ物。縁に鎖を通した吊り下げ可能な飾り気のない香炉だ。
そして今度は服の隠しから小瓶を2つ取り出す蒼。蓋を素早く開け、片方の中身を香炉の中央に作られた窪みに注ぎ込む。
微かに甘酸っぱい香りがサイクレスの鼻腔に届く。
その瞬間、突然頭の芯が痺れるような不可思議な感覚に襲われた。
「!」
突然のことに、軽い眩暈を起こすサイクレス。視界が揺らぎ、体がグラリと傾ぐ。
狭い足場だ。バランスを崩せば即座に転落してしまう。
「っ!」
咄嗟に手を伸ばし、天板の縁を掴かみ直す。腕に力を入れて身体を引き寄せ、何とか落下は防いだ。
さすが剣術一筋脳まで筋肉と言われる男、反射神経も優れている。
「・・・・・、これは」
しがみつきながら頭を振る。だが、手は痺れて視界はぐらぐらと回ったままだ。
香炉の蓋を閉めていた蒼が、サイクレスの反応に気付き顔を上げた。
「ああ、すいません。慣れない方は僅かな香りでも反応してしまいましたね。これを口に充てていてください」
そう言って、小さな布を差し出した。
蒼のもう片方の手には、香炉に注ぎ込んだのとは別の瓶が握られている。どうやら中身を布に染み込ませたらしい。
「・・・・・」
手のひらほどの白い布からは何も香ってこない。その為ろくに警戒もせず、言われるままに布を口元に充てた。
次の瞬間、強い刺激が鼻を直撃した。
「ぐぅっ」
ツーンと鼻の穴を奥まで駆け巡る刺激。痛みすら感じるそれに見る間に涙腺が緩み、涙が滲んでくる。
「な、なにを・・・」
咽せこむサイクレス。余りの刺激に手が緩み、また落下しそうになる。
そんなサイクレスに、蒼は事も無げに返す。
「散布型の睡眠毒です。以前貴方が飲んだものより効果が強い。こんなところで倒れたくはないでしょう。それは気付けです」
確かに、激しい刺激に眩暈は吹き飛び、痺れも無くなっている。
だが、もう少しマシな薬は無かったのだろうか。涙が止まらない。
「この睡眠毒は火で温めて散布しますが、慣れない方は原液の香りでも影響が出ます」
話しながら香炉の下部を開けて短い蝋燭を取り出すと、マッチを擦って火を灯す。
小さな灯りに周囲が照らされる。暗闇に慣れた目には少し眩しい。
蒼は目を細めて蝋燭を香炉にセットした。
チャラ
鎖で吊り下げられた香炉から、細く煙が立ち上る。先程よりも強い香りがゆるゆると広がってきた。
だが鼻の奥に残る刺激で今度は影響が出ない。
「では、行きましょう。フレディスさんに話を聴かなければ」
今夜もまだ長い夜になりそうだった。
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