第六章
[11]潜入G
トゥーリ旅団による二部の催しものが終了し、出席者たちは歓談やゲーム、広間でのダンスを楽しんでいた。
一見追悼には適していないようにも思えるが、特定の神を祀る故の戒律が存在しないエナルでは、死者は賑やかに送るものという風習が定着している。
商人華やかなりし商業国時代の名残もあるのだろう。
手を取り合い、曲に併せて踊る男女。それは先程蒼が披露した舞とは違い、皆が踊れる簡単なステップだ。
だが、出席者たちは楽しそうに互いを見交わし、僅かな触れ合いに情を通わせる。
そしてまた、ダンスの中で交わされるのは男女の情愛だけとは限らなかった。
「今、メモが回りました。左端の金髪口髭の方からガーネットのドレスに黒いリボンのふくよかな女性、あ、赤い巻き毛の背の高い女性に行って、濃紺の上着を着た白髪の紳士が受け取りました」
「セルシウス皇子派から、リャドル皇太子派への流れだね。金髪口髭がセ派、そこから先がリ派だよ」
「あそこ、今度は伝言ゲームですね。グレイの上着を着た頭頂部が眩い男性から、淡い金髪を左側に結い上げてドレスの裾から赤いペチコートが見えるちょっと大胆なマダム、ほら、隣の軍人風の男性に口パクしましたよ」
「セルシウス派からハーディス派、いやあれはリュシアンヌ皇妃の第二皇子コラルド派だね」
「というとコ派ですか。何だか随分と同腹兄弟間でも密約があるんですねぇ、恐ろしい世界です」
「もう皇族の争いは血が流れないだけで血みどろだからね。泥相撲って感じ」
楽団の後ろに控えながら、ヒソヒソと話を交わす蒼とギルバート。
人間観察に忙しいのだ。
「そういえば、ジュセフ皇女の派閥はこの会場にいないんですか?」
ふと、蒼が今気付いたかのように尋ねる。
「うーん、勢力としては一番弱いし、貴族は少ないからどうかな。やっぱり実力主義と言っても元が騎馬民族の男社会。他の候補者から比べると、女性ってだけで不利だよね」
ギルバートの意見は客観的だ。現状を正確に語っている。また蒼も会場全体を観察し、冷静に分析している。
しかし、ここにとても客観的に見られない者がいた。
「ジュセフ様は女性貴族に支持されておられるし、近衛連隊全員がジュセフ様の御為には、命だって惜しまない」
主君第一堅物男サイクレスが、見かねて眉間に皺を寄せつつ抗議する。
ただし小声でだ。
もう、先程のような失敗を繰り返す訳にはいかない。
ちなみに、舞台から帰ってきた蒼に足をしこたま踏まれてもいた。
今でもまだ足の甲がジンジンと痛い。
「確かにジュセフ皇女は女の人に人気あるよね。市民層の支持率も実は一番高いし」
ギルバートがのんびり賛同する。
それを受け、蒼が納得ように小さく頷いた。
「なるほど、皇制をしいているとはいえ、国民の意志は無視できませんからね。特にエナル皇国は建国五十年足らずの新興国。国民に絶大な人気のアドルフ王というカリスマから、貴族連が勝手に決めた後継者に成り代われば、伝統が無い分不満は簡単に反乱を引き起こすでしょう。またそれが他国の侵攻に繋がりかねない」
「かといって国民の人気だけでジュセフ皇女に決められないんだろうし。お陰で派閥はみんな右往左往。自分の支持する後継者が少しでも有利になるよう暗躍しまくるのさ」
蒼は小さく肩をすくめ、息をつく。
「どうせ最終的に指名するのは王なんですから、ここでグダグダと密談交わして密約しても仕方ないでしょうに」
参加者たちから離れており、勿論周囲に気を使っているとは言え随分な物言いだ。気に入らないせいか、アドルフ王には手厳しい。
四角四面で忠誠心一本槍のサイクレスには会話が際どく、ちょっと居たたまれない気持ちになる。
そこへ―――。
「随分物騒な話をしているね」
「!!」
横合いから突然声が掛かった。
反射的に振り返る三人。
それは全く唐突だった。サイクレスだけでなく、気配を察知するのに長けた蒼も、潜入に慣れているギルバートですら気配に気づけなかったのだ。
そして声の主を見たときのサイクレスの驚きようは、正に飛び上がらんばかりだった。
「旅芸人って随分と知識が豊富なんだね。それとも君たちが特別なのかな?」
驚愕し、反射的に身を引く団員たちにまるきり構わず、男は柔らかな声でゆったり問う。
それとともに蜂蜜色の眩い金髪が肩口で豪奢に揺れ、また、こちらを向くスミレ色の瞳が好奇心を湛えて輝いている。
年の頃は30歳前後か。薄く笑んだその面差しは女性のように優しげだが、無駄なく鍛えられた身体は紛れもなく男性、戦士のものだ。
男は微笑んで団員の並ぶ壇上の端に、ちゃっかりと腰をおろしている。
一体どこから聞いていたのか、真意の読めない何食わぬ顔はただ者ではない。
蒼がそう考えた傍ら、立ち尽くすサイクレスの唇が無意識に開かれた。
まずい、蒼は反射的に僅かに振り返る。
異国の戦士と紹介したサイクレスがこの人物の名を口にしては、もう言い逃れは出来ない。
黙らせようと蒼が足を踏むより一瞬早く、サイクレスの声が漏れる。
「ハー・・・・」
「ハーディス様ーー! 見つけましたぞぉ―っ」
そのとき、サイクレスの声も人々のさざめきも楽団の演奏すら遥かに凌駕する、大音響の声が広間中にこだました。
「!!!!!」
歓談やダンスに興じる数百人が一瞬で黙る程の声量。およそ人間業とは思えない。
驚いた出席者たちが何事かと、声の出どころである広間の入口に目を向ける。楽団も思わず演奏を停止した。
数百の視線の先には、豪奢な彫刻と嵌め込みの図柄が描かれた重厚な扉。
その前に一人の老人が奮然と仁王立ちしている。
老人、と言ってもサイクレスにも負けない長身と筋骨隆々の身体は、皺の刻まれた顔以外全く老いを感じさせない。
「おや、見つかってしまったか」
扉とは反対側の壇上でハーディスが首をすくめ、優雅に立ち上がる。長く引いた上着の裾が一瞬遅れてサラリと流れた。
「ハーディス様だ!」
「え?皇子っ」
「なんとっ!一体どちらにいらっしゃるのだ!」
「芸人の中だっ」
「ああっ、あのようなところに」
出席者たちがハーディスの姿を発見し、弔いの宴の場は騒然となった。
「ハーディス様ぁぁぁ」
老人はズカズカと壇上を目指し歩いてくる。歩いているとは思えない恐ろしい速さだ。
大半が白く変わった、いわゆるゴマ塩頭は揺るがず、爛々と輝くはしばみ色の瞳はハーディスに照準を合わせたまま。
どうやら周りは一切目に入っていないようだ。
「じいは直情的過ぎて困るよ」
肩を竦めるハーディスはまるで他人事のように固まっているトゥーリ旅団の団員たちを悪戯っぽく見回すと、傍らの蒼の手をついと取った。
「・・・・・」
「私はただ、綺麗なお嬢さんを間近で見たかっただけなのに」
甲を上にして右手を取られた蒼は、珍しく固まったまま。
突然の展開を把握しようと、めまぐるしく頭を回転させていた為、とっさに反応出来なかったのだ。
「本当に綺麗な舞姫さんだねぇ」
ハーディスは蒼の手を取ったまま、右目しか見えていない顔を覗き込んでくる。
「舞も素敵だったよ。その不思議な髪飾りも神秘的な君にとても似合っているし」
しゃらん
髪飾り、と言ってハーディスが指先で縁をなぞったのは、左目を隠す金の円盤だ。
縁に通された金鎖が涼やかな音を立てる。
「お褒めに預かり光栄ですわ、殿下。でもどこから見ていらしたの?会場にお姿は見えなかったようですが・・・・・」
笑顔は絶やさないまま、さり気ない仕草で円盤に掛かるハーディスの手から逃れる。
しかし、右手は気を逸らす為、むしろ強く握り返す。
「それはね、秘密の席があるのさ。今度教えてあげるよ。でも今は・・」
そこで蒼の右手を引き寄せる。
勢いで一歩前に出た蒼は、会場の出席者と直ぐそこまで近付いて来た老人からよく見えるようになった。
「私と踊ってくれませんか? 美しいお嬢さん」
騎馬民族出身の妾妃ディアの息子、ハーディス・ローガン=ヴァン=エナルは、そう言って蒼の手の甲に口づけを落とした。
・・・・・またややこしくなった。
艶やかな笑顔の裏側で、毒操師蒼はそう盛大な溜め息をついた。
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