機動戦艦雪風
[06]進水式
バリ島侵攻から遡ること3日。佐世保工廠に真新しい戦艦―雪風の姿があった。
進水を前に乗組員や工廠員達が、慌しく右へ左へと走り回っていた。その喧騒の中に、修の姿もあった。
「これが雪風…」
修は雪風を見上げ、つぶやく。すると背後から、気の抜けたソーダのような悲鳴が聞こえた。
「どどど、どいてくださぁ〜いいぃぃ!」
修が振り向き一瞬見た光景は、髪の長い眼鏡の少女が、なにやら大仰な荷物を派手にぶちかましている光景だった。修は避けることも受け止めることもできず、目の前に迫ってくる荷物に埋まる。
ドタバタと、工廠に派手な音が響く。そして数瞬の後、先に顔を上げたのは少女のほうだった。
分厚い牛乳瓶眼鏡をかけた少女は、ぶっちゃかった荷物と、その荷物に埋もれている人間―修の姿を確認すると、あたふたと荷物を掻き分けた。
「ご、ごごご、ご、ごめんなさぁい!だだ、大丈夫ですか!?」
少女は修の首根っこを掴み乱暴に振り回す。しかしそれが修にとって致命傷となり、修は泡を吹いて気絶した―
「ん…」
修が目を覚ますと、見知らぬ天井が目に映った。修はゆっくりと上体を起こすと、またゆっくりと辺りを見回す。
周囲は白いカーテンに囲まれていた。
「あら、起きた?」
カーテンの向こうから女性の声が聞こえた。声の主は「失礼するわね」と言うと、ベッドを囲んでいたカーテンを開ける。
すると年の頃は20代半ばから後半ほどの、白衣を着た容姿端麗な女性が顔を出した。女性は修の顔に手を遣ると、ペンライトを修の瞳に向け、二、三質問し、修の無事を確かめた。
それまでぽかん、としていた修は我に返り、女性に問う。
「ここは…あなたは?」
女性は修のベッドに腰を下ろすと、にっこりと微笑んで答えた。
「私は譲原佳織(ゆずはらかおり)。雪風の専属軍医長よ。そしてここは雪風の医務室。」
その笑顔と物腰柔らかな口調に、修は少し顔を赤くする。そして少し上ずった声で返礼しようとすると、佳織は修の顔にずいと迫って、修の言葉を遮った。
「知ってるわよ、向坂修少尉。真珠湾の鬼神さん。」
「こ、光栄であります。」
佳織はじっと修の目を見つめる。そして佳織の手が再び修の頬に触れようとしたその時、医務室の扉が開く。
そしてついさっき見た眼鏡で長髪の少女が、花を立てた花瓶を胸に抱えて入ってきた。少女と修の目が合う(分厚い眼鏡のせいで本当に目が合ったかはわからなかった)。
すると少女は花瓶を乱暴に机に置くと、修に抱きつき、またも首根っこを掴み振り回す。
「だだ、大丈夫ですか?わわわ、私、その、ささ、さっきはその、すすす、すみませんでした!」
「わ、わかったから、もうやめ…」
修の顔から血の気が引いていく。それを見た佳織は肩をすくめると、修と少女を引き離す。
「兵曹長、やめなさい。」
佳織は「めっ」と、少女に人差し指を立てる。
「すす、すみませんでした、少尉殿。わ、私は久寿川きらら兵曹長であります。」
きららはビシっと敬礼する。修も敬礼し、返礼する。しかしその名前を聞いて、修は何かに気付く。
「久寿川きらら…マレーの虎?」
するときららは顔を赤くし、頭をへこへこと何度も下げる。
「いいい、いえ、あ、あれはたまたま、運がよかったといいますか、そそ、そんな大した者じゃないです、はい。」
きららはえへへー、と照れ笑いする。
医務室を出て一旦荷物を部屋に置き、艦橋にやってきた二人は扉を開ける。艦長に乗艦の報告をするためだ。
艦橋へ入ると、若い男が声をかけてきた。
「なんだい、君たちは。進水式前で少し忙しいんだが。」
修は男の階級章を確認すると、背筋を伸ばし敬礼する。
「申し訳ありません、大尉殿。本日、第一三独立起動艦隊、戦艦雪風に着任しました、向坂修少尉であります。」
「お、同じく、久寿川きらら兵曹長であります。」
きららも同じように敬礼する。
「それはご苦労。雪風副艦長、戸浪優(となみすぐる)大尉だ。」
優は返礼する。そして姿勢を崩すと、右手で艦橋内を仰ぐ。
「見てのとおり少し忙しくてね。恥ずかしながら艦長の不在でこの体たらくだ。」
優は苦笑する。だが二人は気の無い返事をするだけだった。
「この艦は出航後直ぐにバリ島へ向かう。艦長とはそこで合流する予定だ。進水式まで少し時間があるから艦内を見学するといい。」
艦橋を出た二人は通路と通路の交差点で、凛とした女性と鉢合わせる。
女性は両手を手錠で拘束され、背後には短機関銃を肩にかけた憲兵の姿もあった。そしてその細い首に、おおよそ似つかわしくない無骨なチョーカーを着けていた。
二人はしばし呆気に取られていたが、女性の階級章を見て慌てて敬礼する。だが女性は返礼しない。
代わりに修の目をじっ、と見つめ、吐き捨てるように口を開いた。
「お前が真珠湾の…隣はマレーの虎か。」
そう言い捨てると、女性は踵を返し立ち去っていった。その背中が見えなくなった頃、修が小さくつぶやいた。
「あの人、パレンバンの悪魔だ。確か姫百合遥中尉。」
「そそ、そうなんですか?」
修は黙って頷いた。
やがて食堂に着いた二人は、容姿のよく似た幼い少女二人組みを見つけた。ふたりの少女は厨房の前に立ち、トレーを差し出していた。
見ると片方の少女が料理長になにやら話しかけていた。
「にんじんはいらない。代わりにじゃがいもを山盛りに。」
もう片方の少女は何も言わず、ただトレーを差し出していた。そして二人は山盛りのポテトサラダが乗ったトレーを抱え、修達の元―扉に向かって歩いてきた。
そして修ときららの前に立ち、階級章を確認すると、片方の少女―料理長と喋っていたほうの少女が口を開く。
「少尉、道を開けられたし。」
「え?」
修は思わず聞き返した。
「道を開けられたし。それともじゃがいもが欲しいのか?」
「いや、そういうわけじゃ…」
「ならば速やかに道を開けられたし。私たちは部屋で食事をする。」
「…」
修ときららは道を開ける。すると少女は「それでよい」と言いながら食堂を後にした。
その様子を見届けたきららは、近くに居た一人の兵士に尋ねる。
「あああ、あの、ささ、さっきの人達は?」
「え?ああ、小牧姉妹のことですか。」
「小牧姉妹?」
きららはさらに尋ねる。
「赤い屠龍(二式複戦)のパイロットの小牧姉妹ですよ。バリクパパンの鷹の。今話してた方が小牧いろは少尉。もう一人の無口な方がかるた少尉です。」
「バリクパパンのって、ああ、あんな子供だったんですか?」
きららは目を見開いて驚く(分厚い眼鏡のせいで本当に目を見開いているかはわからなかった)。
格納庫に降りてきた二人は、居並ぶ人雷を見上げていた。そこには白を基調にした「零戦」、空水色の「一式陸攻」、赤い「屠龍」、黄色い「隼」が並んでいた。
「なんだかこう並べられると、俺の零戦って地味に見えてくるな…」
修は苦笑する。そんな修を見てきららは慌ててその言葉を否定する。
「そそ、そんなことないであります。せ、洗練された良い機体であります。」
そこに不躾な呼び声が聞こえた。修は聞き覚えのあるその声に振り返る。
そこには赤城の整備班長、河野晴一の姿があった。
「晴一!?なんでここに?」
晴一はにかか、っと笑って答える。
「もちろん、整備のためさな。いや、お上からお声がかかるほど俺の腕は知られてるってことさな!はははっ!」
そう堂々と言い切った晴一に修は苦笑するも、右手を上げて晴一に言った。
「お前とだったら無敵艦隊相手でも戦える気がするよ。」
晴一も右手を上げ、頭上でバシンッ、と手を合わせる。そして修の背中に居るきららに気付くと、慌てて背筋を伸ばし敬礼する。
「失礼しました。人雷整備班長、河野晴一上等兵曹であります。」
きららは返礼する。挨拶を終えた晴一は、小声で修に耳打ちする。
「なかなか可愛いじゃないの。」
そして二人は居住区に戻ってきた。
「ででで、では、自分はこ、こっちの部屋ですので。ししし、失礼します、少尉。」
きららは深々と頭を下げると、そそくさと自分の部屋へ入っていった。それを見送った修も自分の部屋に入ると、乱暴にベッドに横たわった。
「知らない天井だ…」
修はぽつりとつぶやく。すると天井のスピーカから優の声が聞こえた。
「艦内の全員に通達。進水式が始まる。全員作業を中止し、甲板へ出るように。」
修ときららは連れ立って甲板へ出る。そこには既に200人超の乗組員が整列していた。もちろん、小牧姉妹、遥、優の姿もそこにあった。
そして眼下には工廠員と政府要人、海軍上層部の人間が整列していた。そして時の海軍軍令部総長、永野修身(ながのおさみ)が特設の壇上に立ち、コホン、と咳払いすると、マイクを口元に寄せる。
「開戦以降、我らが大日本帝国は米英艦隊を破竹の勢いで撃破し続けている。これは天皇陛下のご慈愛と恩寵の賜物であり、貴君らの日頃の働きによるものでもある。そして我らは更なる大東亜の平穏と発展のために、最新鋭の艦を以って米英艦隊を駆逐せん。見よ、これが帝国海軍の技術の粋を集め建造された、戦艦雪風である!」
永野は大仰に右手を天にかざす。すると周囲から地響きのような歓声があがる。
そして永野があごを振ると、一人の兵士が銀の斧を振りかざし、支綱を叩き切る。すると頭上のくす玉が割れ、雪風の船体に大量の日本酒のビンが叩き付けられ、破裂する。
そして更なる歓声が沸き上がる。大量の紙テープと紙吹雪が舞う中、雪風の甲板にいる兵士たちは敬礼する。
やがてドックが海水で満たされると、雪風はゆっくりと進水し、工廠の兵士たちの歓声に見送られ、バリへ向かい舵を切る。
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