side story
[38]時を渡るセレナーデ -32-
「ん……」
背中に、冷たい強風が吹き付けている。その風が、僕の前髪を小刻みに震わせる。さざ波の音が遠くに聞こえる。だんだん、意識が戻っていく。だんだん、僕らしい頭の悪さになっていく。
どうしてこうなったかの記憶が曖昧だ。うみしおに乗り込み、DSDっていうのに乗り込み、そして乱流に呑み込まれて……。
死んでしまったのだろうか。
いいや、その割には、視覚以外の五感は働いている。死んでいない、その事実が分かり、少し安堵する。
だが、それにしても今僕はどこにいるのだろう。
それに、ハレンも何処にいるんだろう……。
皆、どこ?
僕ひとり?
目が開いた。
「……あっ」
少し僕は声を上げた。
僕は灰色の床の上に、うつ伏せに転がっていたようだ。
どこかケガしただろうか。奇跡的に、背中を強く打ち背骨に鈍い痛みが広がるだけで、出血も骨折も無かった。
上を向くと、床の色と同じような空が一面を覆っている。厚い雲に月光をも遮られ、不吉な予感を漂わせながら雷がゴロゴロと鳴り響く。
波の音と雷の音。その音が混ざりあうことによって、より一層僕のいる場所が不気味な様相を纏う。
島の鳴き声のように。
ここ、こそ……。
『ええ、間違いないでしょう』
「そっか、だよね」
僕たちの目的地、古墳島だ。
「ああっ! そうだ……ハレンは!?」
『大丈夫です。すぐ近くに反応があります』
「無事なんだな? 良かった」
そうと分かれば、取り合えずハレンと合流しよう。こんな不気味な所、一人でウロウロ歩くのは物騒すぎるしね。
◇◆◇◆◇◆◇◆
首筋に雨粒が滴り落ちた。
「く……ぅ……」
その冷たい感覚が引金になり、私は目を覚ました。
『無事なようだな』
衝撃で気を失っていたらしい。体は何ともなかった。どうやらDSDが頑丈な造りだったお陰で、幸い大破には至らなかったらしい。
運転席……確かコックピ……何とかの扉が開いている。
私が乗ったDSDは、うまく林の木々に引っ掛かっていた。
先程まで雨が降っていたのか、葉に乗った雨粒が不規則に落ちてきている。
「フェルミ、場所の確認を早く」
『既に完了している。座標、兵器の所在反応から察するに、古墳島だ』
「そう。なら……さっそく兵器探しね」
『この島全体が只ならぬ気配に包まれている。用心していけ』
「分かった」
木の枝を足場にして、何年も前から降り積もっているのだろう木の葉の絨毯に着地した。
「皆も無事よね?」
『うむ』
鬱蒼と繁る林を歩いて抜けると、地面が急に固くなった。何かと思い、落ち葉を足で退けると、明らかに人工物の灰色の床があった。
「奴らに先回りされたかしら」
『いや、ネブラによるものではなかろう。奴らの目的は我々と同じく兵器の回収だ。ここを屋城にする意味は無い』
「じゃあ、例の闇の集団?」
『そうだろう』
私にとっては、どちらでも構わない。
邪魔するなら、倒すだけ。
さて……皆はどこにいったかな。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「まだキューブは見つからないのか」
「はっ。間もなく最深部に捜索隊が到達する頃合であります。もうしばらくかと……」
「急げ。邪魔な連中が入り込まれては支障が出る」
「承知しております。では」
黒崎アリアは古墳島を一望できる山頂にいた。
上空で轟く雷鳴が一際大きい。強い風に動じず両足にしかと立つ姿は、遠くから見たら黒翼の鷹のようだ。彼女の足元から伸びるピアノ線は、遥か遠くの蛇や鼠をも鮮明に捕える。
「……こんな時に」
そう例えられるほど鋭く細い彼女の感覚が、木の葉が吹き上がる音を聞く。
アリアは側の岩に立て掛けていた剣を手にとる。
「バルザール、数は?」
『えーっとなぁ。ひいふうみい……4匹だ。不思議だねえ、幻獣神がいねえぞ?』
「あの男が、いないならば」
倒すことは容易。
しかし、あの男だ。
時として、己が弾く計算を狂わせる。後に現れることも多分に考えられる。この先行部隊は早急に討つ必要がある。
「生かしておく訳には行かないわ」
『おっ、やっと動くのか? 待ってましたヒッヒッ』
アリアは刀を半分抜いた。彼女の目が刄に反射し映し出される。
「お前」
剣を鞘に戻し、彼女の背中で頭を垂れていた一人の男に命令する。
「3番から7番編隊はキューブの捜索を中止。不審人物の殲滅に当たれ」
男は無言でその命令を聞き、その場を後にした。
『じゃ、こっちも大暴れと行こうかあ!我が同胞よ』「いいえ、まだよ」
『おやおや、今日は随分と消極的だなぁ。ビビってるのか?』
「失敬な。こちらは数が多い。戦うとも戦わずとも相手の出方を伺うのは策士として当然よ。バルザール。風が吹いたなら、私が自らの手で……」
『そうかい。しかたないな。ちょっと待ってやるよ』
◇◆◇◆◇◆◇◆
周囲の空気が、随分柔らかく感じる。
フワフワ浮いているように、居心地よくも不安定な世界。夢の中のように、存在そのものが儚い空間だ。
その空間の中では、どこかで見た映像がサイレント映画のように流れていた。
最初、真っ白な照明に照らされたあの時、確かその後チャーハンを作ってもらった。
科学省の中で、日々闇の集団と戦っていた自分。
そういう状況だったから、そして、当人が当人だから、まだ心から楽しいと感じた思い出は少ない。
でも、思い出は
些細なものほど、いつまでも心に残ってくれる。
自分と共闘してきた存在は、今ここにはいない。
自分にとって、まだ未知の存在であるネブラと呼ばれる、新たな敵と火花を散らしている……。
昏い海の底で。自分の想いさえ届きそうもない遥か遠くで。
たとえ、どれほど窮地に陥っていたとしても。
どれほど傷を受けようとも、彼は逃げない。
自分は?
何も、何も、してあげられない。
この思い出が消えてしまいそう。もし海底で彼が散れば、激しい重荷になるだろうから。
だが、無力な一般人のように勝利を信じて祈ることが、彼女にとって全てだった。
それが彼女の、唯一の救いである。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「耀……くん」
ネルフェニビアが目を覚ました。
目をゴシゴシと擦って意識を戻していく。
「……あれ?」
ネルフェニビアは、いつのまにか左手にマグナムを持っていたことに気づいた。乱流に呑まれたとき、彼女が握っていたのはハンドルではなく、自分が淡い恋心をはせる男の愛用武器だったのだ。
「耀君が助けてくれたのかな」
そうだ、きっとそうに違いない、と確信を強めた。
ネルフェニビアはドアを開ける。新鮮な空気とまではいかないが、吹き荒れる風がとても涼しかった。
目前に広がるのはおどろおどろしい灰色の島だ。目的地の古墳島だと一見して判断した。
周囲を確認するが、自分しかいない。
「悠君達がいない……」
溺れたのだろうか。
不安を募らせるネルフェニビア。確証は無くとも、いない事実は定かだから、不安を拭おうにもできない。
如月の消息も分からない。いつにも増して彼女は孤独だった。
「帰ってきて……」
マグナムを、脅えるように握る。
男は、まだ現れない。
◇◆◇◆◇◆◇◆
清奈は、前方斜め上を見上げた。
ちょうど目に入ったのは、島の中央にある山頂。
そこから矢のように突き刺す殺気を察したからだ。
「いたぞ!」
清奈の耳に入った威勢の良い男の声。
『清奈』
「分かっていたわ。集団でこちらに向かってきていたことぐらい。どうやら、少なくとも私は闇の軍団とやらに嫌われてるみたい」
清奈は面倒そうにフェルミを抜いた。瞬間、紅き雷をその剣に宿す。
剣を持ってない右手を横に伸ばした。その指先の向こうから聞こえる無数の足音。帝国時代の軍隊のように一瞬も違はないそれに、全く怖じけつく様子は無い。
まもなく
清奈は数十はいる騎兵と対峙した。
「なっ……!」
第一線の騎兵が何故か驚きの声を上げた。
風に乗り躍動する黒髪。
色は違えど、雷を宿す剣。千里を見通す瑠璃色の瞳。精悍な顔から溢れでる鋭気。
誰もが、【幻影】であるかのように察したに違いない。
「アリア様……? がっ!」
既に清奈は動きだしていた。
清奈には理由が理解できていなかったが、騎兵達が一瞬精神を乱したから。
その隙を逃さず斬っただけだ。
山頂
その様子を、広く伸ばした神経で察したアリアは
「ふふふ……」
微笑しながら自らの刀を見つめていた。
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