第六章
[06]潜入B
太陽が中天を越えた時刻。
その集団は、玻璃の門より皇城の人々の注目を浴びながら現れた。
一見して非常に派手な人々は、皆この辺りでは見ない顔だ。思い思いの衣装に身を包み、楽器をかき鳴らして練り歩く。
異様な集団。だが一目で旅芸人の一座とわかる。
城の誰かが余興に呼んだのだろう。そう思った人々は、遠巻きに噂しながらも誰も行く手を阻まない。
外城壁の玻璃の門から、皇城内部の入り口である内城壁の正面門、碧門までの約300bを、集団は賑やかに通り過ぎていく。
「何だお前たちはっ」
碧門を守るのは国家警備軍の役目だ。彼らは皇城の要人警護が主たる仕事であり、皇王を含めた国の要人が、則ち国家であると考えている。
しかし、実際のところエナル入国には国境警備軍が、皇城入城時は近衛連隊がそれぞれ警備し、内城壁を潜る者の大半は大した確認もされず通過していく。
結果、碧門の国家警備軍は気の抜けた暇な軍人ばかりが常駐していた。
しかし、そんな彼らでさえ、その集団は引き止めてしまう程に怪しかったのである。
幾ら旅芸人とはいえ、皇城に入るのに行進したりしない。
こういった旅芸人が皇城の催される宴に呼ばれることが多いが、勿論、登城は極々普通だ。
「我々は何も聞いてないぞ。誰の招きに寄るものか」
警備兵は集団の先頭を歩く、ずんぐりとした男に向かって警護用の槍を突きつけ詰問する。
音楽も服装も賑やかな集団の中で、唯一地味なその男は、口髭を蓄えた柔和な顔に愛想の良い笑いを浮かべている。
「私たちは渓谷砂漠より更に東方から参りましたトゥーリ旅団と申します。政務次官殿のご要望により参上致しました」
そう言うと、にこやかな顔のまま目の前の軍人に何かを握らせた。
「皆様で、今夜美味しいお酒でもお召しください」
男の言葉に中身を察した警備兵は、袋の感触を確認する。
ごく小さな袋の中は貨幣が数枚入っている程度。しかし受け取った兵士は、その特徴ある手触りで日常的に使用される銀貨や銅貨ではなく、大陸に流通する最も高価で信用度の高い、聖華金貨であることがわかった。
円ではなく、八枚の花びらを型どって縁が削られている聖華金貨は、その精巧で繊細な造りから偽造が難しく、一枚で1ヶ月は遊んで暮らせる程価値が高い。
「む・・・・・」
思わぬ大金に手の中で正確な枚数を数える兵士。そして己の年収の半分程もある額と認識し、態度を軟化させた。
「政務次官殿か、確か誰ぞ客人を招くようなことを言っておられたかもしれない。私の方で間違いないか確認しておく。急いでいる様子だしな。通ってよいぞ」
楽器をかき鳴らして練り歩いて来た集団が急いでいる筈もないが、承認さえ貰ってしまえばこっちのもの。
恐らく兵士は、見た目は不審でも、皇城まで入れるならば問題なかろうと単純に考えているのだ。
「さっさと通れ」
仲間の兵士に金貨の存在を気づかれまいと、旅団を急いで遠そうとする兵士。
「有難うございます。さっ、お前たち皇城に入らせて頂こう」
ずんぐりな男はその外見と反した機敏な動きで、旅団の団員たちを歩かせる。
この時ばかりは楽器から手を離し、一行はさほど大きくない碧門を一列になって通っていく。
それを儀礼的に検分する兵士たち。そして、二十人程いるトゥーリ旅団の半数以上が通り抜けた時、
「おい、お前、ちょっと待て」
団員の一人がそう声を掛けられた。
通りかかっていた全員が兵士の方に振り向く。
「いや、お前たちではない。お前だ、お前。そこの黒髪の背の高い男」
兵士に呼び止められたのはトーガを纏い、威風堂々とした美丈夫。
黒に近い褐色の肌の中、藍色の双眸が物思いに耽っているかのように深い。
男は楽器を持っておらず、何か細長い棒のようなものを手にしている。子供の身長よりも長いそれは、きっちりと布にくるまれていた。
彼は立ち止まり、顔を兵士に向けるが口は開かない。
「お前のその荷物はなんだ?まさか武器ではあるまいな」
袖の下を受け取ったのとは別の兵士が、槍で包みをさす。
しかし男は喋らない。
静かな表情のままだ。
「おい、聞いているのか」
声を荒げる兵士。男の目の前まで近づいてくる。
「!」
見上げた長身は、緩やかなトーガの上からでも鋼のように引き締まっているのがわかる。
無言な男が兵士を見下ろす。だがやはりその口を開くことはない。
「貴様っ、我々国家警備軍に逆らう気か!」
無言の威圧に耐えきれず、兵士は槍を男の喉元に突きつけた。
「どうなさいました?何事でございますか」
一番後ろにいた先程のずんぐりした男が異変に気づき、列を掻き分け駆けつけようとする。
どうやらこの男が旅団の団長らしい。
しかし、団長がそのずんぐりした体を問題の男のところまで運ぶよりも早く、別の方向から声が掛かった。
「その男は言葉がわからないのですわ」
不思議な高さの声。しっとりとした女性のようでいて、清らかな少年のようでもあるそれは、列の前方から響いた。
しゃらん
涼やかな音色とともに現れたのは、華やかなトーガを纏う一人の女。
いや、その若木のような伸びやかな肢体は、女性というにはまろみが少ない。少年といっても通りそうだ。
しかし陽光に照らされた面長の顔には美しく化粧が施され、完璧と言ってもよい絶妙な目鼻立ちをより引き立てている。
惜しむらくはその左目。彫金された円盤が、繊細な金鎖に繋がれて左の目元を完全に覆っており見ることができない。
しかし、右の冴え冴えとした青い瞳はハイルラルドの海にも似て、息を飲むほどに美しい。
複雑に結い上げられた艶やかな黒髪。染めているのか、所々金の筋が混ざり、陽光を反射して輝いている。
その場にいた国家警備軍兵士全員が、自分の職務を忘れる程、それは美しい女だった。
「この男、東方でも辺境の出で、大陸の公用語が通じませんの。勘弁してくれません?」
男と兵士の元に歩きながら嫣然と微笑む女。
桜色の唇が兵士の目に焼き付く。
「な、あなた、いや、お前は?」
思わず丁寧な言葉遣いになりかけ、慌てて言い直す兵士。
それ程に、この目の前の女には、艶めいてはいてもどこか高貴で近寄りがたい気配が漂っている。
「私はトゥーリ旅団の舞姫。名乗るほどのものではありません。それよりその男を解放してくださいな。包みは芸に使う刀ですわ。勿論模造品、武器などではございません」
兵士を見上げる女。水を湛えたかのような潤んだ瞳に、魂が吸い寄せられる。
「あ、いや、あー」
兵士は真っ白になった。女の肌から立ち上る甘い香りに包まれて、頭の芯が痺れてくる。
「可愛らしい方ですわね」
うふっと笑う女こそ、可憐で可愛らしい。
「ほら、貴方も早く包みを解いて」
舞姫の女はそう言うと、黒髪の男の包みを引っ張った。
男は無言のまま今度は舞姫を見る。舞姫は微笑んで包みを少しだけ開く。
男は舞姫の様子に少し考え、今度は素直に包みの布を解いた。
中から見えたのは装飾の少ない、実用的に見える大剣。
「本物ではないのか?」
兵士たちは舞姫と剣を交互に見る。舞姫はその美しい顔に微笑を浮かべたまま、黒髪の男の手に己のそれを重ね、そっと鞘を抜く。
全体の三分の1程現れたのは真っ黒な刀身。金属の輝きではない。
「これは・・・?」
「黒檀ですわ。剣に似せた模造品。まるで本物のようでしょう?」
片方しか見えない青玉のような目を細め、舞姫は説明する。
「彼は剣士でしたから、模造品でも剣がないと落ち着かないのですわ」
兵士を見上げて舞姫は小首を傾げる。
「お分かり頂けましたかしら?」
見つめられ、その美しさと気まずさに兵士は赤くなりながら、咳払いを一つ。
「あ、ああ、行っていい」
手を払う仕草をして一行に先を促した。
「団長さん、問題ありませんわ。行きましょう」
後方の団長に軽く手を振り、舞姫は実に優雅に身を翻した。
そして、トゥーリ旅団は碧門を無事通過していったのである。
舞姫の甘い残り香だけを残して。
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